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18.にぎやかな来客たち

 何者かに一服盛られそうになったあの騒動から、さらに一週間ほど経った。


 犯人は料理人見習いの男性だったらしい。らしい、というのも、ニコラが厨房に向かった時、もう彼は行方をくらましてしまっていたのだ。そして不思議なことに、それからの足取りはまったくつかめなかった。


 そのせいで、彼が何を思ってそんな行いに出たのか、共謀者はいるのか、そういったことは何も分からずじまいだった。


 未遂に終わったとはいえ、はっきりと私に害意が向けられた。その事実は、私をひどく落ち込ませるものだった。あの破滅の未来にまた一歩近づいてしまっているような、そんな気がしてならなかったのだ。


 もちろん、落ち込んだからといって仕事の手は抜かない。だが、どうしてもため息が増えてしまっているのも事実だった。


 ニコラは警備体制を見直し始めたし、ミロシュは前以上に意気込んでいるようだった。ガブリエルも気を遣って、あれこれと楽しい話をしてくれる。


 それでもどこか落ち着かないものを抱えたまま、ただ時間だけが過ぎていたある日。


「リーズ、久しぶり! なんだか大変なことになったって聞いたけど、元気そうで良かった。……ってこの書類の山、なあに?」


 いつも通りの軽やかな声と共に、アネットがひょっこりと顔を出した。その場違いな明るさに、執務室の張りつめていた空気が一度に緩む。


 彼女の後ろでは小姓が二人、済まなそうな顔でぺこぺこと頭を下げている。どうやらアネットは、ここまで案内するはずの小姓たちを追い抜いてきてしまったらしい。


「こんにちは、アネット。これは全部、女王の執務だけれど……」


 それよりどうしてあなたがここにいるの、という言葉を口に出すより先に、アネットが目を丸くする。


「へえ、そうなんだ。……すごい量ね」


「でも、もう半分は終わっているわ。明日になれば、またこれの倍くらいの仕事がやってくるの」


「うわあ……わたしには絶対無理。女王にならなくてよかったあ」


 屈託のないアネットと話しているうちに、徐々に肩の力が抜けてくる。ずっと胸の中に居座っていた言いようのない不安感が、ふわりと消えていく気がした。


 思わずくすりと笑ったところに、ニコラの咳払いが割り込んできた。


「親交を温められるのは結構ですが、今日はどのようなご用件でいらしたのでしょうか、アネット様。訪ねてこられるのなら、前もって連絡をいただけると助かるのですが」


「それについては、私から説明しよう」


 アネットの後ろから顔を出しながら、セレスタンが言う。彼女が一人でここに来るとも思えなかったので、彼もどこかにいるのだろうと思っていたが、予想通りだった。


「先日、君が危うく毒を盛られかけたと聞いた。……もしかしたら、冠の家や我が盾の家の者が関与していないとも限らない。ならば私にも、できることがあるかと思ったのだ」


 そう一気に言い切ってから、セレスタンはぷいと横を向いた。まるで、子供のような仕草だ。


「別に、君のことを心配している訳ではない。君は強いし、優れた従者もついている。そう簡単に殺せるものでもないだろう。ただ、私は盾の家の当主としての責任を果たしに来ただけだ」


 彼の言葉は悪態をついているとしか思えない内容だったが、妙にたどたどしく、照れているような声音のせいで、ずいぶんと雰囲気が違ってしまっている。


 やっぱりセレスタンの様子は、何だかおかしい。盾の城で再会した時のようなとげとげしさはないし、どちらかというとこちらに気を許しているように思える。


 どうも彼は、意識して冷たい態度をとろうとしているようだった。なぜそんなことをしているのかは、さっぱり分からないし、まったく成功していなかったけれど。


 つい苦笑しそうになるのをぐっとこらえて、セレスタンに微笑みかける。


「そう、ありがとう。先日の件が片付いたばかりなのに、あなたも大変ね」


 先日の件、すなわち私たちが討伐したならず者の件、それがその後どうなったかについては、既に報告を聞いていた。


 セレスタンはならず者たちを尋問して、その後ろについていた小領主を突き止めることに成功した。しかしどうやら、本当の黒幕は別にいるようだった。その存在は巧妙に隠されていて、結局、調査はそこで行き詰まった。


「……君の肩にかかっている責任に比べたら、この程度大したことはない」


 やけに真剣に、こちらを気遣うような目をしてセレスタンは答える。そしてまた、気まずそうに視線をそらした。どうも彼は、長時間私を直視していられないらしい。なぜだか知らないが。


「もっとも、その責任は君が望んで手に入れたものだ。ならば本望というものだろう」


 口調こそ憎々しげだったが、耳は赤いし目は戸惑ったように泳いでいる。どうにも憎めない、微笑ましい姿だった。私の目つきに気づいたのか、彼はごまかすようにこほんと咳払いすると、またまっすぐにこちらを見た。


「そういう訳で、私とアネットはしばらく王都に滞在する。……その、君が手伝いを必要としているのなら、手を貸さなくもないが」


「……姉様に力を貸してくださると、助かります。でも……」


 ガブリエルがどことなく困ったような顔で口ごもる。


「真正面から戦うことしかできないのでは、暗殺の阻止には向かない」


 すかさずミロシュが指摘する。彼の性格からして容易に想像はついたが、盾の家の当主相手であってもまったく遠慮がない。


「政治的には活用できそうですね。盾と冠の家の当主がリーズ様のもとに集っているという状況は、敵をけん制するにはちょうどいいでしょう。もっとも、その敵がどこにいるのか分かりませんし、どれだけ効果があるかは不明ですが」


