11.それでも戦いは終わった
泣くガブリエルをなだめている間に、ニコラが音もなく近づいてきて耳打ちしてきた。
「砦の中の偵察が済みました。ならず者は全て片付いたようです」
無言でうなずきかけると、彼はさらに言葉を続ける。
「セレスタン様と盾の家の騎士たちは、応援の兵士たちが駆けつけるまでここに留まるとのことです。リーズ様にはアネット様とガブリエル様を連れて、先に最寄りの町まで戻っていて欲しいと」
「分かった、と伝えてちょうだい」
ニコラはまた、足早に去っていく。その背中を見ながら、ガブリエルがつぶやいた。まだ少し、涙ぐんだまま。
「……っく、姉様、ごめんなさい。僕、また迷惑をかけてしまいました」
「気にしないで。それでも無事に終わったのだから」
そんなことを話していると、今度はセレスタンが近づいてきた。やけに晴れやかな、温かな目をしているのは気のせいだろうか。
彼は私をちらりと見て、それからガブリエルに向き直る。
「一つ、伝え忘れていた。ガブリエル、後で君の話を聞かせてくれ。どうして君がここにいるのか、私たちが来るまでに何があったのかについて」
「後、でいいんですか?」
なおもしゃくりあげながら、ガブリエルが小首をかしげる。セレスタンは優しく微笑みかけ、ゆっくりとうなずいた。
「ああ、君は恐ろしい思いをしたばかりだろう。怖いことを思い出すのは、安全なところに戻ってからでいい」
ぺこりと頭を下げるガブリエルを見やってから、セレスタンが続けて私に向き直った。やはり、前よりもずっと優しい目をしている。
その表情の変わりっぷりにぽかんとしながらも、大急ぎで頭を下げた。どうしても、彼に言っておかなければならないことがある。
「さっきはありがとう、セレスタン。あなたのおかげで助かったわ、私たち二人とも」
その言葉に、返事はなかった。どうしたのだろうと顔を上げると、困ったような顔のセレスタンと目が合った。
「……女王となるために、他の家の領地にならず者を放つ。そんな卑劣な行いに手を染めていたことをあっさり認めたかと思えば、今まで放置していた義弟を必死に守る」
セレスタンは優しい目で、私たちを交互に見た。
「ずっと君のことを良く思っていなかった、ありていに言えば軽蔑していた私に対してさえ、君は素直に礼を言って頭を下げる」
私の行いを一つ一つ挙げていき、セレスタンは大きく息を吐いた。それからゆっくりと苦笑する。
「私は君のことが、分からなくなってしまった。君がいったい、どんな女王になるのか見当もつかない」
「言われてみればそうね。私の行動は、矛盾ばかり」
彼の声音は、いつになく優しいものだった。そのことに、じわりと胸が温かくなる。静かに微笑んで、ゆっくりとうなずいた。
「でも、これだけは言えるわ。私はもう、後ろ暗い行いに手を染めるつもりはない」
かつての自分の行いが、まわりまわってあんな恐ろしい未来を招いてしまった。それを知っている今となっては、もうこれ以上後ろ暗いことを重ねようとは思えなかった。
離れたところで礼儀正しく立っているニコラが、わずかに目を見張っている。ガブリエルはきょとんとした顔で、こちらを見上げていた。
「こんなことを断言できるようになったくらいには、私も変わったのかもしれないわね」
「……そうか。ひとまず、君のその心意気は認めよう」
セレスタンが、ひときわさわやかに笑った。アネットや他の者に見せていた、とても魅力的な笑みだ。あの笑顔がこちらに向けられることなんて、まずないと思っていたのに。
「だからといって、過去まで許す訳ではないが。……リーズ、それでは、また」
きまり悪そうに目線をそらすと、セレスタンはそのまま去っていった。最後に、ためらいつつもきちんと私の名前を呼んでから。気のせいか、銀の髪からのぞいた耳がほんのりと赤かった。
「……これって、一歩前進ってことでいいのよね」
セレスタンはずっと、私に冷たい目を向けていた。私はかつて、卑怯な手を使ってセレスタンとアネットを妨害し、そうして女王の座を手にした。彼にとって私は、女王ではあるもののこれっぽっちも敬意を捧げられない相手だったのだろう。
