エンデューロに参戦③
コースに復帰した冬希は、一人で走っていた女性の後ろに着いた。
女性は冬希より、はるかに小柄だったが、空気抵抗がずいぶん違う気がする。
女性の後ろを走ることに抵抗を感じつつも、ごめんなさいと心の中で思いつつ、ドラフティングの練習をさせてもらう。
前の自転車との距離感で、どの程度の距離で空気抵抗が楽になるか掴めてきた。
真後ろではなく、少し右にずれたり、左にずれたりするが、変わらずに空気抵抗が軽い。
冬希が女性をストーキング(?)していると、後方から「右通ります!」と大きな声が聞こえてきた。
恐らく先頭を走っているであろうメンバーを含む10名程度の集団だ。
駅のホームで、通過する電車が通り過ぎるときのような風圧を発しつつ、冬希たちを追い抜いていく。
冬希は女性の後ろを出ると、その集団の最後尾にとりついた。
「うおおおおおおお、なんだこれ!」
集団はものすごい勢いで走っているが、冬希も集団に吸い込まれるように同じ勢いで走っていく。
サッカーグラウンドの横を通る時、時速43km。冬希にとって未知のスピードだ。
だが、冬希は息も上がらないし、ペダルも軽い。余裕でついて行ける。
本当に集団に引っ張られているような感覚に陥った。
ゴール前の上り坂以外は、ほとんど体力を使うことなくついて行ける。
これがドラフティングというものか。
集団は走っていく途中で冬希のような周回遅れを何人か拾い、そして何人か集団から千切れを繰り返してコースを爆走していく。
一向にスピードは落ちないが、先頭で風を受けている人は辛いのではないかと思っていると、前の方から一人減速して下がってきて冬希の横を通り過ぎ、最後尾に着いた。
かなり苦しそうだ。
それからも前から一人、また一人と下がってきては最後尾につき、冬希の位置も次第に前に来ていた。
集団では、順番で先頭を交代することでスピードを維持しているのか。
1周に一人のノルマのようで、1周ごとに冬希の位置も前に来ていた。
いよいよ先頭が冬希の番になった。
前を走っていた選手が左手で「前に出ろ」と合図をして、大きく右に避けて下がっていく。
冬希は、先頭に立ち、頑張ってペダルを踏む。
だが進まない。空気の壁のようなものが、目の前に立ちふさがっているようだ。
しかし、みんなで頑張って回っているんだ。
レースのトップ争いをしている選手たちの邪魔をしてなるものかと、限界までペダルを踏む。
サッカーグラウンド横で時速39km。頑張ってもこれが限界。
その後も、もう「これが最後の一周だ」というつもりでペダルを踏み続け、ようやく一周を終えた。
先ほどの選手がやったように、後ろを走る選手に、先頭交代の合図を送り、右側に避けて集団の後方へ下がっていく。
呼吸は苦しいが、出来るだけ集団と速度差が出ないようにゆっくりと下がっていく。
だが、替わった先頭は、一気に速度を上げていこうとする。
このままでは息の上がった冬希は集団から取り残されることになる。
「おい、ペースを上げるな!!」
集団から罵声が飛び、先頭はビクッとして振り返り、オドオドした様子でスピードを落とした。
どうやら、先頭に立った瞬間に速度を上げるのはマナー違反らしい。
先頭の彼もレース初心者らしく、自分が先頭に立った時に、頑張って集団を曳こうと、張り切ったのだろうが、逆に怒られて、しゅんとしてしまった。
危ない危ない。
冬希は彼の気持ちが痛いほどよくわかった。
スピードを上げるだけの能力が冬希にあったならば、怒られていたのは冬希の方だっただろう。
冬希は、張り切ってはいたものの、単純にスピードを出せなかっただけなのだから。
冬希は、また暴走列車のように走る集団の後ろについて、なんとか呼吸を整えながら次の先頭交代に備えた。
しかし、次の先頭交代の機会は訪れなかった。
エンデューロも、残り10分になった段階で、集団のペースが一気に上がり、集団の中頃に居た選手がペースアップについて行けず、中切れが発生し、集団が真っ二つになったのだ。
後ろの集団に取り残された選手たちが、一生懸命に前の集団を追う。
後ろの集団は、前を追う4人と、前を追えない3人でさらに分裂した。
中切れを起こした選手の後ろで、取り残された冬希は、このまま大人しくゴールしようと思った。
「あぁ、もうだめかぁ・・・」
冬希の後ろにいた、中年のおじさんが、残念そうにため息をついた。
ペースが上がる直前まで先頭を曳いていた人だ。
先ほどの、時間が残っている時点での無駄なペースアップと違い、今回は優勝争いに必要な、アタックによるペースアップだったため、運が悪かったとしか言いようがない。
ただ、冬希の脚は多少なりと回復している。
レースに参加できた。ドラフティングも経験できた。先頭交代にも加わった。
この運が悪い人を、先頭集団まで引き上げることが出来れば、今回のレースは更に楽しいものになるだろう。
楽しい?
