16.新しい朝の光景
次の朝、私はほんの少し緊張しながら食堂に足を運んでいた。女王は通常、一人で食事を取る。私も前の人生ではそうしていた。
けれどセレスタンやアネットと旅をしている間、私たちは一緒に食事をとっていた。それはとても、楽しい時間だった。
思えば、剣の家の当主になった五年前からこっち、誰かと一緒に食事をした覚えはなかった。だから、誰かと囲む食卓がこんなにも楽しいものだということを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
だから私は、帰りしなニコラとガブリエルに言ったのだ。これからは、あなたたちも一緒に食事にしましょう、と。彼らは二人そろって大いに驚いてはいたが、その提案を拒みはしなかった。
食堂に顔を出すと、既にガブリエルが着席して待っていた。彼はこちらを向いたとたん、青い目をまん丸にしている。
「姉様、あの、そちらの方はいったい……」
彼の目線の先には、私のすぐ後ろに張りついているミロシュの姿があった。どうやら彼らは初対面らしい。それも当然か。ミロシュは私の腹心ではあるが表に出てくるのはこれが初めてだし、即位する前の私がガブリエルと顔を合わせることもめったになかった。
ちらりと振り向いて後ろをうかがうと、ミロシュのほうは全く戸惑ってはいなかった。というよりも、ガブリエルをわずかに警戒しているそぶりを見せている。
「ああ、あなたは彼と会うのは初めてなのね。彼はミロシュ、今日から私の護衛を務めてもらうことになったの。ミロシュ、彼はガブリエル。私の義理の弟よ」
そう説明しても、まだガブリエルはぽかんとしたままだった。ミロシュの異国風の容貌が気になっているのだろう。
一方のミロシュは、相変わらず警戒を解いていない。じろじろとガブリエルを見た後、おもむろにミロシュが口を開いた。私に対するものより遥かにぶっきらぼうな、低い声だった。
「俺は我が君に拾われた。その恩を返す。何があろうと、我が君を守る」
だからお前は近づくんじゃない、と言わんばかりの不機嫌な声だ。さらにきょとんとするガブリエルに、あいまいに笑いかける。
「彼はこういう人だから。気にしなくていいわ」
私とミロシュの出会いは、十年前にさかのぼる。当時七歳の私は、脱走して行き倒れた元奴隷の少年を偶然拾い、助けたのだ。既に十二歳になっていた彼は、それをいたく感謝して、私個人に仕えるようになった。
彼はとても優れた身体能力を有していたし、異国の変わった薬草や毒の知識もあった。どうも、彼はもともと暗殺やら何やらにたずさわる一族の出だったらしい。彼は私に拾われてから、ひたすらにそういった技術を磨き続けた。
そうして私が十二歳で剣の家の当主となった時、彼は自分から申し出てきた。我が君、俺の力を存分に使ってくれ、と。そんな経緯から、彼は裏の仕事を引き受けるようになったのだ。
あの破滅の未来において、ニコラを失った私は、ミロシュをも手放した。もう誰も信じられない、捨てられるくらいなら先に捨ててやる、そう言って。
それから彼がどうしたかは知らない。最後に見た彼は、魂が抜けたような顔をしてぼんやりと立ちすくんでいた。そうして、気づいたらいなくなっていた。誰もいない部屋を見て、胸がちくりと痛んだのを覚えている。
けれど今私のそばに控えているミロシュは、とても生気に満ちた顔をしている。戸惑うガブリエルを目で威嚇している様など、少々生き生きしすぎではないかとも思うが。まあ、落ち込んでいるよりはずっとましだろう。
そんなことを考えていると、今度はニコラが姿を現した。
「おはようございます、リーズ様。……おや、どうして彼がこんなところに」
少し遅れて姿を現したニコラが、眉一つ動かさずにそう言った。ミロシュが氷点下のまなざしで、彼をにらみつける。
彼らは二人とも、私の腹心だ。しかしあまり、二人の仲は良くない。担当している仕事が違いすぎるせいなのか、それとも他に、何か理由があるのか。
「ニコラ、今日から彼は私の護衛よ。これからは顔を合わせることも多くなると思うから、仲良くやってね」
少し強めに言い放つと、ニコラは一瞬だけ目を真ん丸にした。それから折り目正しく礼をして、形ばかりの謝罪の言葉を口にする。
そしてガブリエルはガブリエルで、どことなく悔しそうな目でミロシュを見ていた。後でそれとなく、彼のことをどう思っているのかガブリエルに聞いておいたほうがいいのかもしれない。
