表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/55

15.真夜中の満月色

 ニコラが去っていった後、私はたった一人考え込んでいた。寝台に横たわって、ぼんやりとあらぬところを見つめながら。


 あの破滅の未来において、どうしてニコラが私のもとを去ってしまったのか。その真意は、おそらく明らかになった。


 てっきり、あの時の彼は私に失望し、あきれ果てた末にいなくなってしまったのだとばかり思っていた。でも今のニコラによれば、どうやらそうではなかったらしい。


 きっと前の人生において、彼は私のことをずっと大切に思い続けてくれていたのだろう。そのことは嬉しかった。けれど同時に、責任も感じてしまった。彼の思いを、今度こそ裏切る訳にはいかない。裏切りたくない、と。


 私にできるだろうか。かつて夢をなくし、空しさにとらわれて全てを放り投げた、愚かな悪の女王である私に。


 弱気になっている自分をしかり飛ばす。できるだろうか、ではなく、やるしかないのだ。彼の思いにこたえることは、きっとあの破滅の未来を遠ざけることにもつながっていく。そう思える。


 目を閉じて、大きく深呼吸する。ふわふわと、面影が浮かんでは消える。ニコラ、ガブリエル、アネット。セレスタン。彼らの様々な表情を思い出しているうちに、こわばっていた体の力がすっと抜けていくのを感じた。


 それと共にようやく、眠気がやってきた。今日はもう、このまま休もう。そうして明日、また頑張ろう。


 口元に薄く笑みを浮かべたまま、私はゆっくりと眠りの中に落ちていった。




 夜中に、ふと目が覚めた。かすかな笛の音が聞こえたのだ。


 のろのろと身を起こしながら、まだ眠気の残る頭でぼんやりと考える。


 あの笛の音は、『彼』がやってきた合図だ。確か彼は、戴冠式の直前に王都を離れていた。そうして仕事を終え、ようやく戻ってきたのだろう。


 ゆっくりと目線を動かす。寝台から少し離れた床に、彼がひざまずいているのが見えた。


「……我が君」


「顔を上げて、ミロシュ」


 その言葉に、彼がゆっくりと顔を上げる。若く端正な顔の中で、目だけがきらりと光っている。


 月明かりに照らされた長い髪は紫を帯びた灰色で、朝焼けの雲によく似ている。こちらをまっすぐに見つめている目は満月をそのまま写し取ったようなほのかな黄色だ。少し浅黒い肌の色に、明るい色の髪と目は良く合っていた。


 くっきりとした目鼻立ちの異国風の顔立ちに、よく鍛え上げられたしなやかな体をした青年。まとっているのはごくありふれた、ちょうど騎士たちの私服に似たものだったが、それが意外にも似合っていた。


 彼はミロシュ、私の腹心の一人だ。正確には、たった二人だけの腹心の、もう一人。


 私はずっと、他人に心を許さずに生きてきた。十二の年で一族を、それもこちらのことをあなどっていた連中をまとめ上げるには、自分を取り巻く全てを警戒し続けるほかなかったのだ。ニコラと彼、ミロシュは、数少ない例外だった。


「我が君、今回の任務も問題なく終わった」


 ミロシュが低く落ち着いた声で、そう告げる。しっとりとした夜の闇を思わせる、穏やかな声だった。


 表で私を支えてくれるニコラとは違い、ミロシュは裏から私を補佐している。


 彼の主な仕事は、暗殺だ。あとは、遠方の偵察などもこなしている。ニコラも密偵を放ってはいるが、直接現地に出向いてより詳細に調べたほうがいいことなどは、ミロシュの担当だ。


 しかし今回は、何を頼んでいただろうか。ひざまずく彼から視線をそらし、記憶をたどる。


 彼に仕事を頼んだのは、戴冠式の少し前だ。暦の上ではそう日数が立っていないが、私はあの破滅の未来を経験し、それから戴冠式の日に戻ってきたのだ。


 そんなこともあって、私の感覚としてはもう半年以上経ってしまっている。その間に色々なことがありすぎたせいか、どうにも思い出せない。


「……そもそも、あなたに何を頼んでいたかしら。忙しかったからか、記憶があいまいで」


 しばらく悩んだ末、そんな間抜けな言葉を口にする。しかしミロシュは顔色一つ変えずに、すらすらと答えた。


 今回の彼の任務は、反乱分子の消去。要するに、政敵の暗殺だった。予想を裏切らない答えに、内心で頭を抱える。


「俺の痕跡は消してきた。誰も、我が君の命とは気づきようがない」


 どことなく誇らしげに彼はそう言って、ほんの少し上目遣いでこちらを見てきた。褒美を待つ犬のような表情をしている。


 彼は今回も、見事に任務を果たしてきた。そのこと自体は、褒めてやるべきなのだろう。


 ただ私は、もう後ろ暗い行いに手を染めるつもりはない。そんな悪行の果てが、あの破滅の未来だったのだから。偵察ならともかく、暗殺はもうこれで終わりだ。問題は、それをどうやって彼に伝えるか、だ。


