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13.*貴公子が一人思うこと

 町の宿を仮の拠点として、セレスタンは黙々と情報を集め続けていた。きっかけはどうであれ、今回騒動が起こったのは自分が統治する領地だ。本来なら、自分一人で何とかするべき問題だったのだ。


 しかし今回、彼は女王であるリーズの力を少なからず借りることになってしまった。手伝わせてくれと彼女に頼み込まれたからではあったが、実際の戦いの場において、彼女はたいそう活躍していた。


 せめて騒動の後始末くらいは、きっちりと自分の手でつけておきたい。彼は、そう考えていたのだった。


「……リーズ、か」


 彼は書類をめくる手を止めて、宙を見つめてつぶやく。苦いものでも飲みこんだようにしかめられていた顔が徐々に緩み、何とも言えない複雑な表情へと変わっていく。


「……彼女が女王となることが決まった時、この国は終わったと思ったものだが」


 眉間のしわに手を当てて、彼は小声でつぶやく。彼の脳裏には、次の王を選ぶために彼ら三人が競い合っていた、その時の記憶がよみがえっていた。


 リーズはその競争の間、それは器用に、腹立たしいほど小賢しく、そしてあくどく立ち回っていたのだ。


 物の流れや価格を調整して、剣の家の領地だけが豊かになるようにしたり、貧民が盾や冠の領地に流れ込むように仕向けたり。まさかよその領地にならず者を放り込んでいるとは、彼女の動向を警戒していたセレスタンですら思いもしなかったが。


 しかしそれを抜きにしても、彼女のふるまいからは、貴族としての誇りも、王となる者としての心構えも、何も感じられなかった。彼女は勝利のために、何もかもをなげうっているかのようだった。そのどん欲さは、当時のセレスタンを大いに戸惑わせたものだった。


 過去に幾度も行われてきた、王を選ぶためのあの競争。そこでは、領地を統治する腕を問われる。そしてその場では、彼女が取ったような行いも許容されてはいた。


 しかしセレスタンは、正々堂々と戦うことを選んだ。未来の王たるもの、後ろ暗い行いに手を染めるべきではない、三つの領地は共に栄えてこそだと思っていたのだ。


 だから彼は、リーズとは距離を置いていた。どちらかというと、嫌っていたといったほうが正しいだろう。


 しかし同じように妨害され続けていたアネットは、リーズのそんな行いをこれっぽっちも気にしていないようだった。


 女王となったリーズが盾の城を訪ねてきた時の、アネットの様子を思い出す。彼女はまるで長年の友人を出迎えたかのような態度で、とても楽しげに笑っていた。


「アネットは、本当に器が大きいな……やはり彼女こそが、女王となるべきだったのだ」


 彼は、アネットのことをずっと気にかけてきた。緑深い山奥の村で生まれ育った少女が突然『冠』を受け継ぎ、しかも次の王を選ぶ場に引きずり出されてしまった。普通に考えれば、それは耐え難い重圧だろう。だから自分が手助けしてやらなくては。彼はそう決意していた。


 しかしアネットは、いつも軽やかな微笑みを絶やさない、明るく強い少女だった。


 冠の領地の統治がうまくいかなかった時も、リーズから強い言葉をぶつけられた時も、冠の一族の非協力的な態度に苦しめられた時だって、彼女はいつも笑っていた。


 次第に彼は、アネットに一目置くようになっていた。そうして彼は、アネットに告げたのだ。何か困ったことがあったら、いつでも自分を頼ってくれ、と。


 その時は、思ったよりもすぐにやってきた。それは、リーズの戴冠式が終わった直後のことだった。そろそろ故郷に帰るね、と別れを告げに来たアネットが、気になることを言い出したのだ。


 故郷に帰るって言ったら、なぜか冠の家の人たちが熱心に引き留めてきたの。今までは、あんなに冷たい態度を取っていたのに。なんだか、ちょっと怖かったわ。そう語るアネットは、彼女にしては珍しいことに、非常に困惑しているようだった。


 彼女の話を聞いたセレスタンは、大いに胸騒ぎを覚えた。まさかとは思うが、冠の家の人間たちは、とうとう彼女を消すことにしたのではないか。そんな疑念を、消すことができなかったのだ。


