国体 関東甲信越ブロック大会 山岳ステージ ④
逃げている牧山とはおよそ30秒差。ずっと単独で逃げてきた牧山の体力を考えると、ずっとアシストの後ろで走っていた東京代表のエース植原からすると、射程圏ないと言ってよかった。
伊佐の牽引するグループからアタックをかけた。
千葉のエース平良潤はピッタリとマークしてきた。
当然だと思った。潤は真後ろから、植原の細かい動作を見逃すまいと注視していたはずだ。
植原がボトルで水を飲めば、潤も同じタイミングで水を飲んでいただろう。
潤だけが水を飲んでいるタイミングに植原にアタックを仕掛けられないよう、あえて水を飲むタイミングすら合わせてくる。
当然、アタック前にギアを上げたこともわかっているだろうし、そのタイミングでアタックがかかることも予測していたはずだ。
植原のアタックについてこようとした伊佐は、植原が目で制した。
1体1ならば、潤に負けないという自負もあった。
それよりも、伊佐にピッタリついている平良柊は、潤の双子の弟で同じ神崎高校の選手であるのに対し、伊佐は植原とは同じ学校でもなければ、高校と中学で、一緒に練習したのも国体強化選手になって数回だけだった。
4人のままレースが進んだとはいえ、連携で言えば間違いなく相手側の方が上だ。
チームメイトが、どの程度走ることができて、どの程度余力があるか、平良兄弟なら会話をしなくてもお互い把握できているだろうし、それを踏まえた上でアタックしたり、脚を休めたりするだろう。
それに対して、植原も伊佐も、そこまでお互いのことを理解しているわけではない。このまま4人で進んでいき、無謀なアタックを仕掛けて、味方だけ千切ってしまい2対1になる、などという事態になりかねない。
伊佐が柊を引き受けてくれるのであれば、植原としてはそれで十分だった。
植原と潤の鍔迫り合いは続いていった。
牧山が射程圏内に入った今、植原の目的は潤を引き離すことにシフトしていた。
伊佐と柊が離れていき、一旦ペースを落とすと、小さなアタックを繰り返し、潤の様子を窺ってくる。
潤は、植原から離されないように、必死についていくが、表情は涼しい顔を保っていた。
辛そうな表情を見せると、その隙に一気に引き離される可能性があるからだ。
植原のアタックは執拗だが、慌てることはない。最終的には牧山をつかまえなければ勝ちがない植原は、どこかで必ず自分の脚を使わなければならない局面がくるのだ。
モトバイクが先頭からのタイム差を表示してきた。そこには「1st 48秒」と書いてあった。
「馬鹿な」
「は、速い」
植原も潤も、驚愕の声を上げた。
潤も、植原との戦いになっていたとはいえ、そこまで遅いペースで走ってきたわけではない。にもかかわらず、牧山はタイム差を広げてきた。ほぼスタートからずっと逃げ続けてきて、最終局面での登りのペースアップは、二人にとって予想外のことだった。
大勢は決した。潤はそう思うと、肩の荷が降りた気持ちになった。ふぅっと小さく息をついた。
植原が振り返った。目の色が違う。
植原は、一気に加速した。
潤は慌てて後を追う。
今までのアタックとは違う、植原は脚を緩めない。もう緩急をつけたりはしない。
植原は、戦う相手を潤から牧山に切り替えたのだと思った。
植原は、ずっとダンシングで登っていく。
潤は、間に合うものか、と思いつつも、後を追う。
植原は、一向に腰を下ろす気配がなく、ずっとダンシングで登り続けている。
こんなペースでゴールまで持つわけがない。少なくとも、自分には無理だと潤は思った。
1kmほど植原についていったが、潤はそこで力尽きた。植原の背中が遠くなっていき、コーナーの向こうに消えていった。植原は相変わらず、ずっとダンシングで登っていった。
追いつくはずがない、自分は3位さえ堅持すればいいはずだ。
逃げ切ってくれと、潤は祈るような気持ちで山頂を見上げた。
牧山は、後続とのタイム差が広がったのを見て、策が成ったと確信した。
早めのアタックで差を開き、ゴールまでにとても追いつけないと相手に諦めさせる。
