安田、撃沈
「本当に現れました」
冬希は、校舎から学校の裏口のフェンスに佇む安田の姿を見て、驚きのあまり、横に立つ神崎の顔を見た。
神崎は、当然という表情をしている。
「相手の行動を誘導したい時、まずは相手が、何をしたいのかを知ること。そして、他の選択肢を消してあげることだよ」
神崎の指示したことは、多くはなかった。
1つは、警察に連絡し、真理の家の近所の見回りを強化してもらうこと。これは、真理の杉山が二人で近くの交番に相談に行ってもらったことで実現した。
もう1つは、真理に学校への交通手段を、最寄りの駅からの電車ではなく、バスで少し離れた駅まで移動して、そこから電車に乗るように変更してもらったのだった。
3日後には、安田は神崎高校の近くに現れた。
「難しい話ではないよ。荒木君の居場所を特定できる場所を限定しただけだよ」
自宅には確実に居る。しかし警察が見回りを行うようになったため、容易に近づけなくなった。もしかしたあら駅にも張り込んでいたのかもしれないが、そこにも姿を現さない。安田は、神崎に炙り出されるように学校の近くに現れた。
「こんにちは」
黒く細長いケースを背負った一人の女子生徒が、帰り際に安田に挨拶をした。
「こんにちは。君は吹奏楽部かな?」
「はい」
「私は、荒木真理さんの中学の頃の担任なんだけど、荒木さんはまだ学校にいるのかな?」
「はい、そこの校舎の陰で、一人で練習していますよ」
女子生徒は、人気のない校舎裏を指差した。
「ありがとう」
女子生徒は、ペコリと頭を下げ、そのままバス停へと向かって歩いていく。
安田は、校門の前までくるが、守衛所に守衛がおり、簡単には入れない。
その時、守衛所に内線が入り、少し話した後、守衛は守衛所から出て、真理がいるという校舎裏とは反対の方向に歩いていった。
安田は、守衛所の前に立ち止まり、あたかも受付をしようとしたが、人がいないので探しにいくといった体で学校の中へ無断で入って行った。
冬希は、安田の行動が全て神崎の読み通りであることに驚愕していた。
神崎の計画を聞いた時、冬希にはそこまで確信が持てなかった。
「荒木君は、中学の頃にこの安田という教師に待ち伏せされた女子生徒がいる言ったけど、なぜ待ち伏せという手段に出たかわかるかい?」
神崎の問いに、冬希も真理も答えられなかった。
「彼は、自分が教師で、生徒たちから慕われているということを、信じて疑っていないんだよ」
「それが、待ち伏せという話に繋がるのですか?」
「そうだよ。会えば、生徒はみんな丁寧に応対してくれる。だから、二人きりで会えさえすれば、みんなの先生である自分に会えた子は無条件で喜び、あわよくば、困ったときに連絡をするようにと、連絡先の交換なんて出来るかもしれない。あとは、ゆっくり愛を育めばいい」
神崎の芝居がかった言い回しに、冬希はゲンナリする。真理も心底気持ち悪そうだ。
「うちの学校にくる用事も、何か用意してきたのかもしれない。だが、無断で入ったとしても、荒木くんが話してくれれば守衛さんから咎められることもないだろうと、ノコノコ入ってきた。まあそんなところだろうね」
神崎は、急に真剣な顔になり、真理に行った。
「だから、その男を妄想から現実に引き戻してあげる必要があるんだ。荒木君。出来るかな?」
真理は、少し怖がっているようにも見えた。
「何かあったら、俺が守るよ」
冬希は、真理の背中に手を添えて言った。
真理は、黙って冬希を見上げた。二人は少しの間見つめ合う。
「うん」
少しののち、真理は決心したようにうなづいた。
安田は、周囲に人がいないことを確認しながら、学校の前で女子生徒に教えられた場所に歩いて行った。
地面には、背丈は低いが雑草が伸びており、ほとんど人が通らない場所だということはわかった。楽器の音もしない。
怪訝に思いつつも、安田は校舎の陰となっている部分を覗き込んだ。
「青山・・・」
安田は呻くように言った。そこには、険しい表情をした冬希が立っていた。
「ひ、久しぶりだな、今日はお前たち卒業生の様子を・・・」
「安田先生。もう荒木さんに近づくのを止めて頂きたい」
冬希は、聞かれてもいない言い訳を遮断し、安田に厳しく言い放った。
安田の表情が一瞬驚きから、徐々に怒りに変わるのが見えた。
生徒ごときが、青山ごときが、教師である自分に意見をした。それは安田にとっては許されざる屈辱だった。冬希が中学生だった頃、職場や家庭で何か気に入らないことがあれば、そのイライラを解消するために、サンドバッグのように冬希のことを一方的に口撃した。。
安田の中では、生徒というものは、教師から叱責を受ければ、傷ついたり、落ち込んだりすべきだと安田は思っていた。そして生徒のそういう表情を見ることで、安田は溜飲を下げてきた。
しかし、冬希は、返事や謝罪はするものの、全く堪えた様子はなく、指導に従うそぶりも見せなかった。それが、安田の冬希への態度をさらに悪化させる結果になっていた。
一方的に嬲られるだけだった冬希が、卒業したのを良いことに、自分に意見をしてきた。これは「指導」を行う口実になる。安田はそう思った。
「青山。お前はいつから教師に反抗的な態度を取れるほど偉くなったんだ?」
安田は、どすどすと地面を踏みつけながら冬希に迫ってきた。
「先生に向かって、そんな態度をとっていいと思っているのか!」
安田は、冬希の胸ぐらを掴んだ。しかし、その表情は苦悶に歪む。
壁に叩きつけようにも、引きつけようにも、自転車ロードレースで体幹を鍛え抜かれた冬希の体は、ビクともしない。
「キサマ!!」
冬希の頬を打とうと、安田が手を上げた瞬間、その手を掴んで捻り、脇固めのような形で地面に組み伏せた。
これは柔道では反則だったなぁ、などと全く関係のないことを思いながら、冬希はそのまま脛で安田の首の後ろを押さえつける。
「こんなことをして、許されると思っているのか!?」
雑草と土に中に顔を押し付けられながら、安田が喚く。だが、冬希はすでに安田を見ていない。
一人の女子生徒が歩いてきた。
「先生」
「あ、荒木さん!!これは、青山が突然先生に暴力を・・・」
呻くに安田が言い終わる前に、真理は毅然とした態度で安田に言った。
「先生、私は在校中、一度も先生を尊敬したことはありません。青山君に対する態度は最低でした。付き纏われるのも、本当に気持ち悪いですし、先生のことは本当に大嫌いです。二度と私たちに近づかないでください」
冬希は、安田の体から力が抜けるのを感じた。
死んでないよね、と顔を覗き込むと、どうやら放心状態であることがわかった。
抵抗されるとめんどくさいが、ここまで無抵抗になられると、それはそれで気持ち悪いなと思った。
どれぐらい力を入れて押さえておけばいいのだろうか、力を緩めたら真理に飛びかかったりしないか、と冬希が困っていると、守衛が走ってくるのが見えた。その後ろの方には神崎の姿もある。
冬希は、自分の下で転がっている安田を指差して、駆けつけた守衛に言った。
「すみません、コレをお願いしていいですか?」