「……とりあえず、あなたが無事に戻ってきてくれて良かったわ」


 考える時間を稼ごうと、そんなねぎらいの言葉をとっさに口にする。ミロシュはやはり期待に満ちた目で、こちらをじっと見つめていた。


 彼は、自分の仕事に誇りを持っている。そのたぐいまれなる身体能力で、私の役に立てることを何よりの喜びとしている。


 暗殺をやめさせるということは、そんな彼の誇りと喜びを奪ってしまうことにならないだろうか。しかし、これ以上誰かをあやめさせることにも抵抗がある。


 悩みに悩んで、恐る恐る口を開く。


「その、ね。……今まで、あなたの働きには大いに助けられてきたわ。けれどこれからは、暗殺はもう頼まない。後ろ暗いことは、なしにすると決めたから」


 一気にそう言って、ミロシュの様子をうかがう。予想通り、彼ははっきりと落胆の色を浮かべた。悲しげに眉を下げ、うなだれている。さらりと垂れ下がった明るい灰紫の髪が床に触れるほど深く、頭を下げてしまった。


「我が君、それでは俺は……もう必要ないということか」


 血がにじむような苦しげな声に、あわてて首を振る。しかし彼は顔を伏せているから、こんな動きをしたところで見えはしないだろう。そのことに気づいて、急いで立ち上がった。


 薄手の寝間着のまま彼に近づき、床に座り込む。そのまま、ミロシュの顔をのぞきこんだ。私の行動に驚いたのだろう、彼ははじかれたようにこちらを見た。顔いっぱいに、戸惑いを浮かべて。


「そうではないの。あなたは私の、数少ない……信じられる相手なのだから」


 とっさにそう口走って、違和感に首をかしげる。確かに、あの破滅の未来、孤独な悪の女王となってしまった私にとって、信じられるのはニコラとミロシュの二人だけだった。


 でも今は、そうではないような気がする。ガブリエルという大切な弟もいるし、アネットと友人になることもできた。セレスタンとも、一応は和解できたように思える。


 きっと前よりも、私の味方は増えている。でもだからといって、ミロシュをこのままにしておきたくもない。どんな形であれ、近しい者をもうこれ以上失いたくはなかった。


「……それでも、俺はもう我が君の役に立てない。やはり俺は、用済みになってしまった」


 私のそんな思惑とは反対に、ミロシュはどんどん落ち込んでいく。彼は私より年上の、れっきとした成人男性だというのに、まるで子供のように背中を丸めて、泣きそうな声でそんなことをつぶやいている。


 どうしたものかとあわてふためいていた私の頭に、ふとある考えがよぎる。とたんに、体がひとりでに動いていた。


「ミロシュ、聞いてちょうだい」


 床に座ったまま、彼の肩に手をかける。彼はうつむいたまま、ぴくりと身を震わせた。


「むしろこれから、あなたの力がもっと必要になるの。今までの行いのせいで、私には敵が多い」


 もし、今もなおあの破滅の未来に近づきつつあるのなら。私の敵は、もっと増えていくのかもしれない。そんな言葉を飲み込んで、さらに続ける。


「真正面から来たなら、私が『剣』で切り伏せられる。けれど、不意打ちや暗殺は、防ぎようがない」


 ミロシュがのろのろと顔を上げた。その満月色の目には、期待の光がともり始めていた。


「だからどうか、私の身を守ってもらえないかしら。これからは、私のそばで」


 そう口にしたとたん、ミロシュがはっとした顔になった。きびきびとした動きでこちらに向き直り、大きく肩で息をする。


「この身は全て、我が君のためにある。我が君の望みは、必ず叶える。どんな願いであっても」


 元暗殺者の彼は、まるで忠誠を誓う騎士のように堂々とひざまずく。それから私の手を取り、甲に口づけた。思いのほか優雅な、優しい仕草だった。


 月の光を受けて、彼の瞳が満月そっくりに輝く。その輝きに思わず目を奪われて、私は何も言えずにただ彼を見つめ続けていた。ほんの少し速くなった鼓動に、自分でも驚きながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