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国体 関東甲信越ブロック大会③

 最終周、ということで緊張からガチガチになる選手も居たが、それでも距離はまだ5km残っている。

 全力で走り続けられる距離ではなく、先頭付近を形成する選手たちは経験も豊富で、まだ周囲の様子を見ながら脚を溜めている。

 しかし、折り返し地点を過ぎて一気にペースが上がる。

 ここから2km先のもう一つの急なコーナーまでの2kmほどは、減速するタイミングもなく、自分達のエースを一番いいポジションに連れていくためにアシスト達の戦いが激化する場所だった。

 2km先のコーナーを曲がったら、もう細かいコーナーはなく、600mでゴールだ。

 ペースが一気に上がる。このペースアップに対応できなかった長野のトレインが脱落した。3人のアシストはなんとか対応していたが、長野のエーススプリンターがこのペースアップに対応できなかった。自分達のスプリンターが千切れたことを知った長野のアシストたちは、先頭から下がっていった。彼らにできることは、無理にハイペースについていくことではなく、無理のないペースで走り、3人のうち誰かが可能な限り上位を目指すことだけだった。

 これにより先頭は4列となっており、千葉アシストも大川も一人で他の3チームのアシストたちに遅れることなく先頭の一角を主張し続けている。気を抜けば、一瞬で集団に飲み込まれてしまう。

 東京のトレインは麻生、夏井、伊佐の3名で、植原はペースアップ前に既に下がっている。登りのエースである植原を、危険なゴールスプリントに巻き込ませるリスクは避けなければならなかった。同様の理由で、千葉の平良柊、平良潤も既に集団前方には居ない。

 大川は、ロードレースの経験は多くはない。冬希をアシストしたことも、そもそもアシストとして働いたことも、今回が初めてのことだ。ある意味、チームメイトの平良潤や、監督の槙田が懸念していた点でもある。

 それをやったところで、ミスかと言われればそこまで問題があった行動かどうかは判断が難しいというほど、些細なことだったかも知れない。

 しかし、アシストが郷田であったならば、決して取らなかった行動を大川は取ってしまった。

 ペースが上がり切ったタイミングで、集団の後方では千切れる選手たちが次々に出ていた。

 そして、大川の耳には、後方から聞こえてくる選手たちの自転車の音で、そのことを感じ取っていた。

 ここで、大川は急に不安になった。自分がアシストしている冬希は、ちゃんとついて着ているだろうか。

 郷田であれば、冬希の自転車の音を間違うこともなかっただろう。また仮に冬希が千切れてしまっていたとしても、力尽きて一度下がって選手を短時間で復活させる手段もなく、その時点で勝ちは無くなっているいる。つまり、冬希がいなくなったことに気がついても、気がつかなくても、敗北という結果は変わらない。つまり、冬希がついてきているかどうかを確認する意味自体が既に無い段階だった。

 大川は、先頭で他のアシストたちと張り合いながら、ほんの一瞬、後ろを振り返った。結果から言うと、冬希はしっかりついてきていた。

 大川は、脚を緩めたつもりは一切なかった。しかし人間は本能的に、視界がない方向に全力で走り続けることが出来ない。後ろを振り返る際、バランスも微妙に崩れる。ほんのワンテンポ、大川は他のチームたちよりペダルを踏む脚が緩んだ。

 その隙を突いて、神奈川と長野のトレインが一気に加速して、大川と冬希のラインに覆いかぶさってきた。

 左側は土手、前と右側は神奈川、長野の選手たちに塞がれた。

 行き場を失った大川は、押し込められるように下がるしかなかった。

 大川は、自分の愚かさを呪った。冬希を信頼しきれていなかった。神崎高校の選手であれば、冬希がついてきているか不安に思うことなどなかっただろう。自分の失敗により、圧倒的有利と言われているレースを落としてしまった。大川は、自責の念で胸が痛くなった。

 冬希に謝ろうと、後ろを振り返った時、大川は、冬希が既に自分の後ろにいないことに気がついた。


 東京代表の伊佐は、冬希が瞬間移動したように見えた。

 千葉のアシスト、大川の後ろで神奈川と長野の、ほぼ捨て身とも言える攻撃により、千葉のトレインは行き場を失い、後方に下がるしかない状態だった。

 大川の足が一瞬鈍った瞬間を見計らって、神奈川、長野の先頭の選手は、それぞれ残った脚を全て使い切る勢いで加速し、千葉のトレインに覆いかぶさった。2県の2番手の選手達も、千葉のトレインを横に逃さないように、千葉のトレインに寄せていった。

 神奈川と長野のトレインは、それぞれアシスト1名とエーススプリンターの計2名のトレインとなった。

 そこまでしてでも潰す価値が、千葉の青山冬希という選手にあったのだろう。

 しかし、次の瞬間、冬希は神奈川の2名のトレインの後ろに居た。

 冬希は、4名から被せられた瞬間に、少しだけ後ろに下がり、やり過ごして神奈川の後ろにつけたのだったが、下がった瞬間、一瞬伊佐の視界から消えたことで、まさに瞬間移動したように見えたのだった。

 東京代表チームの麻生が加速し、先頭を主張する。

 千葉は後退し、神奈川、長野はいずれもアシストは1枚しか残っておらず、麻生、夏井の2枚のアシストを残した東京に抵抗することができない。

 ペースはさらに上がり、集団の先頭は一列になっている。先頭は東京の麻生、夏井、伊佐のトレイン。そこから長野のアシスト川田とエースの結城、神奈川のアシスト戸塚とエース三浦、その後に冬希が続いている。

