全国高校自転車競技会 第1ステージ(佐賀空港~博多)③
福岡で。自転車競技部の面々が戦っているころ、神崎高校の理事長、神崎秀文は、自身の執務室でTV中継を見ていた。
第1ステージは、平坦ステージで前半は特にレースが動かないという想定の下、中継はレース開始から1時間経過したところから始まった。
実況『スプリントポイントは、逃げた3名が榎田、奥田、佐野の順で通過しました』
解説『その後のスプリンターの4位争いがすごかったですね』
実況『はい、4強の柴田、土方、松平、草野、そして全日本王者の坂東の5人が僅差でスプリントポイントを通過しました』
解説『熱かったですね!』
神崎の視線は、その後ろで、ちらりと見えた青いジャージに吸い寄せられた。集団の外に一瞬出かかったが、途方に暮れたようにそのまま下がっていった。
「何やってるんだろう・・・」
神崎は苦笑した。あれは冬希だという事はすぐにわかった。スプリントにチャレンジしようとして、何もできずに、そのまま戻っていったんだろう。
おそらく船津の指示で、冬希に経験を積ませたかったのかもしれないと神崎は思った。
指示ではなく、ただ単に煽っただけかもしれないが、どちらにしても、今神崎高校の選手たちには、余裕があるという事だろう。
今日は、勝負するステージではない。先頭集団の中で、無事にゴールしてくれればいい。神崎は、静かに戦況を見守った。
同じく神崎高校の体育館裏、浅輪春奈は、スマートフォンでネット中継されている全国高校自転車競技会を見ていた。
春奈は、自転車競技部の部員ではないし、部室に入り浸っているわけでも無いが、自転車を提供してしてくれた部には恩を感じているし、何より親友(春奈がそう思っているだけだが)である冬希がレースに出ているのだ。見ないわけにはいかない。
ちょうど昼休みだが、昼休み中にレースがゴールしなければ、授業には遅れていくつもりだった。
中継開始直後、チラリと見慣れた青いサイクルジャージが目に入った。あれは冬希だ。
「お~すごい。テレビに映った!」
本当にあそこを走ってるんだなと、妙に感心してしまう。
TVで見ると、集団はかなりの人数が居り、密集していて見ている方がひやひやしてしまう。せめて無事にゴールしてもらいたいと、春奈は心から思った。
メイン集団は、やよい坂手前で逃げ集団の1年生3人組を吸収した。
吸収される直前、逃げ集団の3人は、それぞれ健闘を称えあって、握手を交わした。1年生でありながら、ゴール前20km地点まで逃げ続けたのだから、十分に爪痕を残したと言えるだろう。
ただ、メイン集団からすると、いつでも吸収できる状態を維持しつつ、3人を「かわいがっていた」だけに過ぎなかった。
昨年優勝の静岡が集団をコントロールしていたが、そこからスプリンターチームが集団の前方に上がってきて、一気に逃げ集団を吸収してしまった。
スプリンターチーム達からすると、特に集団を吸収しようとしてペースアップをしたのではなく、ただ、集団の前の方に位置しておきたいという思惑があっただけなのだが、結果的にポジション争いの結果ペースが上がり、逃げ集団を吸収してしまった。
スプリンターチームにとって、第1ステージは、自分たちの勝負のステージではあるのだが、今回、ゴール12~3㎞前地点に、3級山岳ポイントが存在する。油山片江展望台だ。
距離は2.2kmと短めだが、斜度は平均8.3%と、それなりに厳しい登坂となっている。
エーススプリンター達は、あまりヒルクライムが得意ではないため、登り始めると、総合系のチームに遅れる可能性が高い。そこで少しでも早いうちに前のポジションが欲しかったのだ。
油山観光道路に入り、登りが始まる。ここで、地元の福岡が仕掛けた。
402番舞川がエースの近田を引き連れて、強烈なペースで坂を上っていく。静岡や東京、神奈川などはその後ろに付いていくが、スプリンターを擁するチームはとても付いて行けない。
千葉の神崎高校も食らいついていく。先頭に平良柊、その後ろに船津、平良潤、郷田、冬希の順だ。
最悪、冬希は遅れてもいいというオーダーは出ていたが、ここがゴールだと思って力を振り絞って登る。
