国体 関東甲信越ブロック大会 山岳ステージ ③
牧山が最後の登りに入った。
5kmあった下りでは、メイン集団に対して、差を広げることはできなかった。それは誤算だった。
しかし、逆に5kmの平坦区間では、思ったほど差が詰まってこなかった。
メイン集団をコントロールしているのがどのチームなのか、牧山は知りようがなかったが、少しずつペースを落としてみたが、それでも差は詰まってこなかった。
後方は後方で、色々と考えがあるのだろう。そういった追走する側の心理も理解出来れば、もっと上手く逃げることができるのだろう。
牧山はクライマーというわけではないが、この平均勾配5%という中途半端な斜度については、全く登れないというほどでもなかった。しかし、やはり適性という意味ではややキツい登りということになる。
後続にいるのは、牧山もTVでよく見てきた二人だ。
同じ学年の植原は、全国高校自転車競技会でステージ優勝も果たし、総合成績でも2位を獲得した実力の持ち主だ。3年生エースたちを相手に、互角の戦いを見せた姿は、牧山にとっても刺激になった。
そして全国高校自転車競技会で総合優勝した船津のアシストとして、平坦、山岳共に常に船津を牽引してきた平良潤。船津が映ると、その前には常に平良潤がいた。
山岳で潤がメイン集団を牽引し、他校の選手たちを削り落としている姿は、牧山の印象に強く残っていた。植原と戦える能力があるかどうかはともかく、他校であれば間違いなく総合エースを任される強さだった。
この二人相手に、どのぐらいのタイム差があれば安全圏なのか、全くわからなかった。
考えれば考えるほど、不安で胸が押しつぶされそうになる。
「負けたくない」
つぶやいた後、牧山は首を横に振った。
「いや、違うな。勝ちたい、だ」
そう言った瞬間、少し気持ちが軽くなった。力も湧いてきた気がした。
牧山が見た、青山冬希のインタビューで、冬希が勝ち続けるための心構えのようなものを聞かれた時、
「前向きな気持ちを忘れないこと」
と答えていた。その気持ちが、ようやくわかった気がした。
平坦区間でペースを落としたことで、多少は脚も回復した。
まだまだ戦える、と牧山は自分を奮い立たせた。
茨城の牧山を追走する集団は、すでに千葉県代表チームと東京都代表チームの6名だけとなっており、その他のチームは、下りで千葉が仕掛けた攻撃により、散り散りになっていた。
現在、東京の夏井が6人の集団を牽引しているが、これは平坦区間に出た途端、千葉が先頭の牧山との差を詰めすぎないように、時間調整を始めたからだ。
東京のエースである植原からすると、このレースで優勝すれば関東甲信越ブロック1位で国体の本戦に出ることができるので、是非とも牧山は捉えたい。
しかし、牧山を抜いた後に、疲弊したところを千葉に抜かれ、優勝を持っていかれるという事は絶対に避けなければならない。
植原としては、牧山も逃してはならないし、千葉にも注意を払わなければならない。苦境に立たされていた。
平坦区間の後半での夏井の牽引により、先頭の牧山との差は、1分以内にまで縮まっていた。
もはや夏井に最後の登りを牽引する力は残っておらず、役目を終え集団から下がっていく。
変わって先頭に立った伊佐は、勇躍して集団を曳き始めた。
千葉の台所事情は、決して側から見ているほど有利と言えるものではなかった。
大川が下りで攻めてくれたことによって、千葉と東京の2チームによる決戦に持ち込めた。
先頭の牧山との差は、縮まり始めていたので、差を詰めすぎないように、大川に話した。
せっかく引き離した後続に追いつかれるのではないかと大川は言ったが、その心配はないと答えた。
一度引き離してしまえば、後続は後続の戦いを始めると、潤は見込んでいた。
彼らは、このレースの4位争い、そして今回のブロック大会で言うところの「3位から5位の本戦出場3名の枠」を争う戦いに切り替わっているはずだ。
頑張って東京と千葉に追いついたところで、そこに力を使ってしまい、他のチーム達に漁夫の利を持っていかれることになりかねない。
一度千切って仕舞えば、後は後続で勝手に牽制しあってくれるはずだ、と潤は読んでいた。そして実際にその通りになりつつある。
