国体 関東甲信越ブロック大会 レース後
千葉代表のエース平良潤は、自分の目の前でゴールした選手が茨城代表の牧山保だと知り、東京代表の植原博昭が逃げていた牧山を抜き、1位でゴールしたことを悟った。
それは、千葉が2日間のレースで関東甲信越ブロック1位を逃したことを意味している。
千葉代表チーム監督の槙田が、ゴールした順の元にボトルを持ってきた。
「すみませんでした」
「いや、ブロック2位なら十分だよ。それにしても強いな、彼は」
槙田は、女子マネージャーからタオルを受け取っている植原の方を見た。
「僕は大川君をエースに推していたのだけれど、それだと全く勝負にならなかっただろうね」
槙田は自嘲気味に言った。
千葉のアシストとして頑張ってくれている大川駿を、槙田がエースとしようとしていたことは聞いていた。
「本戦まで1ヶ月もない。今の戦力で、本戦で最大限の結果を残すには、どうすればいいか考えていこう」
「はい」
槙田が、勝つために、という言葉を使わなくなったことに、潤は少し胸が痛くなった。
2日目を2位でゴールした牧山は、ビンディングペダルからクリートを外して自転車を降りるが、両足に力が入らず、そのまま座り込んでしまった。
最後の100mで、ピタリと脚が止まった。それまで無理をし続けてきたのだから当然かもしれない。
完璧なレース運びだった。
今までにないほど調子も良かった。
それでも勝てなかった。
植原に、青山冬希、そして福岡の立花直之や、インターハイで活躍した千秋秀正といった、全国で活躍する同じ1年生達に肩を並べられるという夢を、一瞬見れた気がした。
牧山が座り込んで動けないでいると、自分の目の前に人の影が近づいてきた。顔を上げると、植原がいた。
「凄いな、君は」
牧山は、負けた人間に何の用か、と言おうとして止めた。
植原の口調には、牧山を嘲笑う感じは微塵もなかった。
「ほぼスタートから逃げ続けて、ゴール前でもあの脚だ。どうすればあんなことが可能になるんだ」
植原は、真剣な表情だ。
「ははっ、それは教えられないな」
牧山は、それ以上強くなってどうするんだと植原に言いたかった。
「それはそうだろう。これから俺たちは3年まで戦うライバルなんだからな、企業秘密ってやつだろう」
もう一人現れた。青山冬希だった。
冬希は、断られて驚いている植原の肩をポンポンと叩いて慰めるように言った。
初日優勝した冬希と、2日目優勝した植原。結局関東甲信越地区のブロック大会はこの二人の1年生の優勝という結果になった。それはいいのだが、なぜこの二人が自分のところに来たのかが牧山にはわからなかった。
「そうだな、ライバルからそんなことを聞くのも、変な話だな」
この二人が、自分のことをライバルと言っている。そのことが牧山は信じられなかった。
目頭が熱くなるのを感じた。
「それじゃあ、普段どんな練習をどれぐらいしているのか、教えてくれないか」
「ああ、それは俺も知りたいなぁ」
植原も冬希も、興味深そうに牧山の言葉を待っている。
「仕方ないな、お前ら。少し長くなるぞ」
牧山は、渋々、という表情を作るのに苦労しながら、普段どのような練習をしているのかを話し始めた。
朝5時、冬希はスマートフォンに設定した目覚ましと共に目が覚めた。
国体のブロック大会は、概ね満足のいく結果に終わったと言って良かった。
しかし、東京代表の植原には力の差を見せつけられる結果となった。
3年で神崎高校のエースだった船津は、全国高校自転車競技会で植原を完全に抑え込んでいた。
しかし、船津の引退した今、高校生で植原に対抗できる選手がいるのか疑問だ。しかも、植原は春よりも力をつけているように見えた。
体はひと回り大きくなっているようだったが、そんな中でも登坂力も強化されているようだ。
国体はこれまでノータッチという姿勢だった神崎高校の理事長兼監督の神崎秀文も、初日の冬希が勝った話には殆ど関心を示さなかったが、2日目の戦いについては、かなり興味深そうに聞いていた。
潤は、来年の全国高校自転車競技会を見据えてのことだろうと言っていた。
初日のスプリントの報告を、神崎が「お疲れ様」の一言で片付けてしまったことについては、
「最初からお前が負けるなんて考えてなかったんだろう」
ということだった。
それほど簡単なレースでもなかったはずだが、見ている側からすると、案外そういうものかも知れない。
冬希は、もう少し寝たいと思ったが、体は自然とサイクルジャージに着替えている。
体が重い。疲れが溜まってきているのかもしれない。ただ、毎日の習慣になっていることなので、自然に体が動いているというだけの事なのかもしれない。
バナナを2本食べて、ボトルに水を入れて自転車のボトルゲージにつけると、家族を起こさないようにそっと自転車に乗って家を出た。
花見川沿いのサイクリングロードは、早朝にも関わらず散歩している人が多く、冬希は歩行者優先を心がけながら、あまりスピードを出さないように、ハイケイデンスで心拍数を徐々に上げていくことを意識しながら走る。
高速道路の高架をくぐると、サイクリングロードから一般道に出て一気に加速する。ここから2kmほどは、人も車も殆どなく、いい練習コースとなっていた。
国体のブロック大会の2日目のレース後、牧山に色々と教えてもらったことを考えながら実践してみる。
牧山のアドバイスは、全部まとめると矛盾だらけだった。
ペダルは踏まない。脚の重さでペダルを回す。引き足というのは、ペダルを回すためものではなく、脚の重さでペダルを回すために、反対の足の重さをゼロにするためのものだ、と言いつつも、乗るときは空気抵抗を減らすために、姿勢を低くしろ、でもペダルをちゃんと踏みやすい姿勢にしておく必要はある、など、ペダルは踏まないんじゃなかったのか、などと思っていると、難しい顔をした冬希を見て植原は笑いながら、要はバランスだとか、その状況によって使い分けるんだ、と言った。
しっかり負荷の高い練習をした後は、クールダウンしながら検見川浜まで出て海沿いのベンチに自転車を立てかけ、冬希も腰を下ろす。
疲れが溜まってきているのは感じているが、別にどこかが痛いというわけでもない。
体を動かしていないと、気持ち悪いという感覚もある。だから、特に部活で決まっているわけではないのに、こうして自主的に朝練などをやったりしている。
海を見ていると心が落ち着く。自分は水辺が好きなのかもしれないと冬希は思い始めていた。
少しの間、ぼんやりして、冬希は再び自転車に跨って自宅への帰路についた。
この時はまだ、神崎に言われていた、疲れているときは無理して練習するな、という言葉について、深く考えられてはいなかった。