ここで、集団の前の方が総合系チームの福岡、静岡、東京、宮城、愛知、岡山、千葉、三重、広島、大分等、後ろの方がスプリンター系チームの北海道、福島、山梨、島根、熊本、鹿児島と、はっきり分かれた。
唯一、佐賀の坂東は、ある程度登れるスプリンターであるため、総合系のチームの真後ろに付けることが出来ていた。
山岳ポイント、1位通過は福岡の舞川。2ポイント獲得して、あとは無事にゴールすれば本日の山岳リーダー確定となった。2位は近田で1ポイント。
展望台でUターンするとそのまま下りになる。道が細い為、そこまでスピードは出せない。総合系チームも横に広がっているので、後ろからの追い抜きは出来ない。
そのまま、集団は2つに分裂した状態で油山観光道路を北上する。残り10kmを切った為、一気にペースが上がっている。
登りで集団から千切れたスプリンター系チームの塊も、惜しみなくアシスト選手を使い捨てながら集団前方を目指す。
しかし、総合系チームも、救済措置が取られる3㎞付近までは絶対に足を緩めない。
千葉の神崎高校も、平坦になった事で先頭を郷田に代わり、潤、柊、船津、冬希の順で集団前方に居た。今日のゴールは、3㎞地点だと言ってもいい。
総合系の名門チームが集団を牽引していたので、冬希たちは、比較的脚を使わずに集団に残ることが出来ていた。冬希も脚を回復させることが出来た。
「あとは、このまま3㎞地点を通過すれば、今日の仕事は終わりだ」
潤がチームのみんなに声をかける。総合系のエースたちと同じ集団でゴールし、タイム差がつかなければ、順位はどうでもいいのだ。無理に危険な勝負をする必要はない。
「そろそろ草香江の急コーナーだ。無理せず十分に減速して確実に回れ」
船津から指示が飛ぶ。
油山観光道路の先に、草香江という270°ぐらいの急カーブがある。第1ステージの最大の難関だ。スピードが超過した状態で曲がると、集団落車が発生する危険ポイントだ。神崎高校の選手だけではなく、集団全体に緊張が走る。
その時、冬希の耳に聞いたことのある曲が聞こえてきた。
「船津さん、聞こえませんか?」
「・・・ああ、うちの校歌だ」
船津はうなずいた。
草香江の急カーブの内側に、いびつな形をしたビルが建っている。そこに神崎高校の校歌を演奏する一団がいた。神崎高校の吹奏楽部の部員たちだ。
各校の応援団は、スタート位置かゴール付近に待機することが多い。しかし、彼らは、一番スピードが落ちるこの位置が一番選手たちに演奏を聞かせることが出来る場所だと、待っていてくれたのだ。
「ブレーキ!!」
前方から声がし、メイン集団は十分に減速して草香江のカーブを曲がっていく。その時、いびつな形をしたビルの1階入り口付近にいる、吹奏楽部の部員たちが見えた。
彼らは、必死に校歌を演奏してくれている。千葉を遠く離れて遠征して来た福岡の地で、耳に馴染んだ校歌を聞いた神崎高校の選手たちは、胸に熱いものが込み上げてきた。
演奏している部員たちの脇に、楽器を持っていない生徒たちがいた。その中に、冬希は、ある女子生徒を見た。
荒木真理だ。
入部したてで未経験の1年生はまだ楽器が吹けず、楽器運搬などのサポートで福岡に来ていた。
真理は、ずっと冬希だけを見ている。
冬希も、ずっと真理だけを見ていた。
集団は加速し、舞鶴城址の方へ進んでいく。演奏されている校歌も、次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
船津は、先ほどまでと、全く違った空気を纏っていた。
しかし、それは船津だけではなかった。郷田、潤、柊、そして冬希。全員、目の色が変わっていた。
「青山、行けるか」
船津は問いかける。
「はい」
冬希は力強く答えた。
「郷田、3㎞地点を過ぎたら、青山を先頭まで引き上げてくれ」
「わかった」
郷田も言われるまでもなくやる気だ。
「吹奏楽部の連中があそこまでやってくれているのに、今日勝負しないなんて、母校の連中に顔向けができないからな、青山」
「はい」
「勝てとは言わないが、ゴール前、学校の連中に神崎高校の姿を見せつけて来い」
「了解しました」
冬希は、ボトルゲージのボトルを取り出すと、一口飲んで沿道に投げ捨てた。




