黒川と多田
全日本選抜自転車ロードレースU18のレース終盤、何やら揉め事が起こっている。
多田悟は十中八九、自分の幼馴染でありチームメイトでもある黒川真吾が関わっているだろうと思った。
黒川は、自転車ロードレースについては、高校2年生にしてプレミアツアーでシーズン優勝を勝ち取るほど群を抜いた実力を持っている。しかし、直情的な上に能力がない者の気持ちが理解できないため、チーム内外で頻繁にトラブルを起こしていた。
彼には、自分より能力が劣っているにも関わらず自分以上に努力をしない人間が理解できなかったのだ。
レースというものは、能力が高いものが勝つのが当たり前であり、能力を高める努力もせずに、結果だけ得ようとする人間は、卑劣だと考えていた。
それは、能力があるものの理論であるのだが、黒川は自分が正しいと信じ、疑わなかった。
多田は、幼稚園の頃に黒川と知り合って以来、色々なことに巻き込まれ続けてきた。
黒川は腕っ節が強く、周りに迎合しない性格なので、多田は黒川のやりたいことにつきあい続けてきた。
自転車ロードレースも、黒川が中学入学時に祖父からもらったロードバイクでレースを始め、多田もそれに付き合う形で一緒にレースに出るようになった。
黒川は、ビギナークラス、スポーツクラス、エリートクラスと、ほとんど毎回レースで優勝し、地元のユースチームから勧誘を受けた。
黒川は、多田と一緒ならという条件で、加入を承諾した。
多田も、スポーツクラスでは優勝できるようになっていたため、加入が認められた。
ちなみに、この段階まで、黒川は多田の意志を一度も確認していない。それはいつものことだった。
高校入学と共にユースチームに加入した黒川は、高校1年の頃からJプレミアツアーの選手に選ばれるほど、卓越した能力を見せていた。だが、多田と一緒でなければ出ないと言ったため、黒川がプレミアツアーのレースに出場するようになったのは、高校2年になって多田も選手に選ばれてからだった。
多田には、黒川が何を考えて、自分と一緒でなければレースに出ないと言っていたのかはわからない。聞いても、
「しょうもないことを聞くな」
と言われるだけだった。
黒川は、チームメイトともトラブルを起こしたし、他チームの選手ともトラブルを起こした。
2年生にして早々にエースになった黒川は、自分の注文通りの動きができないチームメイトを痛烈に非難した。自分より実力が劣るのであれば、アシストとしての役割を果たすべきだというのが黒川の言い分だった。自分勝手な動きをしたければ、それだけの実力をつけてやれというのだ。
他チームの選手に対しても、付き位置で、黒川の力を利用して勝とうとする選手がいれば、そんな走りをして恥ずかしくないのかと、嘲笑した。
多田からすると、ただ単純に能力だけで自転車ロードレースの結果が出るのであれば、ローラー台で機械的に走力を計測して優劣を決めればいいだけであって、自転車ロードレースというのはそもそも黒川が言うような単純なものではないはずなのだ。
多田は、自分が黒川と他選手の緩衝材的な役割を果たすべきだと理解した。
しかし、多田とてずっと黒川に付きっきりで走り続けることなど出来はしない。結局、今日のような出来事は起こってしまうのだ。
多田が、黒川が揉めている場所まで辿り着いた時、既に暴力沙汰と言っていい状態まで及んでいた。そうなった場合、もう多田がどうやっても、黒川を止めることができなかった。Jプレミアツアーでは、過去に一度同じなことがあり、黒川に嘲笑された相手選手が先に暴力を振るってきたこともあり、その時は警告で済んだが、黒川の言動が切っ掛けになったという事もあり、チームからは、次はない、と言われていた。
黒川は、相手選手に殴りかかろうとしていた。多田は、もう終わりだと思った。
黒川の腕を掴んだ男がいた。驚くことに、黒川は振り上げた手を止めた。幼少の頃から黒川を見てきたが、それは初めての光景だった。
「黒川、やめろ」
その隙に多田は黒川を静止した。黒川は多田の方は見ずに、腕を掴んでいた男を睨みつけながら腕を下ろした。
「何をやっているんだ、君たち!」
大会の係員が走ってきた。
「話を聞きたいので、コントロールタワーまで来るように」
黒川が殴ろうとした選手、黒川、それに多田と牧山の4選手に向かって言った。
「君も、来て貰っていいか」
黒川の腕を掴んだ男も、頷いた。見たことある男だ。というよりも、この界隈では黒川より有名な男かも知れない。
牧山たちは、係員の後ろをついて歩いていく。
「黒川、あれは青山冬希だ」
「光速スプリンターか。すげえな多田、あいつなんかやっているぞ。柔道か合気道かだろうが。腕を掴まれた瞬間、あいつの体が二回りほどデカく見えた」
多田は、呆れる他なかった。どんな分野にしても、黒川は実力がある人間が好きなのだ。
背後で歓声が上がった。慶安大附属の植原がそのまま押し切って先頭でゴールしたのだ。黒川は、もうそちらには一切興味を示さなかった。
宇部フリーデンのチームジャージを着た二人は肩を並べながら、一切振り向くことなくコントロールタワーに向かって歩いて行った。