 伊佐は殆ど脚も使っておらず、呼吸も整っている。

 レース最終盤で、ここまで余力を残した状態にあったことは、初めてのことだった。

 ほぼ個人戦のような中体連に比べ、高校での自転車ロードレースとは、チームでこれほど状況が作れるものなのかと、衝撃を受けていた。


 冬希は、神奈川のトレインを風よけに使いながら、前方の動きを見極めようとしていた。

 大川が、神奈川と長野の選手達に被せられそうになった時、一旦脚を止めて下がり、やり過ごして神奈川の三浦の後ろにつけた。

 そこで多少の脚は使ったが、ペダルを強く踏むことはせず、ケイデンスをあげて追いつくことで、脚の筋肉は使わずに、呼吸と心拍を使った。まだ呼吸は乱れているが、ゴール前に辿り着くまでには、ある程度落ち着いているだろう。

 それよりも問題は、ポジションが後ろに下がってしまったことだった。

 今、先頭の麻生が牽引を外れて、東京のアシストは夏井の1名だけになった。その後ろに伊佐、その後は4名挟まっていて冬希となる。距離にして20m近く後ろに下がっていることになる。

 一旦下がった時、冬希は長野の後ろにつけるか、神奈川の後ろにつけるか一瞬迷った。神奈川のトレインの後ろを選んだのは、長野のアシストと神奈川のアシストを比べた時、まだ神奈川のアシストである戸塚の表情の方が余裕があるように見えたからだ。

 しかし、結果として長野が前、神奈川が後ろという形になってしまった。これはもう仕方がない。

 ゴール前1kmを過ぎた。この後に急なコーナーが一つあり、そこを過ぎたら600mでゴールだ。

 長野のアシスト川田が最後の力を振り絞り、東京のトレインに並びかけようとする。しかし、東京のアシスト、夏井がスピードを上げて不発に終わる。川田は力を使い果たして下がっていく。

 東京の夏井、伊佐の後ろに長野のエース結城がつけた。アシストはもういない。

 右回りの急なコーナーが来た。減速し、コーナーリングをするタイミングで神奈川のアシスト、戸塚が東京の伊佐に並びかけ、夏井の後ろは伊佐、長野の結城のトレイン、戸塚の後ろは三浦、冬希のトレインと2つのトレインが並んだ形で最後の600mに入って行った。

 最初の300mは緩やかな左カーブで、その後に下り基調の直線300mが待っている。

 神奈川のアシスト、戸塚が剥がれ、東京の夏井、伊佐、その後ろに長野のエース結城と神奈川のエース三浦が並んでいる。冬希はさらにその三浦の後ろだ。

 残り400m、東京のアシスト夏井は風を受けながら全力で伊佐を牽引する。結城、三浦が伊佐に食らいつく。

 残り300mになっても、伊佐は、アシストである夏井の後ろを出ようとしない。まだ脚を溜めている。

 神奈川の三浦が仕掛けた。それを見て長野の結城もスプリントを開始する。伊佐は、二人を十分に引きつけた後、夏井の右側から弾けるようなスプリントで飛び出した。

 自動車の2車線分の幅のある道路で、左側に選手が集中している。冬希は、前の選手の後ろで空気抵抗を減らすメリットより、広い方に出て伸び伸びスプリントする方を選んだ。

 残り200m、一気にコースの右側に飛び出す。冬希のスプリント持続距離としては少し早い仕掛けだが、少し降っているので、残り50mぐらいで足が止まっても、惰性でゴールまで雪崩こめる。

 伊佐のスプリント能力は、結城や三浦を凌駕していた。二人も必死に抵抗するが、わずかに早く仕掛けた分、徐々に離されていく。

 ギリギリまで仕掛けを待った伊佐は、脚も十分残っている。全力のスプリントで二人を引き離していく。

 結城と三浦は、コースの右側を圧倒的なスピードで駆け抜けていく冬希を見て唖然とした。並ぶ間も無く走り去っていく。そのスピードは、自分達が止まっているのではないかと錯覚するほどだった。

 伊佐は、ゴール前10mまで勝利を確信していた。勝利を確信したからといって脚を緩めたりはしなかった。過去のレースでスプリントで勝ったことは多かったが、ここまでお膳立てされて、脚も呼吸も余裕がある状態でスプリントをしたことはなかった。会心のレースと言ってよかった。

 しかし、その伊佐の右側を、軽くブレーキをかけながら冬希が追い抜いていった。

 着差にしてホイール半分ぐらいの差でしかなかった。

 しかし、冬希は確実に、そして丁寧に伊佐を差し切った。ゴール後の左コーナーに備えて多少減速しながら。


「なんとか勝ったか」

 呼吸を整えながら冬希は、最後のスプリントだけではなく、レース全体を振り返ってそう呟いた。

 下りで全力スプリントは流石に怖かった。ただ、多少向かい風だった。冬希も伊佐も同じ条件だったが、スプリンターとしての特性上、ゴールスプリントの向かい風は瞬発力に優れた冬希に味方した。これが追い風であれば、更にスピードに乗った伊佐を差し切ることはできなかったかもしれない。

 また、大川が長野と神奈川に被せられた時、伊佐が早駆けをしていたら、冬希はゴール前までに伊佐を射程圏内に収めることができなかったかもしれない。

「まあ、勝てたからいいか」

 冬希の方に、平良兄弟や大川が走ってくるのが見えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 相変わらずつえー
[一言] 強い…
[一言] 人か魔か 光速スプリンター 異名に全く恥じない存在に成長している・・・!
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