全国高校自転車競技会 第2ステージ②
玄界灘の海風が強い。集団は横風の影響で、道路一杯に広がっている。
この海風が、簡単に逃げが決まった要因の一つかもしれないと考えると、山口代表の3選手だけを責めるのは、酷な気がした。冬希たちが集団をコントロールしていたとしても、それなりに苦労しただろう。
メイン集団は、まずは三瀬峠の上りの前に設定されている中間スプリント地点を目指して進んでいる。だが、逃げ集団が30名いるため、与えられるスプリントポイントは、逃げ集団の中だけで終わってしまい、メイン集団の先頭で中間スプリント地点を通過しても、1ポイントも得られない。
集団の先頭は佐賀の多田だが、自らの脚を削ってまで逃げ集団を追う、という勢いではない。
冬希がチームメイトがいる位置まで下がっていると、佐賀の坂東裕理、天野優一の姿が見えた。水野は逃げに乗っており、残り2人の3年生、鳥栖、武雄の姿は見えない。水野を逃げに乗せるための仕事をした後、後方に下がったのかもしれない。
「裕理さん、今年は水野選手で勝負ですか?」
冬希は直球で切り込んだ。べらべらと裕理にしゃべらせると、術中にはまる可能性がある。
水野で勝負するつもりなら、佐賀としては逃げ集団に追いついてほしくないはずだ。だが、天野で勝負するつもりなら、水野が総合リーダーになったところで、意味はない。
むしろ、大きなタイム差をつけて逃げ集団が逃げ切り、新たに今大会をリードする総合リーダーが生まれるのを嫌うはずだ。その選手を天野に追いかけなければならないという意味では、むしろ苦労が増える。
「何と言われようが、うちは追走に協力しないぜ、冬希」
「つまり、本命は水野選手ではなく天野選手だと」
裕理も天野も、一切表情には出さない。だが、冬希は自分の予測が正しいのだと思った。水野という選手は、国体で天野をアシストした。上りもある程度上れる。まだレースでは能力の底を見せていないが、黒川や植原と過酷な総合争いを戦っていける程ではないのだろうと考えることにした。
「逃げを何とかしようと思うのですが、逃げた選手がわかれば教えてもらえますか?」
「冬希、俺らが協力すると思うか?」
「捕まえるのは中間スプリントを過ぎてからにしますから」
「・・・・・・気に食わねえな。その見透かしたような言い方」
「普段の裕理さんはもっと酷いですよ」
裕理はバツが悪そうな顔をしたが、後ろを走る天野を振り返り
「教えてやれ」
と一言言った。
佐賀としては、5人程度の逃げ集団に水野を乗せられれば、と思っていた。
だが、思いのほか逃げ集団が大きくなってしまった。
水野で中間スプリントでスプリントポイントを獲りたいだけだったので、集団が大きくなって競争相手が増えるのは望ましくなかった。
また、逃げ集団の中に無名の強豪選手が混じっていることで、天野の総合優勝の障害になるのではないかという懸念もあった。
天野はスタート直後、裕理を除く3人のチームメイトを集団の前方に引き上げる仕事をした。
牧山が飛び出した後、鳥栖、武雄の2名が水野を引き連れてアタックした。
水野は、ほとんと脚を使わずに牧山に合流した。
その後、逃げに乗りたい選手たちが次々にメイン集団を飛び出していく様を、ずっと見ていた。
天野は、飛び出していった選手たちのゼッケン番号を冬希に伝えた。
わかる範囲でどこのチームかも言おうと思っていたが、冬希はゼッケンだけでチーム名どころか名前まで答えた。
この人は全選手の名前を憶えているんじゃないだろうか、と天野は驚きを禁じ得なかった。
「僕が見ていたのは、以上の28名です、青山選手。ぎりぎりで飛び乗った2名については、わかりませんでした。」
「ありがとうございます。残りの2名はわかります。234番愛知の玉置選手と、405番福岡の都府楼選手です。先ほど前で立花に確認しました」
「なるほど、これで30名全員ですね」
二人の会話を聞いていた裕理が
「お前ら、何でお互い敬語なんだ?」
と言った。
「裕理さん、ちょっと不味いかもしれないですね」
「愛知の玉置の事だな、冬希」
「はい、インターハイ強豪校の愛知の清須高校の1年生3人は、全員次世代の総合リーダー候補の一人だという話です。タイム差をつけられたら厄介かもしれません」
「かもしれんが、うちは協力できないぜ。水野は逃げに乗っているし、俺ら以外の二人は水野を逃げ集団に乗せるという仕事を終えて、メイン集団の後方で休んでる頃だ。だがな冬希」
天野は、裕理のまとう雰囲気が変わったのを感じた。
「今頃、水野が嫌がらせを開始しているころだ」
茨城県のエース、牧山は違和感を感じ始めていた。
無事に逃げを決めた牧山としては、30人もの逃げ集団を形成できたことは、大成功と言ってよかった。だが、思ったほどメイン集団との差が開かない。
メイン集団のペースが速いわけではない。むしろ逃げ集団のペースが上がらないのだ。
原因はわかった。逃げ集団の10番付近に位置する佐賀の水野が、先頭交代のローテーションに加わらないのだ。
先頭を牽き終えた選手は、水野の前に入れられる。水野の前の9人だけで先頭交代をさせられていたのだ。
30人で先頭交代すれば、差を開くことは容易なはずだ。
しかし、誰しも自分の脚を削って先頭交代に参加したい選手はいない。
先頭交代に加わりたくない選手は、水野の後ろを走ることで、先頭交代に加わらずに済んでいる。
そうなると、面白くないのは前方で先頭交代に参加している9人だ。
自分たちだけ脚を使わされ、残りの21人は楽をしている。やがて、先頭交代していた9人も、馬鹿馬鹿しくなり、本気で先頭を牽かなくなってきた。
「回れよ!」
牧山は、右手の人差し指を下に向け、くるくる回して先頭交代を促した。
しかし、水野は首を横に振り、水野より後ろの選手は牧山を冷ややかな目で見ている。
「大人数の逃げの、悪いところが出たか」
人数が多くなれば、意志の統一を図るのが難しくなる。牧山は、期待したほど状況がよくないことを認めざるを得なかった。
中間スプリント地点まで残り1㎞となった。
先頭交代に加わらない組の先頭である水野が飛び出した。
先頭交代に加わっていた9人に、追いかける脚はない。
一人、水野について飛び出した。
宮崎の小玉だ。
ローテーションに加わっていない選手の一人だ。
小玉は水野の後ろについて、中間スプリント100m手前で水野を抜くと、1位で中間スプリント地点を通過した。
「マジか・・・・・・」
小玉の動きは、牧山にとって驚くべきものだった。
中間スプリント地点の通過順が書かれたホワイトボードを掲げたモトバイクがメイン集団を追い抜いていった。
水野は、中間スプリントポイント1位を取り損ねた。
しかし、裕理は心底嬉しそうだ。
裕理は、冬希と天野のほうを見て言った。
「見たか天野、冬希。宮崎の小玉の逃げは、南のために中間スプリントポイント1位のポイントを他の選手に獲られないように、潰すためだったんだ」
冬希は裕理が何を考えていたか理解して、息をのんだ。
「宮崎は、南のためのチームになっているんだ。今大会、有馬は消えたぜ」
どこよりも仲が良く、結束が固かったように見えた宮崎の選手たちに、そんなことがありうるのか。冬希は、背筋が寒くなるのを感じた。




