フラッシュバック
神崎高校自転車部の、一応関係者的な立場にある浅輪春奈は、全国高校自転車競技会本放送の後、夜に放送されたダイジェストの方も、最初から最後まで見ていた。
リビングで見ているため、台所で家事をしている春奈の母も、最近ではだいぶ詳しくなってきた。
本放送の最後のギリギリで、近田に対するペナルティが発表され、そのまま理由もわからず、表彰式が終わって番組は終了となった。
ダイジェスト版では、近田のペナルティが、補給禁止区間で、チームメイトからボトルを受け取ったことについて、自己申告があった旨が解説者から説明された。
だが、ファンが見たかった、近田がボトルを受け取るシーンは、そのタイミングでバイクカメラが近田のそばにいなかったのもあり、撮影されていなかった。
代わりに、近田がボトルを受け取った、立花という選手に、冬希がボトルを手渡し、前の方を指差している映像が繰り返し放送された。
『あー、ここですね。グリーンジャージの青山が、モトバイクから受け取ったボトルを、立花に渡してます』
実況が熱のこもった声で言った。
『恐らく、前を指差してるここで、お前たちのリーダーがボトル落としたから届けてやれ、って言ってるんでしょうね』
解説も、合点がいったとばかりに同意する。
大会運営が用意しているボトルの色は、オレンジ、黒、青の3色だが、冬希が立花に渡したボトルの色と、ゴール時に近田のボトルゲージに差さっていたボトルの色が同じ青だったため、ポイント賞リーダーの冬希が立花に言って、ボトルを届けさせたのではないかというのが、大方の意見のようだ。
事実、近田は、異常な気温の中で、水分補給ができずに、ふらふらになってリタイヤ寸前のところを、立花に救われたという。
『青山というか、千葉は第1ステージからそうですが、かなりのところまでレース展開を読んでいるのかもしれないですね。近田がボトルを補給できない状況になるというところまで』
解説は、かなり感心した様子だ。
『しかし、これは敵に塩を送る行為になるのではないでしょうか』
『だから、彼らにはそういうことはきっと関係ないんでしょう。そういう価値観とは、違う次元で走っているんですよ』
テレビを見ながら、キッチンで洗い物をしている春奈の母親が、
「なんか、かっこいいことをする子ねぇ」
と褒めるのを見て、春奈はちょっと嬉しくなると同時に、この時の心境を本人に聞いてみたいと思った。
春奈のスマートフォンが鳴り、メッセージを受信したことを告げる。
「今から、時間ある?」
冬希からだ。
その前に、春奈の方から
「落ち着いたらでいいから、ちょっと話できる?」
とメッセージを送っていた。
冬希は、どんどんその知名度を上げて、ファンもそれなりに多いようだし、自分を置いてどんどん遠くに行ってしまうように思えてしまう。
だが、春奈は卑屈になるようをやめようと思った。
冬希は、自分が有名になったからといって、春奈に対する態度を変えるような人間ではないことは、春奈が一番よく知っていた。
「大丈夫!」
と返信を送る。
「ちょっと電話してくるね」
「春奈、あなた彼氏ができたなら、ちゃんとお母さんにも紹介しなさいよ。そういうの大事だからね」
「うーん、まだ彼氏っていうのとはちょっと違うかな。あと、多分、お母さんも知ってる人だよ」
「え?」
不思議そうな顔をしている母親を置いて、春奈は階段を上がっていく。
さっきまで、テレビで見ていたのだから、まるっきり知らないというわけではないはずだ。
自室に入り、春奈がベッドに寝っ転がったのとほぼ同時に、音声通話の呼び出し音が鳴った。
「もしもし」
『もしもし』
冬希の声だ。
「今日もお疲れ様。大変だったね〜」
『今日は、あんまし何もしてないよ。1つ目の山に登るのが大変だったのと、その後集団を引っ張った後は、ちんたらしながら帰ってきただけだから』
「ねえねえ」
『うん?』
「立花選手にボトル渡して、近田選手に渡すように言った?」
『え、なんで知ってるの!?』
ギョッとした表情をしているんだろうな、と春奈は思った。残念ながら、ダイジェスト見てた人はみんな知ってます。
「それって、昨日言ってた、孤立してた立花選手のため?」
『うーん、そうだなぁ。近田さんがボトル落として、でももらう暇ないだろうなと思って、ずっと気になってたんだよね』
「そうだったんだ」
『で、ふと見たら立花選手がいたから、こいつに届けさせてやろうと』
冬希の声は、悪戯をしてやった子供のように楽しそうだ。
「よく、素直に届けてくれたね〜」
『お前には貸しがあったよなぁ、って脅した』
「うわー」
春奈は、心底ひいた声を出した。
『なんか、全てが思い通りに運んで、今日はいい日だった』
「全てってことは、立花選手は、チームの人たちと仲良くなれたの?」
『ああ、今夜は、親父さんの予約した高いホテルをキャンセルして、チームメイトと同じホテルに泊まるんだって。福岡チームと同じホテルに泊まる植原が、言ってた』
「おお、冬希くん、良い事したねぇ!!」
立花とは全く面識がないし、どんな人かもわからないが、それでも春奈は嬉しくなった。冬希がそのきっかけを作ったということが、自分のことのように誇らしかった。
『・・・小学生の頃』
「ん?」
『昼休みとかに、クラスのリーダー的存在の子が、みんなを誘ってボールを持って校庭に遊びに行くんだけど』
「うん」
『その時に、俺は声をかけてもらえなかったんだよね』
「・・・」
『別にそのリーダーの子から、お前は来るな、って言われてた訳ではないんだけど・・・なんか参加しちゃいけないような気分になって、図書室で本を読んでたんだ』
「うん」
『あの時、どうすれば良かったんだろうって。今でも、たまにその時のことを思い出すことがあるんだ』
冬希は、少しのあいだ言葉を選んでいるようだった。
『同情というわけではないと思うんだ。でも、彼の上手く立ち回れない不器用さを見ていると、どうしても他人事とは思えなくって』
「うん」
『実は、立花がチームに上手く溶け込めたことで、俺も救われた気がしたんだ。その頃の嫌な体験が、この日の為にあったとするなら、辛い思いをして良かったなって思えたんだ』
「そっか」
春奈は、嬉しそうな声色で言ったので、急に冬希は気恥ずかしくなった。
『なんか、変に語ってしまった。ゴメン。なんか静かに聞いてくれるから色々話してしまった』
冬希は照れ臭そうにしている。
「じゃあ、これはボクから冬希くんへの貸しとしておこう」
『え?今ので!?』
「ということで、千葉に帰ってきたら、ボクにちょっと付き合ってもらおう」
『いや、いいんだけど・・・俺に何をやらせるの?』
「そうだなぁ、最近、海を見てないから、海を見に連れて行ってもらおうかな?」
『海、見たいの?』
「見たい。ボク、海超好き」
『なんで片言・・・いや、いいけど。葛西臨海公園でいい?』
「超近いんだけど!!海っていっても東京湾だし!いや、いいところだけどさ」
『次に行くところが、海なんだよ。ずっと海なんだよ。どこまで行っても海なんだよ!』
「え?次はどこに行くんだっけ・・・?」
冬希は、腹の底からため息を吐いた。
『屋久島。1ヶ月に35日雨が降るという、あの屋久島だよ』
「あー・・・ゴシュウショウサマ・・・」
春奈は、雨の日に決して自転車に乗ろうとしなかった冬希に対して、心からお悔やみの言葉を申し上げた。




