国体本戦2日目 柊VS千秋
各チームのエース級の選手たちは、斜度が10%を超える激坂に入った。
レースの先頭は千葉の平良柊で、静岡代表チームのエースである千秋秀正がピッタリとマークしている。
後続は、アシストの伊佐に牽引された東京代表チームのエース植原博昭、宮崎代表チームのエース有馬豪志、そして、少し距離を置いて様子を見るように、佐賀代表チームの天野優一が1つのグループを形成している。
それぞれがかなりの実力者であることは間違いないが、それでもこの激坂は、登るのにかなりの苦労するものだった。
山岳を得意とする千秋でさえ、何も感じないというわけにはいかなかった。
「誰だよ、このコース考えた奴。ネットで悪口書いてやる」
カチカチとギアを下げようとするが、既に一番軽いギアに入っており、もうこれ以上は変速できない。
サドルに腰を下ろしたまま、ペダルをくるくる回しながら、前を走る小柄な柊を追っていく。
柊は、まるで重力を感じさせないような軽快さで、ひょいひょいと激坂を登っていく。
「あれは山猿か何かか」
千秋は、身長が170cm台前半で、体重は48kgと、かなりの痩身だった。
元々、食べても太らない体質で、特に意識をして体を絞ったことはない。
吹けば飛ぶような体なので、平坦区間でひたすらペダルを踏み続けるようなレースでは、上位に入ったことはない。
千秋は、それでもいいと考えていた。
総合争いの決着は、結局山岳で着く。平坦区間のレースでは、集団の中で走っていれば、それほどタイム差がつくことはない。結局のところ、山岳に強い選手が勝つのだ。
事実、千秋の所属する名門、洲海高校では、尾崎、丹羽といった総合系エースが3年となり部を引退して以降、一番山岳に登れる千秋がエースとして扱われるようになった。
千秋は、どうせ自分に替わるエースはいないのだからと、その日の気分次第で練習やミーティングにも遅れて参加するようになった。しかし、レースでの結果は必ず残した。国体の東海、中部地区のブロック大会では、インターハイの強豪である愛知県の清須高校の選手たちを破り、静岡がブロック1位を獲得するのに貢献した。
最終的に山岳ステージで決着がつく総合1位争いは、山岳で無敵の速さを持つ自分が最強だと確信していた。
だが、目の前を走る千葉の山猿は、なんなのだ。
そもそも千葉に山なんてあったのか。
千秋の見立てでは、身長は150cm台で、体重もおそらく40kg台前半だろう。
この男に比べれば、自分は5kg以上の重りを乗せて走らされているようなものだ。
山岳に特化した選手というのは、こういうものなのかと思った。
千秋自身、柊の後ろについていくのは、かなり苦しい状態だった。
ギアを一番軽くして、足の筋肉に負担をかけないように、くるくるとペダルを回しながら登ってきたが、それにも限界がある。
「チョ・・・」
「ん?」
声をかけられて、柊が振り向いた。
「あ、いや、みんな遅いっすね。ハハッ」
「ああ、そうだな。あいつらまだまだ練習が足んねえんだよ」
柊は、どうやら千秋を仲間と認識したようだった。
しめた。このまま会話を続ければ、自分を置いていくことはなさそうだ。
少し余裕が出てくるまで、話をして柊を引き留めようと、千秋は思った。
冬希の乗る千葉のサポートカーは、柊が先頭に立ったことで、植原や有馬、天野のグループより前に出され、柊と千秋のグループの後ろに出された。
植原たちのグループの後ろには、東京のサポートカーが着いている。
柊、千秋、その後ろに審判車、中部東海ブロック1位の静岡のサポートカー、そして関東甲信越ブロック2位の千葉のサポートカーという優先順位になっている。
「平良弟のスペアバイクは無いが、大丈夫かな」
「積んである潤先輩用のバイクと、サイズは同じなので大丈夫です」
厳密に言えば、リアのギアの端数が柊のバイクの方が多く、ハンドルがちょっと上向きになっているという、より山岳に特化したセッティングなのが柊のバイクの設定なのだが、そこはもう我慢してもらうしかない、と冬希は思っていた。
ただ、トラブルが発生したら、その隙を千秋は見逃さないだろう。
「もう平良弟をチームカーまで下がらせて、作戦を伝えることもできないな」
「ええ」
そんなことをすると、千秋は間違いなく柊を置いてアタックをかけるだろう。
もはや、この戦いはそういう段階なのだ。
「でも・・・」
「どうしたんだい?青山君」
「あの二人、ずっと話してますけど、何を話してるんでしょうね」
ゴールまで残り2kmを切った。
激坂区間を終え、斜度は5%以上はあるとはいえ、千秋の脚も回復してきた。
「お前、よくわかってるな」
柊は、うんうんと頷いた。
「そうなんだよ。ちょっと気をつければ済む話だったんだよ。あいつには車道を走る時に謙虚さが足りないんだ」
柊の言葉に、千秋は唖然とした。
千秋は、柊を挑発するつもりだった。