けれどこうしてならず者を共に討伐したことで、どうやら彼の気持ちも変わっていったらしい。打ち解けるというにはまだほど遠いけれど、少なくとも今の彼は、私のことを敵視していない。
こうやって一人ずつ、味方を増やしていくことができれば。そうすれば、あの未来を回避することだってできるのではないか。そんな気がしてならなかった。
大きな笑みが、自然と口元に浮かぶのが感じられた。
そうして私は、セレスタンたちを砦に残し、最寄りの町まで戻ることにした。私、ニコラ、アネット、ガブリエル、それに王宮から連れてきた騎士たちだけで。
馬の数が足りないので、ガブリエルは私と同じ馬に乗る。私は細身の女性だし、ガブリエルも年の割に小柄だ。二人乗りをしても、馬はびくともしなかった。
無事にならず者も退治できたし、どうにか全員無傷で帰ることができた。そのことにほっとしながら、のんびりと馬を走らせる。私だけでなくみなが、行きよりもずっとくつろいだ雰囲気を漂わせていた。
そんな中、ガブリエルの様子だけが少しおかしかった。私のすぐ前に座っている彼は、ずっと無言のままだった。話しかけても、どことなく上の空だ。
どうしたのだろう、と思いつつも、どう声をかけていいか分からなかった。領地の治め方なら知っているけれど、ふさぎ込んだ子供の慰め方なんて知らない。
いっそ、アネットに助けてもらおうか。彼女なら、こういう時どうすればいいか分かるかもしれない。
そんなことを考えながら手綱を取っていると、ガブリエルが唐突に口を開いた。
「……姉様、僕は……この内乱について探るために、ここに来たんです」
彼の声は、ひどく思いつめたものだった。その背中が、今にも泣きだしそうに震えている。思いもかけない告白にどう返事をしたものか悩んでいるうちに、彼はさらに言葉を続けていた。
「ジェレミー様が、教えてくださったんです……『こたびの内乱が起こっている場所が判明いたしましたよ。そう遠くありませんし、陛下もじきに戻られるでしょう。どうか、ガブリエル殿もご安心ください』って……」
小さく鼻をすするような音をさせながら、ガブリエルはさらに話し続ける。
「僕、どうしても……待っていられなかったんです。姉様は戦いに出ているのに、自分だけ安全なところにいるなんて……だから先回りして、現地で色々調べようと思ったんです」
「まさかそれで、王宮を飛び出してしまったの?」
「……はい。姉様の、役に立ちたかったんです。……逆に、足を引っ張ってしまいましたけど」
ガブリエルは前を向いたまま、うつむいて肩をすくめていた。
その言葉に、思わず天を仰ぐ。ジェレミーもまさか、ガブリエルが単身で砦に突進していくとは、思いもしなかったに違いない。というか、私も彼がこんな思い切った行動に出るとは思いもしなかった。
少女のようなか弱い外見によらず、彼はかなりの行動派なのかもしれない。ずっと彼に関わらないでいたから、こんな側面は知らなかった。
「こっそり偵察しようと砦に近づいたところを、ならず者に見つかってしまって……なぜかすぐに、僕の身元も割れてしまいました。僕の顔を知っている者がいたんです。そのせいで、人質にされてしまいました」
「……やっぱり、あのならず者たちの背後には何かがいるのね」
砦で戦ったならず者の中に、やけに身なりのいい者がいたことを思い出す。まるでどこかの役人か、あるいは下位の貴族のようないでたちだった。
「姉様も、そう思われますか?」
「ええ。しかも、あなたの顔を知っている者はそう多くない。これは、黒幕がたどりやすくなったかもしれない」
ガブリエルは剣の家の当主の義弟ではあるが、公の場にはあまり姿を現していない。そんな彼のことを知る者は、かなり限られるはずだった。
「お手柄よ、ガブリエル。きっとセレスタンも喜ぶわ」
以前の私だったら口にすることもなかっただろう言葉が、自然と口をついて出る。ならず者からガブリエルを救った経験は、私と彼の距離を確実に縮めてくれていた。
はにかむような笑い声が、すぐ目の前から聞こえてくる。ぴったりとくっついた体から、彼の体温が伝わってくる。たったそれだけのことが、ひどく愛おしいと思えた。