表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

266/391

中学生オールラウンダー、伊佐雄二

 冬希は、試走を開始してすぐに植原に話しかけられた。

 植原は、冬希と同じ高校1年生で、慶安大附属のエースとして、共に全国の舞台で顔を合わせてきた。

 全国高校自転車競技会では、1年生ながら名門校の総合系エースとして表彰台も獲得した。全日本選手権は、コース適正に合わないとして出場を見送り、インターハイでは、史上最強の高校生と言われる露崎隆弘にエースの座を譲ったものの、露崎から多くのことを学び、さらに実力をつけていた。

「雛姫は、まだ定期的に浅輪さんと連絡をとっているようだ」

 沢村雛姫は、慶安大附属自転車競技部のマネージャーで、全国高校自転車競技会の前に、冬希と春奈が江戸川サイクリングロードの休憩所で出会って以来、春奈とは交流があるようだ。

「思ったより元気そうだな。もっと落ち込んでいるのかと思ったよ」

「まあ、色々あったからな」

 春奈が冬希の元を去ってから、郷田の母が亡くなり、安川優子のために奔走し、真理とのデート後にストーカーとかした安田と対峙した。

 それらの出来事は、冬希に春奈のことについて考える時間を奪ったが、それと同時に時間を置くことで、そのことについて客観的に考える事ができるようになるための時間を与えていた。

 しかし、植原は、色々あったという冬希の言を、違う意味で受け取ったようだ。

「好き合っていたように、俺には見えていたよ。俺や雛姫にとっては、理想的なぐらいに」

 植原たちには、植原たちなりの事情があるのだろう。雛姫は部のマネージャーであり、立場的には植原だけを特別扱いはできない立場にあるのかもしれない。

 それに比べて、冬希は自分と春奈の関係を、単純な恋愛関係だとは思わなくなっていた。

 もっと、心の深いところ、注意しなければ見逃してしまいそうな部分で、もはや癒着といっていいような、つながり方をしていたような気がする。

 冬希は、無理して入学した神崎高校で、ほとんど経験のない自転車競技をやっていくという、酷く不安定な状況に身を置くこととなっていた。

 春奈は、全身全霊を込めて打ち込んでいた馬術で大きな怪我をし、競技に対する恐怖と、心の拠り所としていたものを失ったことで、自分自身に対しても不信感を持つようになってしまっていた。

 そんな二人が出会い、その心の隙間を埋め合うように共に時間を過ごすようになった。

 お互いがお互いにとって不可欠な存在となっていた。

 その危うさに、先に気付いたのが、春奈だったのだ。

 全国の舞台で活躍するようになった冬希を見て、春奈は自分のことのように喜んだが、自分がこれからどうしていうべきかを考えたときに、本当にこのままでいいのか、という危機感を持ったのだろう。

 お互い、相手がいなければ不安でしょうがない、というような関係は望んでいなかったはずだったが、気づけば冬希も春奈も想像していたよりずっと強く依存しあってしまっていた。

 春奈は、冬希よりずっと大人だった。冬希に依存する気持ちを断ち切り、本来の自分の道に立ち返っていったのだ。別れ際の口づけは、決別のために必要な儀式のようなものだったと、冬希は、今はわかるようになっていた。

 冬希が春奈に連絡をしてしまえば、そういった春奈の決意とか行動とか、そういったものを全て無駄にしてしまう気がした。

 冬希自身、春奈が去ってしまい、心に大きな空洞が出来たようだった。これからどうしていけばいいのか、不安も少なからずあった。しかし、その後に起きた多くの出来事で、冬希に色々な人たちの在り方を見てきた。

 大切なものを失った人、孤独な戦いに挑む人たち、そういう人たちとの出会いは、冬希に道を示してくれた。

「そうだったかもしれない。けれど、きっと彼女の叶えたい夢というのは、俺のいるところとは遠く離れたところに存在するものだったんだろう」

「・・・辛いな」

「ああ、でも春奈がいなくなったことで」

 俯いていた冬希は植原の方を見た。

「俺は少しだけ、強くなれた気がするよ」

「そうか」

 その後、二人は言葉を交わすことなく、試走を終えた。


「植原さん、さっき試走で話していた人が青山選手ですか」

 試走を終えて東京代表チームのテントへ戻ってきた植原に、同じ東京代表のジャージを着た小柄な選手が話しかけてきた。

「ああ、伊佐。神崎高校の光速スプリンターだ」

 伊佐雄二は、中学3年生ながら、今年の中体連では平坦ステージ、中級山岳、上級山岳と全てのステージで優勝し、完全制覇を遂げた事が評価され、高校生の混じって国体の選手に選ばれていた。