モトバイクはおおよ3分おきにタイム差を教えてくれる。審判者から無線で全てのモトバイクにタイム差の連絡が行っているのだろう。
なので、タイム差を教えられてから、3分後にタイム差が伝えられるまで、とにかくアタックをかけた。
射程圏内に入ったと思わせておいて、次のタイム差の表示で実はタイム差が広がっている。
レース中に思いついた作戦だ。
自分を追いかけてきている千葉と東京のエースは、今頃、泡を食っている頃だろうと、牧山はほくそ笑んでいた。
山頂まで普通のペースで登れるだけの脚は残してある。残り500m。あとはゴールするだけだ。
ふと、後ろからモトバイクの音が迫ってきた。
自分の前のモトバイクはそのままいる。
では、後ろから来ているモトバイクはなんだ。
牧山は後ろを振り返った。
ものすごい勢いで、登ってきている選手がいる。
「植原!!」
牧山は慌てて前を向き、下ハンドルを持って加速した。
植原はインターハイの始まる前に、フランスから帰国したばかりの露崎と話をした時のことを思い出していた。
露崎は、スプリント力も、登坂力も、独走力も、全てを持った選手でなければ、勝てない時代になってきていると言っていた。
それら全てを持っていれば、それは勝てるだろう。と他の選手が言ったのであれば、思ったかもしれない。
しかし、他でもない、それを体現して見せている露崎の言葉だ。植原も、そうかもしれないと思った。
植原は、それまで特に行ってはいなかった、上半身の筋肉トレーニングも始めた。
筋肉がついて体重が増えれば、坂を登るのに多くのパワーを必要とするようになる。それについては露崎は、体重を落とすのではなく、苦にしないだけのパワーをつければいいと言った。
簡単なことではないが、露崎が言うなら、と植原はその言に従った。
スプリントも練習した。チームでの練習以外で、単独で、一定ペースで長距離を走る練習もした。
インターハイという大会を意識した練習はしなかった。自分がエースではない大会に向けて、何かをする気にはなれなかった。それよりも、自分を理想のオールラウンダーへ近づけるためのトレーニングに集中したかった。
インターハイ中にホテルで腕立てや腹筋を行う植原を見て、露崎は特に何も言わなかった。
最初からアシストとしての植原に期待していなかったのか、自分のアドバイスに素直に従う植原に理解を示してくれたのかはわからなかった。
結局、いかにも調整中というコンディションであった植原は、インターハイでは並のアシスト以上の働きは見せることがなかった。
インターハイを潰してでも2ヶ月間己のトレーニングに没頭した植原の努力は、ようやく形を見せつつあるように見えた。
牧山とのタイム差を聞いて加速するまで、自分がどこまで走れるか確証はなかった。
後ろに既に平良潤の姿はない。最初からこうしておけばよかった、と思う。
前方には、牧山の後ろ姿が見えてきた。
恐ろしい男だ、と植原は思う。
スタートからずっと単独で逃げてきた。脚色が衰えるどころではなく、勝負どころで引き離しにかかってきた。
とても無名校の1年生とは思えなかった。並の男ではない。
結果的に、それが植原の闘争心に火をつけた形となった。
植原は一気に並びかける。勢いが違う。一気に抜けると思っていた。しかし、牧山もスピードを上げて抵抗する。どこにそんな力を残していたのか。信じられない強さだ。
しかし、牧山が抵抗できたのも数秒だった。
残り100mになると、植原は牧山を突き放した。
絶望的な差を、ついにひっくり返した。
練習で、自分に力がついていたのはわかっていた。しかし、植原自身これほどとは思わなかった。実戦で試してみなければ、わからないこともあるのだ。
終わってみれば圧勝だった。
1位でゴールラインを通過する。
後ろから牧山が登ってくる、さらに30mほど後方に潤の姿も見えた。
2位は牧山、3位は潤。
東京は1位25ptを追加して43pt、千葉は3位15ptを加えて40pt。
同ポイントなどではない。しっかり千葉に3ポイント差をつけて、関東甲信越ブロック1位で国体本戦に進むことが決まった。




