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国体本戦2日目 激走、牧山保

 サポートカーに乗った冬希から見て、牧山の焦りは、手に取るようにわかった。

 逃げ集団は3人。

 牧山は後ろを振り向きはするが、もはやこの集団に先頭を替わってくれる人はいない。

 宮崎の小玉も、そしてどうやら長崎の黒木も、逃げ切りを目標としてはいないのだ。

 牧山は、空気抵抗を一身に受けながら、逃げ集団を牽引する。他の二人は完全に無賃乗車だ。

 この酷く不平等で理不尽なグループを、不満を抱えつつ牽引し続けることが、どれほど精神的に辛いことか、それは想像を絶する苦行だろう。

 牧山のペダルを踏む足が徐々に重くなってきた。

 余力がなくなったわけではないはずだった。だが状況が牧山のペダリングから力を奪っていっている。

「槙田先生、牧山と話をさせてください」

 槙田は驚いたように冬希を見た。この車は千葉のチームカーで、茨城チームからボトルの受け渡しや、メカトラブルが発生した時のホイールやスペアバイクの提供などを依頼されてはいるが、物理的なサポート以上のことは必要無いはずだ。

 しかし、冬希の真剣な表情を見て、槙田は無線機を手に取った。

 審判車から許可が降り、千葉のサポートカーは、逃げている3人に並びかけた。

 牧山は苦しそうにしている。

「なんだ青山、俺は呼んでいないぞ」

「牧山、逃げ切ってしまえよ」

 運転席の槙田が、驚いた表情で冬希を見た。

「後ろの二人なんか関係ない。お前が最強の逃げ屋だってことを、日本中に示してやれ。今日やらないと、もうこんな機会はないぞ」

 牧山は、はっとなった。

「全国の舞台で、茨城県を代表して、逃げに乗っている。最高のシチュエーションじゃないか」

 牧山の両目に光が戻ってくるのを、冬希は感じた。

「いいのか?千葉チームをちぎってしまうぞ」

「良くはないけど・・・俺はお前が逃げ切る姿も見てみたいな」

 牧山は、ハンドルを強く握った。

「お前ほどの男に、そこまで言われてしまったら、こんなところで退くわけにはいかないな」

 牧山の体が、気のようなものを纏うのを冬希は感じた。

 それは、露崎や坂東、郷田に時折感じるものと似ていた。

「見てろ」

 牧山がペダルを踏み込んだ。

 小玉が慌てて追う、長崎の黒木は、反応できずに遅れた。

「青山君、君は逃げをできるだけ引っ張らせて、メイン集団をコントロールする東京や静岡に脚を使わせようとしているのかい?」

「それもありますが、牧山に言った通り、彼がこのまま逃げ切れば面白いなって思って」

 槙田は、運転席のシートに寄りかかりながら、逃げ切られたら困るんだけどね、と呟いた。


 東京と静岡のコントロールするメイン集団とのタイム差は、5分程度ついている。それでも今頃は、1周目の山岳の登りに既に入っている。

 平良潤は、弟の柊に向かって、この後の展望を話していた。

 話をすることで、自分の考えも整理しようと言うのだ。

「1周目の登りだ。まだ東京も静岡も、ここでアシストを使うつもりはないだろうから、ペース的にはそんなに上がらないだろう」

 どのチームも、山岳アシストだけではなく、平坦系のアシストも連れてきている。

 1周目の登りでペースアップして、平坦系のアシストが千切れてしまっては、1周目の下りや2周目の登りに入る前の平坦区間で集団を牽引する選手がいなくなってしまう。

「にしてもだぞ、ちょっと離されすぎじゃね?」

 先ほど、逃げに乗っていた長野の結城がメイン集団に吸収された。

 逃げている2名とは6分差にまで広がっている。

 山頂には、山岳ポイントが設定されており、国体でも山岳賞ジャージを着用することができる。

 1周目も2周目も与えられるポイントは同じで、2人の選手が同ポイントの場合は、先にポイントを獲得した選手の方が優先して着用となる。

 だが、あまり山岳賞を目指して走っている選手はいない。大抵、山岳賞を獲得する選手は、3日間の総合優勝をする選手となっているからだ。

 初日の平坦ステージで優勝して、今日のレースで総合リーダージャージを着用していた愛知の赤井が集団から遅れ始めたという情報が聞こえてきた。長野の結城もそうだが、そこまでペースが上がっていないとはいえ、スプリンター系の選手にはやはり厳しい登りだ。

「潤、大川、竹内も。1周目と2周目は、ほぼコースが同じだから、レイアウトをよく覚えておいてくれ。ゴールだけは周回コースから離れたところにあるから、そこは注意が必要だ」

 平坦系のアシストである大川と竹内は苦しそうにしながらも、なんとかメイン集団の中に留まっていた。


 メイン集団の中で、東京のエース植原は、静かに脚を温存していた。

 今は、静岡の選手がなかなかいいペースでメイン集団を牽引してくれている。今日のレースは、山岳エースである千秋秀正で勝負するという意志の表れだ。

 千秋は、今年のインターハイで全国屈指の名門校である洲海高校のエースとして抜擢され、山頂ゴールではあの露崎をあと一歩のところまで追い詰めたほどの選手だ。

 性格には難があるようだが、実力は間違いないものを持っている。

 1周目の山岳ポイントのゲートが見えてきた。

 そこには、ゆっくりと登っている宮崎の小玉がいた。

 牧山と一緒に逃げていた選手だ。

 宮崎チームの作戦としては、小玉が2周目の登りあたりまで先行し、アタックをかけた有馬を牽引して登りに入るつもりだったのだろうが、どうやら登りの途中で牧山に引き離されてしまったようだ。

 単独になってしまったからには、一人で下りに入るより、集団に戻って下った方がいいと判断したのだろう。そのまま下りに入ったところで、一人ではすぐにメイン集団に吸収されるのは明らかだ。

 小玉は、牧山を逃げ切らせるわけにはいかなかった。なので、当然牧山に協力することもなかった。

 しかし、結果として牧山から千切られ、前待ちという作戦自体を潰えさせてしまう結果となったのは皮肉なものだ。

「牧山が、一仕事やってくれたようだ」

 植原は、傍に控えているチームメイトで中学生メンバーの伊佐に言った。

 小玉がまだ前にいる状態だとすれば、宮崎のエースの有馬が仕掛けた時に、東京や静岡は死ぬ気で追わなければならなかっただろう。

 有馬は同じ1年生ながら強力なオールラウンダーだ。本気でアタックをかけられたら、並のアシストでは追いつくことは出来なかっただろう。植原たちにとって、牧山の頑張りは、本当にありがたかった。

 だが、人間の頑張りには限界がある。

「2周目の登り口までに、牧山は捕まるだろう」

 今日の過酷なレースの中、単独でそこまで逃げ続けるだけで、凄まじい能力だ。日本中の高校生ロードレーサーにその名を刻むことになるだろう。

「そこからが本当の勝負ですね」

 伊佐が言った。

 メイン集団は下りに入った。

「麻生さん、夏井さん、お願いします」

 静岡に替わり、東京が主導権を握った。

 同じ東京代表チームのアシスト、麻生と夏井が、植原にとって最適なペースで、下り始めた。

 この下りだけで、牧山とメイン集団とのタイム差は4分台にまで縮まった。

 

▼後書き

 おかげさまで、短編の『さっちゃんのお父さん』は、日間、週間の純文学でランキング1位を頂きました。

 月間では7位を頂いております。大変嬉しいことです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 1番このレースを楽しんでるのは主人公だな
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