 前年は、平坦ステージで立花が勝利し、中級山岳、上級山岳で植原が差をつけて勝利していることを考えると、スプリンタータイプの立花とクライマー寄りのオールラウンダーである植原の二人の特性を併せ持つような選手と言える。タイプとしては、インターハイで総合優勝した露崎に近いかもしれない。

「植原さん、青山さんに俺を紹介してくださいよ」

 植原から見ると、伊佐は冬希をライバル視している様なところがある様に見えた。

 冬希は高校でスプリンターとして活躍してはいるが、高校1年であり、中学3年の伊佐から見ると、学年的には1つ上でしかない。

「わかった。今からいこう」

 レース中にギスギスした感じになるより、事前に挨拶をさせておいた方がいいだろう、と植原は伊佐を連れて千葉県代表のテントへ向かった。


「冬希、俺は今から精神統一に入るから、時間になったら大声で呼べ」

「わかりました」

 平良柊が待機スペースの車の影に姿を消していくのが見えた。

「青山」

 植原から声をかけられ、冬希が振り向く。

「紹介しておこう、東京代表の伊佐雄二だ。今年の中体連で総合優勝している」

 伊佐が、やや緊張した表情でペコリとお辞儀をする。

「青山冬希です。よろしく」

 冬希は温和な表情で伊佐に挨拶を返した。

「伊佐は、中体連で全ステージ制覇している」

「すごいな、植原は東京代表のエースの座を奪われたのか」

 冬希が茶化す様に言った。

「一旦、今日のレースではそうなるな。エーススプリンターは伊佐だ」

 植原は苦笑しながら応える。

「青山さん。俺今日のレースで青山さんに勝てるかどうかで、高校に入ってスプリンターでやっていくか総合系でやっていくか決めようと思っています」

「お前、まだそんなことを言っているのか」

 植原が伊佐を嗜める。

 将来、どういう脚質の選手としてやっていくか、青山冬希と勝負して決めるということは、伊佐が国体のブロック大会の東京代表に選ばれてから、ずっと言い続けていることだ。

 冬希と勝負して勝てれば、高校に入ってからもスプリンターとして活躍できるという判断は正しいのだろう。しかし、今日冬希に負けたからといって、スプリンターとして通用しないと決めつけるのは、早すぎるのではないかと植原は思っていた。

 山も登れる、スプリントも出来る。今の伊佐は、植原からすると羨ましい才能の塊だった。だからこそ、たった一度のレースで、自分の可能性を制限する様なことをして欲しくは無かった。

 冬希は一瞬困った様な顔をしたが、植原の顔色を見て状況をある程度悟ったようだ。

「伊佐くん。今持っている自分の力を基準に、これからのことを決めない方がいい」

「・・・どういうことですか?」

「人の持っている才能が本格化するタイミングというのは、人それぞれ違うと思うんだ。俺は高校3年になって本格化した選手たちも知っているよ」

 植原は、誰のことを言っているかすぐにわかった。

 冬希と同じ神崎高校の3年の郷田と船津も、それぞれ全日本選手権や全国高校自転車競技会で優勝を果たしたが、3年になるまではどちらも目立った活躍はなかった。3年になる前に自分の能力に見切りをつけていたら、その後の二人の活躍はなかっただろう。

「それに、露崎さんのように、スプリントも出来て山も登れる最強のオールラウンダーもいるんだから、どちらかを諦める必要はないんじゃないかな」

「でも露崎選手は、スプリンターに特化した青山選手に、スプリントで負けました」

 伊佐は、むぅっとした表情をしている。

「すまんな青山。こいつは露崎さんを尊敬しているんだ」

「なるほど、だから伊佐くんはスプリントもヒルクライムも出来るんだな」

「でも、それほど甘くないということもわかりました。どっちつかずでは、どちらかに特化した選手には勝てない」

 自分の尊敬して止まない露崎が、1年生スプリンターに敗れた。そのことは、露崎を信奉してきた伊佐に、大きな衝撃を与えた。オールラウンダーがスプリントに特化した選手に本当に勝てないのか、伊佐は自分自身で挑戦しようとしているのだ。

「もういい伊佐、いくぞ。そろそろライダースミーティングだ」

 すまなかったと、冬希に目で挨拶をして、植原は伊佐を連れてテントへ戻って行った。


「あ、昼寝している柊先輩を起こさないと」

 冬希はキョロキョロと周囲を見渡すが、柊の姿は見えない。

 冬希は大きく息を吸い込むと、柊に言われた通り大声で柊を呼んだ。

「柊先輩、時間ですよ」

 草むらから、むっくり柊が上体を起こした。

「うるさいな、なんだよ大声出して」

「えぇ〜・・・」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 再開されてうれしいです。 相変わらず温かみのある文章にはほっとします。 ご心労・ご多忙の中とは思いますが、続きを楽しみに待っております。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