人が増えると、互いの関係もややこしくなっていくのかもしれない。困ったものだと苦笑しながら、ぼんやりと思う。
前の人生、たった一人でぼんやりと滅びを待ったあの人生。長年の夢であった女王の座を手に入れたものの、それ以外の全てを失くした、あの最期のことを。
今のこの状況は、あの頃からは想像もつかないほど込み入っていて、騒がしく、そして楽しかった。
「さあ三人とも、にらみ合っていないで朝食にしましょう」
微妙な表情で見つめ合う三人の間に割り込んだ自分の声は、驚くほどはずんでいた。
四人一緒に、少々ぎこちない朝食を済ませる。緊張していたのは私だけではなく、みんなも同じだったようだ。
いずれ慣れるだろうし、何か支障が出ない限りはこのままでやっていこう。アネットたちとの和やかな食卓にはほど遠かったが、これはこれで面白かった。
笑いをかみ殺しながら、みなを引き連れて執務室に向かう。今日からまた、書類との戦いだ。前の人生ではあんなにうんざりしていたこの仕事も、以前ほど気重なものではなくなっていることに気づき、一人そっと目を丸くする。
執務室の机の上では、いつものように書類の山が私たちを待ち構えていた。
「さすがはジェレミー、といったところでしょうか」
ニコラが手短に感想を述べる。なんだかんだで十日近く留守にしていたにもかかわらず、目の前にある書類の量は普段と全く変わらなかったのだ。
私たちが思っていた以上に、ジェレミーは有能なようだった。彼は毎日の業務を、積み残すことなくしっかりと終えていたのだから。
感心しながら席に着き、いつものように手分けして書類を片付けていく。ミロシュは私の背後に控え、気配を消していた。
「……ちょっと、ジェレミーに会ってくるわ。留守の間の礼を言っておきたいの」
仕事がある程度片付いたところで、そう言って立ち上がる。会釈するニコラとガブリエルに見送られ、執務室を出た。
当然のように、ミロシュはすぐ後をついてくる。彼はこの新しい任務を、張り切ってこなそうとしているようだった。とっさの思いつきだったが、こうしてみると護衛というのは、彼にはちょうどいい仕事だったのかもしれない。
軽やかな足取りでジェレミーの執務室を訪ねると、彼は仕事の手を止めて出迎えてくれた。突然の来訪にも嫌な顔一つせず、とてもにこやかに。彼は有能なだけでなく、人柄にも定評がある。彼のことを良く思わない人間の話など、聞いたことがなかった。
ああ、でも前の人生では、彼もまた私を見捨てていったのだった。大規模な内乱が起こってすぐだったろうか、彼が王宮から姿を消したのは。
そんな苦い記憶を押し殺して、優雅に微笑む。
「ちょっとだけ、お邪魔するわね」
「このようなところにわざわざおいでくださるとは、何かあったのでしょうか」
「いいえ。ただ、礼を言いに来たの。留守の間、私の執務をこなしてくれてありがとう。見事な手腕だったわ」
思ったままを口にすると、ジェレミーはほんの少し困ったように眉を下げた。
「私は、陛下の臣としてなすべきことをなしたまでです。お褒めいただくほどのことではありません」
そんな謙遜も嫌味っぽくならないのは、彼の人徳なのだろうか。
「そう、だったらこれからも頼りにしてもいいのかしら」
くすりと笑っていたずらっぽく語りかけると、彼もまたおっとりと微笑んだ。
「はい、どうぞ陛下のお望みのままに」
ジェレミーはうやうやしく答えて頭を下げる。とても優雅で、信頼の持てる仕草だった。
執務室に戻る道すがら、私はまだ浮かれた気分を引きずっていた。軽い足取りで歩きながら、すぐ後ろのミロシュに話しかける。
「彼は有能ね。それでいて、とても謙虚だし」
しかし返ってきたのは、どことなく固い声だった。
「はい。ですが、どうぞ油断なさらぬよう」
「ミロシュったら、ジェレミーのことも警戒しているの? 彼は大丈夫よ」
ふわふわと浮き立った気分に水を差されたように思いつつ、笑ってたしなめる。
「……はい」
そう答えるミロシュの声は、大いに不服そうなものだった。やはりミロシュは、少々肩に力が入りすぎているらしい。それだけ真剣に、新たな命をこなそうとしてくれているのだ。ほかならぬ、私のために。
廊下の窓からさんさんと降り注ぐ朝の日差しに目を細めながら、大きく笑みを浮かべる。
ああ、とてもさわやかな気分だ。今の私には、頼れる仲間がたくさんいる。これならきっと、あの破滅の未来にも打ち勝つことができる。きっと全てがうまくいくような、そんな気分だった。
ミロシュはまだ不服そうな顔をしていたが、それ以上何も口を挟んでこなかった。