スポーツ推薦で合格するためだけに始めた自転車で、冬希は人生で、感じたことが無い達成感を味わっていた。
自転車で色々な人と協力したり、競ったりするレースが、たまらなく楽しくなってきていた。
「曳きますよ。先頭に追い付きましょう!」
冬希は後ろの人に声をかけると、中切れを起こした選手を抜いて、残るすべての力を振り絞って、前の集団を追った。
1周半ほど走ったところで、冬希と後続の中年男性は、先頭集団に合流することが出来た。
電光掲示板を見ると、残り時間は3分から4分ほど。
集団は大幅にペースを落としていた。
でなければ、冬希は中年男性を連れて、集団に合流することなど、出来なかっただろう。
どうやら、アタックをかけた選手たちが後ろから追いかけていた集団に追い付かれ、今度は余力を残すために先頭の押し付け合いになっていたようだ。
「はぁ、はぁ、頑張ってください・・・」
息も絶え絶えで冬希は集団から脱落していった。
力は出し尽くした。子供たちにも抜かれていく。だが胸に熱いものが込み上げてきた。
ゴール前の坂を上ると「カランカラン」とベルを鳴らす音が聞こえる。
最終周の合図だ。電光掲示板の時計はもう20秒を切っている。
冬希は、かろうじて90分経つ前に、ゴールラインを通過し、もう一周走ることが出来た。
いや、もう少しゆっくり走っていたら、もう一周走らなくてすんだのか。
もうひと踏ん張りだと思っていると、後ろから先頭の集団が殺到してきた。
時間前にゴールラインを通過した冬希と違い、彼らはこのゴールラインが優勝争いのフィニッシュだ。
ものすごい勢いで殺到してくる。
5人、いや6人か。
怒涛の勢いでゴールに殺到する選手たち。
先頭の選手が両手を上げながらゴールを通過してきた。
レースの優勝争いってこんなに迫力があるのか、と思っていると、先ほどの中年男性もゴールしたようで、冬希に並走してきた。
「あ、お疲れ様です。」
「いやー、さっきはありがとう!」
「いえ、どうでした?」
「ギリギリ3位になれたかどうかってところだね。君のおかげだよ」
手を差し出され、冬希もその手を握り返した。
ゴールを切った選手たちは、コース外に出ていく。
「あ、ゴールしなきゃ・・・」
冬希は、だれもいなくなったコースを、一周してゴールした。
結果を見ると、冬希はソロ参加者の40人中33位。
途中から先頭集団と同じペースで走ってはいたが、それまでは芝生に数周分は寝転がっていたので、致し方ない。
中年男性は、3位に入賞していた。
初の入賞らしく、本当に喜んでいた。
表彰式の後、またしきりに握手を求められ、自分は持っているからと、賞品のパーツクリーナー、靴下、サイクルキャップ、チェーンオイルなど、全部を冬希に渡し、自身は賞状だけを大事そうに抱えて帰って行った。
冬希は、33位なのに大量の商品をリュックに入れて持って帰ることになった。
自転車レースは面白い。
初心者なのに、集団の中に入ることで考えられないようなペースで走れた。
周回遅れなのに、先頭集団に交じって先頭交代という役割を果たせた。
最後は、全く知らない人のアシストを行い、感謝された。
この週末は本当に楽しかった。
すぐにでも次のレースに出たい気持ちになった。
だが、当面は大量の荷物を背負い、これからまた50kmの道のりを、帰らなければならない、という問題に直面していた。
▼90分エンデューロ
33位 27周 1:33:27:20