暇になった冬希
部活への参加どころか、部室を訪れることも禁止された冬希は、鎖骨骨折により自転車に乗ることはもちろん、そのほかのトレーニングも一切できず、強制的な休養期間に入っていった。
部室で冬希に会えなくなった先輩の平良柊は、休み時間になると普通科の校舎からわざわざ情報システム科の校舎までやってきて、冬希の教室で管を巻いていた。
「お前が寂しいと思って来てやったぞ」
柊なりに気を遣ってくれているのだろうが、本当は自分の方が寂しがっているのではないかと、冬希は思った。
「お前がいないと、色々と不安なところもあるんだよ」
「潤先輩の総合争いでは、俺はほとんど役に立たないじゃないですか。せいぜい賑やかしぐらいしかできないですよ?」
「部室のゴミ捨て係とか」
「期待された役割が、賑やかし以下だった!」
入学してからずっと休みなくレースとトレーニングを繰り返してきた冬希にとっては、体を休めるいい機会になはったのだが、逆にやることがなく困り始めていた。
レースで学校を休んでいた期間に溜まった課題を一気に片付けるスキルが身についていた為、学校から出されるプログラミングやドキュメント作成の課題は、平日の放課後だけで簡単に片付いている。
週末は、時間がありそうな人たちに連絡をして、遊んでもらうことにした。
夏休みに出会ったアニメーターを目指している友人安川優子は、右腕を吊っている冬希を見て、いつもはじとっとした目を見開いていた。
「腕、どうしたの」
「腕じゃなくって肩だよ」
公園のベンチに並んで座り、掻い摘んで経緯を説明すると、優子は驚きつつも、冬希に同情的だった。
「国体の選手リストは、まだあなたの名前が載っていた」
「正式に交代選手が決まれば、書きかわると思うよ。というかなんでそんなものを見てるの?」
「一般常識の範疇」
冬希は、優子の書いた犬の原画をパラパラとめくりながら、違和感の無さに驚いた。
「そういえば、夏休みにやったアニメスタジオのアルバイトはどうだったの?」
「めちゃくちゃ怒られた。人間の表情が、全く見るべきところがないって。他人に関心を持たずに生きてきたからそういう顔しか描けないんだ。人間の表情というのは、怒ってるとか、笑ってるとかではなく、表情の移り変わりがあるんだって」
「厳しいんだね」
「いや、当然のこと。私は他人の顔を見ずに生きて来たから。そのことを監督は絵だけでわかってしまったみたい。それでも、他の若い人たちは、全部監督の描き直しになっていたけど、私の持っていったものは、顔だけ監督の描き直しになってた。今度からは、のっぺらぼうで持ってこいって言われた」
それは凄いことなのではないかと、冬希は思った。バイト期間が終わる時に、次の作品の時も来てくれと言われたそうだ。
「犬っていうのは、誰もが知っていて、よく見る動物。これを違和感なく動かすのは至難の業」
「なるほど」
パラパラと原画を捲る冬希の横で、優子は若い女性に連れられて散歩されているトイプードルを凝視してる。
犬が公園内の芝生の上で糞をしたが、スマートフォンを見ながら歩いていた女性はそれを回収することもなく、そのまま歩き去った。
小さな子供が、糞のある芝生の方へ走って行こうとして、慌てた母親に止められていた。
「飼っている犬の世話も満足にできない女は、自己管理もできない。将来、ブクブク太って、軽自動車に乗って事故る」
「偏見がひどい!」
「事故と言えば、あなたの肩の怪我」
「話のつながりがイマイチ釈然としないんだけど」
「どれぐらいで治るの?」
「3ヶ月〜4ヶ月ぐらいらしいよ。骨は、1ヶ月後にくっつき始めるらしい」
「骨折して1ヶ月は全く治らないの」
「そういう感じだった。金属で骨を固定する手術をすることになると思う。週明けに診察があるからそこで言おうと思うんだ。早くしないと、骨がくっつき始めてしまうからね」
「そう・・・手術頑張って」
「頑張るのはお医者さんだから」
「お医者さんも人間だから。最後はあなたの生命力だけが頼り」
「怖いからやめてくれる!?」
冬希も、これが人生初手術となる。不安が全くないわけではない。
「冗談。きっと大丈夫だから元気出して」
「慰める感じを出して、肩をポンポンしようとするのやめてくれるかな。そこ折れてるからね」
「これが人の表情が恐怖に変わる瞬間・・・」
ビクビクしている冬希に対して、優子は不敵な笑みを浮かべていた。
将棋部に所属する高校生の7大タイトルのうち、高校生棋王のタイトルを持つ藤田義弘も、右手を吊った冬希の姿を見て驚きを隠せないでいた。
「国体の選手紹介には、まだ君の名前が載ってたはずだけどね」
「なんでみんな国体の出場選手をチェックしてるんですか」
「一般常識だよ」
どこの世界線の常識だ、と冬希は呟きながらも、盤面を見て次に指す手を考える。
冬希は、藤田の所属する高校の将棋部を訪れて、将棋を教わっていた。
冬希は藤田に、一手ごとに将棋盤の四隅を見るようにアドバイスされている。そうすることで、見落としを減らせるそうだ。
「少なくとも、去年までは自分の県の国体出場選手なんてチェックしたことはなかったですけどね」
パチリ、と飛車の後ろに歩を打った。底歩という手らしい。
「おっと、そんな手で大丈夫かい?」
藤田は、ここから一気に王手の連続で冬希の玉を詰ませてしまった。
「ま、負けまし・・・」
「し・・・?」
「しまうま」
「往生際が悪いな」
藤田が苦笑している。
「自分の玉が詰んでいるかどうかの判断がまだ出来ていないな。どうせ手術て入院中は暇だろうから、この本を貸してあげよう」
藤田は、ボロボロになった詰将棋の本を冬希に手渡した。
「僕の数少ない友人がやっている競技の国体の選手ぐらいは確認するさ。今回は残念だけど、治療に専念するといい」
「ありがとうございます」
冬希は、全国で7つしかないタイトルの一つを持つ藤田に、友人と言ってもらえて嬉しかった。




