冬希と安田の確執
中学1年の頃、夏休み前に夏季集落と呼ばれる2泊3日の学年全体での合宿が行われた。
山の中腹にある県営の宿泊施設で、登山やキャンプファイヤーでの出し物、オリエンテーリングなどが行われた。
登山やオリエンテーリングでは、男子と女子で異なるルートが設定されており、冬希や小田たちのクラスは、当時担任だった女性教師は、女子側の担当として女子に同伴し、男子の担当は副担任だった安田となっていた。
校外での活動は、トラブルが起きると同様のことが校内で起きた場合と比べ物にならないほど、大ごととなる。
校内で生徒が一人、二人授業をサボっても、欠席扱いになるだけだが、合宿中に行方不明になれば、生死に関わる大問題となり、事態も学校だけの問題ではなくなってしまう。
そのため、くれぐれも問題を起こすなという教師への圧力も強く、教師たちも生徒に何度も念を押された記憶が杉山にもあった。
問題は、オリエンテーリングの時に起こった。
オリエンテーリングとは、山の各所に設定されたポイントを決められた順序で周り、ゴールまでのタイムを競う競技の一種で、地図とコンパスを頼りに各チームはゴールを目指していた。
夏季集落での冬希の班は、冬希の他には、小学校の頃はガキ大将で中1にして既に髪の毛を茶色に染めていた宗橋。そして暗く無口で、教育熱心なママが夏季集落にまでついてくると言って教師たちを困らせた鹿田の2名だった。
小田は、半決めは好きな人同士でと担任が言い、自分の希望を言わなかった冬希は、組む相手のいない宗橋、鹿田と組むようになったように記憶している。
そんな二人相手だったので、自然と班長は冬希となっていた。
オリエンテーリングでは、小田たちの班は順調にポイントを通過し、学年でも上位5位以内でゴールしていた。
しかし、冬希たちの班は、なぜか鹿田だけ戻ってきており、冬希と宗橋の姿が見えなかった。
終了時間を過ぎても戻ってこない二人に、教師たちの取り乱しようは小田たち生徒を不安にさせた。小田や冬希のクラスを担当する安田の顔も青ざめていた。
教師たちで探しに戻るか、警察、消防、保護者にも連絡を、などと話している時、オリエンテーリングのルートから大幅に外れた、冬希たちの宿泊施設の管理者から、二人を見つけたという連絡が入った。
二人は、宿泊施設の軽トラックの荷台に乗せられ、オリエンテーリングの集合場所まで戻ってきた。
軽トラから降りた二人に対して、安田は無事を喜ぶかと思われた。
冬希に近づいた安田は、いきなり強烈な平手打ちをした。
全クラスの男子生徒たちが見つめる中、激昂した安田は、班長である冬希を責めながら、何度も何度も、冬希に平手打ちをした。なぜルートから外れたのか。なぜスタート時に渡された携帯電話で報告をしなかったのか。
冬希は、直立したまま、それを受け続けた。止める教師もいない。
最後に、冬希に待たせた生徒たちに謝れといい、冬希は全員の前で謝罪をした。
解散になった後、他の生徒たちは、何があったのかを興味本位で知りたがった。冬希や宗橋、鹿田に群がり、質問攻めにした。
冬希は、自分が判断を誤った、以上のことは口にしなかった。
しかし、宗橋と鹿田の話を合わせると、大まかな事態は見えてきた。
スタート直後、オリエンテーリングを真面目にやることを宗橋は拒否した。こんなものまともにやってはいられない。小田には信じがたかったが、その時のことを話す宗橋は、俺は普通の奴らとは違う、といった感じででむしろ自慢げだった。自分が引き起こしたことで冬希が酷い目にあったにも関わらずだ。
宗橋は、地図を無視して直線的にポイントを回ろうと、遊歩道の柵を越えて、道のない森に入って行こうとした。
どんどん森に入って行こうとする宗橋に、冬希は危険を察知し、班長に与えられたガラケーで安田先生に連絡を取ろうとした。しかし、安田は出ない。
冬希はガラケーを、ぼーっと立ったままの鹿田に預け、自分は宗橋を呼び戻しに行くので、鹿田は安田先生に連絡を続けるように、出ない場合は、集合場所に行って状況を伝えるように依頼して、宗橋をおって山に入った。
