アウトソーシング
冬希が真理の異変に気づいたのは、早かった。
同窓会の2日後、夏休み終盤の真理との勉強会。少し翳りのある表情を見せた真理に、冬希は無遠慮に何があったかと真理に問うた。他のこととは違い、冬希も逡巡することはない。
「家に帰って、夜灯りをつけた後にカーテンを閉めようとしたら、家の前の道から、私の部屋を見上げている人がいるのが見えたの」
「知っている人?」
「顔までは見えなかったんだけど・・・」
「安田先生っぽかった?」
「・・・冬希くんも聞いてたんだ」
杉山から真理へ、注意を促す連絡が入っていたのと同様、冬希にも、小田から
「荒木さんが危ないかも」
という連絡が入っていた。
「まだ、わかんないんだけどね」
真理の話では、それは同窓会の夜と、昨日と、2日連続で、ただ、時間は決まって夜の10時頃ということだった。
「ふむ、ストーカーをストーキングしてみるか」
正体を確かめておいた方がいいと、冬希は思ったのだが、真理は反対した。
「頭がおかしい人は、何をするかわからないから。お父さんやお母さんにも言ってないの。出ていったら何をされるかわからないと思って」
確かにそうかもしれない、と冬希は思った。
警察に通報すれば、見回りを強化してくれたり、うまくいけば安田と思われるストーカーを捕まえてくれるかもしれない。しかし、それは一時的なもので、自由を取り戻したストーカーが逆上し、真理や家族を狙って危害を加えてくる可能性は、少なからずあるように思えた。そういう事件は枚挙に暇がない。
「安田先生って、変だって噂はあったんだよ。一度、バレー部の女の子が帰宅中に待ち伏せされてたって噂があって。まさか、先生という仕事をしている人が、そんなことをするなんて・・・」
最初は、安田と決まったわけではないというニュアンスの言い方をしていた真理も、内心確信に近いものを持っているようだ。
あれは、小学校何年生の時だっただろうか。冬希は記憶を呼び戻していた。
怒りに満ちた表情で帰ってきた姉は、まだ二人で使っていた現在の冬希の部屋の壁に、サブバックを投げつけた。
冬希は、気が強いと同時に自制心にも優れた姉が、物に当たる姿を初めてみた。
姉は、冬希に言った。
「教師というものほど信用できない奴らはいない」
教師というものが学校の先生だということすら、よく分かっていなかった幼い少年に、なんてことを教え込んだんだ、と冬希は思ったが、その一言のおかげで、安田という教師に遭ってしまったことも、汚い野良犬に吠えられたという程度の気持ちで、対処することができた。
その時に何があったのかは、だいぶ時間が経ってから聞いたことではあるが、当時中学生だった姉とその友人は、お調子者の男子にちょっかいをかけられていた。
最初は、二人とも無視をしていたのだが、あまりにしつこく、社会科見学の折に、学校の近くでバスを降りる際に、姉の友人に対して髪を引っ張るという暴力行為に及び、正義感から、と姉は言っていたが、おそらくは単にイライラしてその腹いせに、男子の股間を全力で蹴り上げた。
男子は帰宅後に、具合が悪そうにしているところを母親にみつかり、事の経緯を話さずに、単純に股間を蹴り上げられたとだけ話した。
怒った母親は、その日のうちに学校に電話し、姉は担任である定年間際の女教師に呼び出され、男子生徒に謝罪するように姉に言った。
そこまで聞いて、馬鹿なことをする、と冬希は思った。
事情も聞かずに、謝れなどと言われて、姉が謝るわけがない。
当然、姉は謝らなかったため、男子生徒の母親、担任も含め、事態は紛糾したが、嫌がらせを受けていた姉の友人が責任を感じ、代わりに謝ることで一応のケリがつくこととなった。
後からそのことを知った姉が、激怒したというわけだ。
冬希は、男子生徒の母親も、担任も、とんでもないことをしでかしたと思った。担任は、男子生徒の母親を納得させるため、そこを落とし所としてしまったのかもしれないが、そのことにより取り返しのつかない事態を引き起こすこととなってしまった。
憤慨した姉は、学校中の仲の良い人たちを通して、学年の全女子生徒、先輩、後輩にも手を回して、その男子生徒を最終的には卒業までの2年間以上無視し続けるという行為に出た。
男子生徒のやったことは、嫌がらせをして反撃を受けた程度の話なのだが、男子生徒の母親と担任が、その後の対応を間違えたため、男子生徒は中学生活の中で、校内のすべての女子生徒から無視されるという、辛い日々を送ることになってしまった。
姉の話では、無視され続けることに疲れた男子生徒は、最後の1年間は、もう女子に話しかけることをしなくなっていたため、卒業するタイミングでは姉たちの女子全員、その男子生徒を無視するという暗黙の協定を忘れてしまっていたそうだ。
ちなみにその時の担任は、自分の判断でその男子生徒が逆に酷い目に遭わされてしまったことを知らないまま、花束を受け取って退職していったそうだ。
「どうしよう」
真理は困惑している。
こういう時に頼りになる大人は、冬希の姉であるのだが、安田も男であるので、姉に危害が及ぶ可能性もある。それは避けたかった。
「一人、相談に乗ってくれそうな人がいるんだけど、一緒に行ってみない?」
冬希は、もう一人の頼れる大人に相談することにした。
冬希と真理は、タブレットを使って海外の自転車ロードレースを見ている最中だった神崎を訪ねて、理事長室に来ていた。
「それは、もうその安田という先生だろうね。それ以外の可能性を考えるのは、時間の無駄だよ」
神崎は断言した。真理は気づいていないようだが、時間の無駄というのは、それなりに真理の状況が差し迫っているということを示唆しているように、冬希には聞こえた。別の可能性を考えている間に、取り返しがつかないことになることもあるのだろう。
表情を固くする冬希に対して、神崎はあくまで平常時のどこか楽観的な表情で言った。
「うーん、青山君は国体のブロック大会も近いことだし、その前に片付けておこうか」
神崎の口調は、買い物に行く途中に、ポストに手紙を出しておく、ぐらいのノリに聞こえた。