しかし、最後の登りで東京と戦うという点については、まだ有利とは言えない状況だと、潤は思っていた。
問題はアシストの適性にある。
最後の平均勾配5%の登りは、適性という意味では、大川にとってはキツく、柊にとっては緩すぎる。
平坦区間を一定ペースで走り続ける独走力の高いルーラータイプの大川は、先頭を牽引してくれれば大きな体で風除けになってくれるが、登りではその大きな体は、重りを背負って登っているようなものであり、一度登りで戦いが始まってしまうと、ついてくるのは難しいだろう。
また、体重が軽く、急な勾配の登りを得意とする柊は、逆に5%の勾配では速度が速くなりすぎる。速度が上がれば、空気抵抗が増え、体重が軽い柊は風や空気抵抗の影響を受けやすい。本当の柊の実力を発揮できる舞台は、やはり10%を超える規模の急勾配の登りだ。
それに対して、東京側の伊佐、植原はどちらも潤と似たタイプのオールラウンダーで、5%程度の登りなら、苦もなく登る。
登りの入ると、東京の夏井が牽引をやめ、伊佐がペースを上げた。
ここまでチームのためにアシストを続けてきた大川は、登りでのペースアップとともに集団を離れて下がっていく。
「後を頼む」
「ありがとう」
潤は、ここまで引っ張ってくれた大川に感謝の言葉をかける。
伊佐のペースアップに、すぐに柊が反応し、その後に植原、潤と続く。
もう4名だけになってしまった。
伊佐が仕掛ければ、柊がチェックするということについては、レース前から決めていたことだ。
今回のブロック大会のルールでは、植原が勝っても、伊佐が勝っても、東京が1位なのは変わらないので、どちらでもいいのだ。重要なのは、単独で抜け出させないことだ。
必ず誰かが張り付いて、ゴール前で差すぞ、という姿勢を見せ続けることが大事なのだ。
伊佐は、かなりのペースで前の牧山を追っている。
東京が伊佐で勝負に出たら、柊でどこまで対応できるかわからない。ゴール前まで一緒に行けたとして、スプリント能力では伊佐の方が圧倒的に上だ。潤の心に焦りが出てくる。
潤たちに付いている先導のモトバイクが、ホワイトボードで牧山とのタイム差を知らせてくる。
先頭との差が、40秒台に入った。だが、まだどうなるかわからないタイム差だ。
千葉にとっては、伊佐や植原を倒す以外にも、牧山を勝たせるという選択肢も残されている。
この状況は、先日の平坦ステージで冬希が勝つことによって作ってくれた。
今日のレース、アシストとしては、特に目立った見せ場もなく集団からドロップしていった冬希だったが、レースが始まる以前に、チームをアシストしてくれていたのだと知った。
にも関わらず、柊にけちょんけちょんに言われながらも、千切れていった冬希を思い出し、潤は少し可笑しくなった。
笑うと、少し気持ちが前向きになってきた。
伊佐もこんなペースがゴールまで続くとは、思えない。
まだまだ戦える。
潤の心に、もはや焦りは微塵もなかった。
伊佐は結構なペースで曳いている。
しかし、今のところ千葉の双子の弟である平良柊は、伊佐にピッタリついていっている。
植原は、ちらりと後ろを振り返った。
真後ろには、双子の兄、平良潤がピッタリと植原をマークしている。
一瞬、潤の顔が笑っていたように見えた。
気のせいかとも思ったが、潤の両目はまだ光を失ってはいないようにも見えた。つまりは、まだまだ表情に余裕があるということだ。
5%程度の勾配であれば、そこそこの時速でも走れる。
大体時速15km以上であれば、他者の後ろを走ることによって得られるドラフティング効果によって、後ろを走る選手の方が有利になる。
伊佐のこの攻撃は、千葉に対してはそこまでダメージを与えられていないのかもしれないと植原は思った。
伊佐の先頭を曳いている時間も、長くなってきた。
そろそろ行くべきだ。
植原は、カチカチと、ギアを2つほど上げると、ダンシングで柊、そして伊佐を抜いて先頭に出た。
先頭の牧山がゴールまで残り3kmの地点、植原たちと牧山のタイム差は既に30秒を切っていた。
細い道、生い茂る木々、そして葛折の道でその姿は確認できないが、距離にして200m強にまで迫っていた。