小田には、なぜそうしたのか理解できなかったが、鹿田は冬希に依頼されたことを何一つ行っておらず、安田先生に電話をかけることも、集合場所で先生たちに報告することもやらなかった。鹿田の持っていたガラケーの履歴には、安田先生への不在のコールが1件だけしか残されていなかった。
宗橋を捕まえた冬希は、途中で急な崖を下っていたため、元の道には戻れなくなっており、回り道をして元の道に戻ろうとしたが、完全に迷ってしまっていた。地図もコンパスも、ガラケーと共に鹿田が持っている。
しばらく歩き回ったが、遊歩道や道に出ることはなく、困り果てているところに、沢を見つけた。
冬希は、宿泊施設の真横に川が流れてあるのを思い出し、沢を降れば、宿泊施設の横に出られるはず、と考え、宗橋を連れて沢を下っていった。
結果、幸運にも沢は宿泊施設の横を流れる川に合流しており、冬希たちはルートを大きく外れた宿泊施設近くで、保護されることとなった。
小田は、男子に囲まれて英雄になったかのように自慢げに話す宗橋も、まるで他人事で自分のどこが悪いのか、というような顔をしている鹿田も、どちらも気持ち悪いと思った。
冬希は最善を尽くしたと思う。自分でも冬希以上の判断ができたとは思えない。一人森に入った宗橋を見捨てて、自分は集合場所に戻って教師に報告していれば、少なくとも冬希は叱られることはなかったかもしれない。しかし、宗橋一人で山から戻れたとは思えず、もっと問題は大きくなっていただろう。
そしてもう一つ、冬希が安田先生の報告をしようとした時、なぜ安田先生は電話に出なかったのか。
それは、ガラケーの履歴にあった14:10頃、安田は無関係な女子たちのルートに近い位置におり、女子生徒たちと30分ほども談笑していたということが、女子たちの話で分かったのだ。
楽しいおしゃべりに夢中になって、気づかなかったのか、故意に無視したのかはわからないが、とにかく安田は冬希からの事前の報告を受けとることはなかった。
話を聞いた杉山は、大きくため息をついた。
「安田先生、最低じゃん」
「多分、青山を厳しく殴ったのも、他の先生たちから自分が責められないように、青山一人に責任を取らせようとしたんだと思う。一切事情も聞かずに、一方的にだったからな」
「他の先生たちは、青山くんから安田先生が着信を受けてたの知ってるの?」
「いや、安田が自分から言うわけないよ。バレたら自分が他の先生たちから責められるからな」
宗橋は扱いにくいヤンキーで、鹿田は母親が面倒な相手なので、冬希をターゲットにしたのかもしれない。
「安田先生、そんな人だったなんて」
「俺らの周りでは、安田はクズだって有名だったけどな。今思えば、先生たちの間でも、やばい先生だっていう認識はあったかもしれない」
冬希は、宗橋や鹿田を特段庇ったわけではないかもしれないが、反論することもなく結果的に一人で責任を負うこととなった。全クラスの男子の前で、あのような目に遭わされて傷つかないはずがない。
しかし、冬希は卑屈になることもなく、高校1年生にして全国屈指のスプリンターとして認められ、千葉県を代表して国体に出場しようとしている。冬希の目はつまらない過去ではなく、これからのことしか見ていないのだ。
小田も、サッカー部の練習が上手くいかず、監督から叱責を受けた時、心が折れそうになることもあった。しかし、そんなことは何でもない、と思わせてくれる活躍を冬希が見せてくれた。
だから、小田は冬希をスポーツ選手としてだけではなく、人間として尊敬するのだ。
「安田先生がそんな人だったら、荒木さん心配じゃない」
小田は意識を現実に戻された、
「そうなんだよ、あいつストーカーみたいなもんだから」
杉山は、荒木に警告をするかどうか迷っていた。不必要に不安を煽ることになるのではないかという気持ちもあった。
しかし、杉山の心配した以上に、事態は悪化をしていくことになる。
真理は、誰かに後をつけられるようになっていったのだった。




