国体 関東甲信越ブロック大会 山岳ステージ ②
一人逃げの場合、一人で空気抵抗を受け続けなければならないので、比較的すぐ捕まるだろうというのが10チームの読みだった。それについては、冬希も、そして逃げている牧山が所属する茨城県代表チームの選手たちも同様だった。
しかし、想像以上に差が開き、メイン集団を牽引する東京も牧山との差を縮めるのに難儀していた。それでも1周目の登りに差し掛かる頃には、5分あった差を4分切るところまで縮めたのは、さすが東京のアシスト陣といったところだ。
現在、メイン集団は東京の4人、麻生、夏井、伊佐、植原、その後に千葉の大川、平良柊、平良潤、青山冬希と続いている。
「思ったより差が縮まりませんね」
冬希は前を走る、千葉のエース平良潤に話しかけた。
「ああ、あの牧山という男、何者だ」
潤も、意外な展開に驚いている。
冬希たちも、出場選手たちについては、ある程度は調べている。しかし、エースでもなく全国高校自転車競技会や全日本選手権、インターハイに出ていない選手まで調べるというところまではやっていなかった。そこまで調べて実を結ぶ可能性というのは、高くないからだ。
登り始めて1分ほどで、東京のアシスト麻生が牽引を終え、メイン集団から千切れていった。
残り距離は23km、逃げている牧山とのタイム差は3分半にまで縮めた。麻生の牽引がなければ、完全に射程圏外になっていただろう。
「東京のアシストが一人千切れた。これで人数上、俺たちが有利になったぞ!」
柊が後ろを振り返り、チームを鼓舞するように言った。しかし目に入ったのは、潤の今にも死にそうな顔をした冬希の姿だった。
「すみません、もう限界です」
「全然有利になってなかった!!」
東京のペースアップは登りでも続いており、冬希は集団に付いていくので精一杯だった。
「青山はスプリンターだ。登りでこのペースは辛かろう」
「大川、スプリンターっていうのは、お山が苦手な人たちの総称じゃないんだぞ」
フォローしようとする大川に、柊が言い放つ。
「もう無理っす」
冬希が中切れを起こして後続に迷惑をかけないように、横に避けてから集団の横を下がっていく。
「おい、光速スプリンター!メイン集団から千切れるのまで光速じゃなくてもいいんだぞ!」
柊が毒づく。
「柊先輩、上手いっすね」
下がりながら、冬希が柊に親指を立てる。
「いいからさっさと千切れてしまえ!」
冬希は、今度こそメイン集団から千切れて行った。
単騎逃げというのは、自制心との戦いだった。
メイン集団は、牧山を除く39名で形成されている。
しかし、39人全員で先頭交代をしながら追ってくる訳ではない。回るのは、有力チームの4〜5名ぐらいだと自分に言い聞かせる。
タイム差は縮まってきているが、まだ余裕はある。焦って実力以上のペースで走ってしまえば、ゴールまで持たない。ここまでの走りが全て無駄になってしまう。
牧山にとって、会心のアタックだった。
新人戦の時は、力ずくで逃げを決めた。
今回は、タイミングで逃げを決めた。自分にも、ようやく逃げというものがわかってきたと思った。
序盤のアタック合戦は、息を止めて我慢し続けているようなものだ。
必ずどこかで息継ぎをする必要がある。
ふうっと、息を吐くような、弛緩した瞬間が必ず訪れる。その一瞬を見逃さないことが重要だと、繰り返しイメージしていた。
牧山にとって、乾坤一擲の逃げだった。
チームの、「出来れば逃げろ」などという中途半端な指示に従うつもりは最初からなかった。捕まえれば終わりとばかりに、果敢にペダルを踏んだ。
従順な選手がチームの中心になるのではない。強い選手の周りを従順な選手が固めて、チームができるのだ。
それは真理であるはずだった。
しかし、彼を好きでいてくれた、また彼が好きになりかけていたであろう女性は、牧山が強くなろうが、新人戦で優勝しようが、彼に付いてきてくれることはなかった。
このレースで勝てば、彼女は自分の元に戻ってきてくれるだろうか。
そのようなことはないということは、牧山自身も重々わかっていた。
未練だな、と思う。
しかし、牧山には他に前に進む方法を知らなかった。
もうすぐ一度目の登りの山頂というところで、牧山の前を走るモトバイクが、ホワイトボードでメイン集団とのタイム差を教えてくれる。
2分30秒。
2km程度の上りで1分もタイム差を縮められた。
しかし、ここからは下りだ。
周りのスピードに合わせて集団でゾロゾロ下るより、牧山一人で下る方がスピードは出せるし、有利になるはずだ。
牧山は下りに入る。
前には誰もいない。
自分のペースで下ることができる。
リズムも大事だ。
出来るだけ脚を使わないように。コーナーに入る時の減速も、そしてコーナーを抜けた後の加速も最小限にするよう、細心の注意を払いながら走り抜ける。
5km降れば、5kmの平坦、そして最後に5kmの登りが待っている。
牧山は、登りは特に苦手とはしていなかったが、平良潤や植原のような日本でも上位のオールラウンダーから見れば、いささか以上に見劣りをする。
最後の登りの登り口まで2分はタイム差がほしいと思っていた。
一方で、メイン集団も一度目の山頂を越え、下りに入ろうとしていた。
再び千葉が主導権を奪い返し、先頭から大川、潤、柊、そして東京の伊佐、植原、夏井と続いていた。
潤は、落車に巻き込まれるリスクを軽減するため、集団の先頭で下りに入ることを選んだ。
先頭の大川に脚を使わせることになる。さらには、東京のアシストたちに休む余裕を与えることになる。それも承知の上の決断だった。
アシストを消耗させてしまっていた東京は、素直に主導権を千葉に譲った。
大川は、本気で攻めながら下っていく。タイムトライアルのスペシャリストでもある大川は、当然下りについても十分な技術を持っている。
また、潤はこの下りでメイン集団を絞るつもりでもいた。
最後の登り口でごちゃごちゃして、展開が読みづらくなることを嫌ったのだ。
牧山の期待とは裏腹に、牧山とメイン集団のタイム差は、むしろ縮まりつつあった。