 とどめとばかりに、ニコラがまくしたてた。普段は仲が良いとはいえない彼らだが、妙なところで息が合っている。要するに三人とも、セレスタンのことをあまり歓迎していないようだった。やはりなぜだか分からないが。


 目を丸くしている顔のセレスタンの隣で、アネットが朗らかに言った。今の三人の意見を、まるで気に留めていない笑顔だった。


「それでね、リーズさえ良かったら、王宮に泊めてくれないかなあって。わたしと、あとセレスタンも」


「ええ、歓迎するわ。部屋だけは山ほど余っているから、好きに使ってちょうだい」


 彼女たちを拒む理由など、どこにもなかった。アネットは私の友達だし、セレスタンとも一応仲良くなれたように思う。


 アネットがいてくれれば、このところの暗い空気も変わるかもしれない。それに、セレスタンとも一度しっかりと話してみたかった。最近の彼はころころと、しかもおかしな具合に表情を変えているから、見ていて飽きなさそうだ。


「やったあ、ありがとう!」


 喜びのあまり跳ね回るアネット。彼女の桃色を帯びた金の髪が、ぴょこぴょこと可愛らしく揺れていた。






 二人の客人を迎えて、王宮はほんの少しだけ騒がしくなった。けれど毎日の生活はさほど変わりはしなかった。


 私は相変わらず書類相手に戦ってばかりだし、セレスタンも忙しくしているようだった。彼は当主としての通常の執務を休むつもりはなかったらしく、わざわざ盾の城から書類を運ばせて、王宮の一室で黙々と執務をこなしていた。


 そうまでして王宮に留まらなくてもいいのに、とは思う。けれどそれを言ってしまったら、きっと彼はがっかりすると思うのだ。回りくどくて分かりにくいけれど、彼は私の力になろうとしてくれているのだから。


 前の人生であまりにも孤独な、空しい最期を迎えてしまったせいなのか、今の私は他人が近くにいることを嬉しいと思うようになっていた。剣の家の当主になってからずっと、ニコラとミロシュ以外の人間をろくに近づけなかった、そんな私が。


 だから、食事の時間がいつも以上に楽しみになっていた。いつも四人で使っていた食堂に、六人で集まる。そんなささやかなことに、幸せを感じるようになっていた。


 そんな自分の変化に気づいたりしながら、私たちはいつも通りに忙しく、しかしのどかに過ごしていた。


 しかしそんな中、一人だけちょっと様子がおかしい者がいた。アネットだ。


 彼女は名目上冠の家の当主ということになっているが、冠の家を追い出されてしまっている。しかしそのおかげで、当主としての執務からは解放されていた。


 だから彼女は、暇を持て余しているはずなのだ。私やセレスタンの仕事を手伝うことはないにしても、お茶の時間に遊びに来るくらいのことはするだろうと、そう思っていた。


 ところが蓋を開けてみたら、彼女は毎日のように、どこかに出かけてばかりだったのだ。朝食後すぐ出て行って、夕食時まで戻らない。そんな日が、何日も続いた。


 彼女は、冠の家の人間に命を狙われている可能性がある。だから一人歩きは危ないのでは、と言ってみたが、大丈夫、気をつけてるから、とあっさりと返されてしまった。


 仕方ないので、巡回の兵士を増やして警備を強化することにした。なにかおかしなことがあったら、すぐに報告するように、何よりも彼女の身の安全を優先させるように、そう命じておいた。


 本当は、アネットを王宮に押し込めておくのが一番確実なのだが、それはそれでかわいそうではある。


 それに昼間の明るいうちであれば、冠の家の連中も大したことはできないだろう。彼らは賢くしたたかで、外聞をとても気にする。だからこそ、日中の城下町はそこそこ安全だろうと、そう判断できた。


 そんな私たちの思惑をよそに、彼女はせっせと城下町に通い続けた。そんなある日の夕食時、ふと思ったことを尋ねてみた。城下町で、何か面白いものはあった? と。


 彼女は目線を露骨にさまよわせて、ううん、特に何もなかったわ、と答えた。あからさまに怪しかった。彼女以外の全員が、けげんな顔を見合わせるくらいに。




「ねえニコラ、彼女をどう思う?」


「危険ですね」


 その日の夜遅く、私はいつものようにお茶を運んできたニコラと二人、自室でこそこそと話していた。ニコラの眉間には、しっかりとしわが刻まれている。


「アネット様自身に、リーズ様に対する悪意があるとは思えません。ですが、たまたま何か良からぬことに巻き込まれた可能性もあります。少なくとも、何かを隠していることは確かです」


「そうね……」


 夕食時のアネットの動揺っぷりは、かなりのものだった。彼女を疑いたくはないけれど、だからこそ一刻も早く、疑いの種をつぶしておきたい。


「決めたわ。次に彼女が城下町に出る時に、尾行してみる」


「おやめください。尾行なら、ミロシュをつければ良いでしょう」


 即座に却下された。身を乗り出して、めげずに食い下がる。


「それはそうだけれど、やはりこの目で確かめたいの。ミロシュを連れていけば、たいがいのことには対応できるでしょう」


「……では、深追いはしないと約束してください」


 心底不満そうなニコラに大きくうなずきかけ、ゆったりと座り直した。アネットが隠していることが明らかになるかもしれない。それは興味を引くものではあったが、同時に少し怖くもあった。


 またあの破滅の未来と同じように、彼女が内乱に関与しているのではないか。そんな疑いを、どうしても捨てきれなかったのだ。だからこそ、この件については他人任せにせず、自分の目で確かめたかった。


 ニコラはそんな私の心境に気づいたのか、それ以上口を挟まなかった。

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