 一族の者と平民との間に生まれた、あか抜けない田舎娘。そんなものが一族の当主となってしまったということを、冠の家の人間たちはいまだに受け入れていないようだった。


 長い歴史の中で、そういった前例はいくつもあった。そしてだいたいは、当主の暗殺という形で終わっていた。


 だからセレスタンは、アネットと行動を共にした。彼女が王都を離れ、故郷のある盾の領地に入るところを見届けようと、そう思ったのだ。


 しかしその日の夜、すぐに刺客がやってきた。その動きを見た時、セレスタンはすぐに悟った。独特の剣の振り方、身のこなし。これはただの賊ではない。冠の家に仕える騎士だ。


 彼はそのまま、アネットを自分の近くに置くことにした。冠の家の人間たちも、盾の城の中まではそうそう手出しができないだろう。


 そんな彼の考えは当たっていたようで、それ以来アネットは自由にのびのびと、そして安全に過ごしていた。その姿を見て、彼は胸をなでおろしていた。


「それはいいとして、まさか彼女がリーズとあそこまで仲良くなるとは……」


 なんとアネットは、リーズをつれてお忍びで町に遊びにいってしまったのだ。そして夕方頃、二人はたくさんのお土産を手に戻ってきた。リーズはまだどこかぎこちなかったが、それでも二人の間の距離はずっと縮まっているように見えた。


「しかし、少し見ない間にリーズは変わったな」


 ここ数日のできごとを思い出しながら、セレスタンはしみじみとつぶやく。


 盾の城で、リーズはかつての悪行を素直に認め、謝罪した。そして自らの手でつぐなっていきたいと、そう言い切ったのだ。


 あの古い砦において、彼女は先頭に立って戦った。しかも、賊たちを誰一人殺すことなく、全て生きたまま捕らえていたのだ。


「今までの彼女のやり口を考えると、賊など問答無用で切り捨ててしまいそうなものだが……」


 そして彼女はためらうことなく、ガブリエルを守ろうとした。かつての彼女は、ずっと義弟のことを無視していた。彼女が身をもって彼をかばうなど、どう考えてもあり得なかった。


「私が割って入らなかったら、間違いなく彼女は重傷を負っていただろうに……」


 考えれば考えるほど、訳が分からなくなっていく。セレスタンはすっかりこわばってしまった眉間をほぐしながら、大きくため息をついた。


「……少なくとも、今の彼女には認めるべきところもあるのだろうな」


 そう言った声は、ひどく優しげなものだった。そんな声が出たことに自分でも驚いたのか、彼はすぐに勢い良く首を横に振る。銀細工のようなまっすぐな髪が、燭台の明かりを反射しながら華やかにきらめいた。


「だからといって、彼女の過去の行いを許す訳ではないからな!」


 一人きりの部屋の中で、彼は決まりが悪そうに叫ぶ。その顔はほんのりと赤らんでいたし、その言葉は、まるで誰かに言い訳しているような、そんな奇妙な響きを帯びていた。


 大きく息を吐きながら、彼はゆっくりと視線をさまよわせる。と、その目が机の上で止まった。小さな包みが、その片隅に転がっている。アネットとリーズが、お土産だと言って置いていったものだ。


 セレスタンは何気なく包みを手に取り、無造作に開ける。中からは、レモンの砂糖漬けの小瓶が出てきた。


 ぼんやりと小瓶を見ているセレスタンの脳裏に、これを受け取った時のことがありありと浮かんできた。


 お仕事頑張ってね、と笑うアネットの後ろでは、明らかにアネットのものらしい服を着たリーズが、やけに恥ずかしそうにしながらもじもじとしていた。


 突然おかしさがこみあげてきて、セレスタンはぷっと吹き出す。あの時のリーズの恥じらいっぷりときたら。


 たいそう女らしく甘やかな服が落ち着かないらしく、彼女はアネットの背後で小さくなって、頬を赤く染めていたのだ。それは、普段のりりしく偉そうな彼女からは想像もつかないほど愛らしい姿だった。


 彼は笑いながら瓶を開け、中の果実をひとかけら口に放り込む。さわやかな酸味と控えめな甘さが、仕事で疲れた体に心地良い。


「二人には、感謝しなくてはならないな」


 朗らかにそう言ってから、またセレスタンは黙り込む。


「……しかしやはり、リーズに感謝するというのもな……いや、彼女のことは見直したのだが……」


 どうやら、彼がリーズに対して抱く気持ちは、たいそうややこしいものになってしまっているようだった。甘くて酸っぱい、レモンの砂糖漬けのように。


 そんな自分の気持ちの動きに気づくことなく、セレスタンはまた書類を手に取った。無意識のうちに、さらに砂糖漬けを口にしながら。

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