可愛い後輩であるはずの、青山冬希のことを持ち出せば、きっと激怒して冷静さを欠くと思っていたのだが、事故にあった冬希を揶揄するようなことを言っても、むしろ積極的に同意するばかりで、まったく怒る様子はない。
青山冬希とこの平良柊という先輩は、単純な上下関係のつながりではなく、もう少し捻じ曲がったものなのかもしれない。
「あと、あいつは俺に対する尊敬の念が足りないんだ」
「でしょうね」
「で、でしょうね!?」
「あ、いえ・・・。そういえば、もうゴールまであと少しっすね」
千秋は、努めて神妙な面持ちを作った。
「ここからは正々堂々と行きましょう!!」
「あ、チェーンが外れた」
「うおおおお」
「嘘だよ」
全力でアタックしようとした、千秋がガクっとなる。
「今、お前仕掛けようとしただろ」
「やだなぁ、ジョークっす。ジョーク。静岡で今流行ってるんですよ」
柊は、ジトっとした目で千秋を見てくる。
もう山頂までそれほど距離がない。もはや手段を選んでいる余裕はなかった。
「あ、アホウドリ」
「国の天然記念物じゃないか!!」
柊はキョロキョロと周囲を見渡す。
千秋はすかさずアタックをかけた。一気に10mほど距離が開く。
「嘘ですよ」
「お前、騙したな!?」
「まさかこんな単純な手に引っかかるとは・・・」
今までの苦労はなんだったんだ、と千秋はぶつぶつ言いながらも、柊を置き去りにしてゴールを目指す。
山頂まで残り100m。スプリント能力としては、まだ体重がある分、柊より千秋の方が有利だ。
差は縮まらない。むしろ少しずつ離れていく。
山頂のゲートが近づいてきた。
「勝ったぁ、どうだ、見たか!!」
千秋は、両手を広げ、先頭で山頂のゲートを通過した。
「・・・え?」
「・・・ん?」
千葉チームのサポートカーの中で、槙田と冬希は首を傾げた。
「・・・??」
柊は、ゲート付近で両手を上げ、声援に応えている千秋の横をすり抜けた。
「バカヤロー、それは山岳ポイントのゲートで、ゴールはまだ300m先だ!!」
千葉チームのサポートカーの前を走る、静岡チームのサポートカーから、監督らしき人が乗り出して、千秋に叫ぶ。
「ミーティングにちゃんと参加しないからだ!!」
山頂ゴールとは銘打っているが、道幅や待機スペースの関係上、ゴール地点は山頂ではなく、三叉路を左に入って行った先の、少しだけくだって、少しだけ登ったところに設定されていた。
ちなみに、三叉路を右に行くと、1周目で通過した、周回コースへのルートに入っていく。
山岳ポイントは、1周目も2周目も通過する、コースの最高到達地点に設定せざるを得なかった。そのため、ゴールと間違わないように、あらかじめ各チームには通達されていた。
しかし、チームのミーティングに遅刻でもしたのか、千秋は、その話をちゃんと聞いていなかったようだ。
無線で審判車から、選手に怒鳴り声をあげている静岡のサポートカーに注意が入る。
審判車、それに静岡と千葉のサポートカーは、右の周回コース側に誘導される。
ゴールシーンこそ見れなかったが、柊が、ゴール地点を間違えた千秋に対してつけた差は、300mという距離では逆転しようがないものだった。
無線で、千葉県代表チームの平良柊が、国体本戦2日目の山岳ステージ優勝、という情報が伝えられた。
「や、やりましたね・・・」
「あ、ああ・・・」
槙田も冬希も、微妙な空気のまま、柊の勝利を確認した。
『続々と選手たちがゴールしてきます』
場内放送が流れる。
後続からは、伊佐から発射された植原が抜け出し、有馬に2秒差、天野に5秒差をつけて3位でゴールした。
植原は、最後に驚異的な脚を見せ、優勝した柊からは8秒差でのゴールとなった。
優勝した柊は、2位でゴールした千秋のところまで歩いて行った。
「お前なぁ、俺の記念すべき3大大会のステージ初優勝に、何してくれちゃってんの・・・?」
心底呆れたという表情だ。
「すみません、ちょっとしばらく立ち直れそうにないので、そっとしておいてもらっていいっすか・・・」
地面に両手をついて項垂れたまま、千秋は絞り出すように言った。
二人の後ろでは場内放送が流れていた。
『優勝した平良選手が、2位の千秋選手と健闘を讃えあっております!!』
国体本戦2日目 ステージ順位
1位 平良 柊(千葉)
2位 千秋 秀正(静岡) +0:03
3位 植原 博昭(東京) +0:08
4位 有馬 豪志(宮崎) +0:10
5位 天野 優一(佐賀) +0:13
6位 伊佐 雄二(東京) +0:20
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8位 平良 潤(千葉) +0:25
国体本戦 総合順位
1位 平良 柊(千葉)
2位 千秋 秀正(静岡) +0:03
3位 植原 博昭(東京) +0:08
4位 有馬 豪志(宮崎) +0:10
5位 天野 優一(佐賀) +0:13
6位 伊佐 雄二(東京) +0:20
7位 平良 潤(千葉) +0:25




