坂東の決断
「それから坂東は、すぐに監督とスタッフに連れて行かれた。スマートフォンも取り上げられ、連絡もつかない。今は、軟禁状態だ」
露崎の言葉に、冬希と郷田は言葉を失った。
「監督さん達は、そんなに怒ってるんですか?なんか、そのまま暴行されたりしないですよね・・・」
冬希は心配そうに言った。
「基本的には温厚な人たちだから、それはないと思う」
「だが、軟禁状態とは、穏やかじゃないな」
郷田も気になる様子だ。
「あいつが軟禁状態に置かれたのには、理由があるんだ」
坂東は、地元ヌヴェールの事務所の、奥の一室に入れられた。
ミーティングに使われている部屋で、カーテンは閉められ、TVや電話もない。スマートフォンは、レース前に預けてから、返してもらえていない。
しばらくすると、チームの副代表と監督が入ってきた。二人とも怖い顔をしている。
「テル、今日のレースで俺が戻れと言った時、なぜ戻らなかった」
監督は、開口一番そういった。
「戻ったところで何になる。ジャンでは、ゴディニオンや他のプロコンチネンタルチームのエース達に太刀打ちできない」
坂東は冷酷に言い放った。監督は何も言わない。それは坂東の言い分を認めたということにもなる。
「そんな話をするために、俺を閉じ込めているのか?」
監督は、言いにくそうに口を開いた。
「今日はSDGのゴディニオンに勝ったとはいえ、お前はまだ力不足だ。ゴディニオンはワールドチームの所属だが、もうグランツールの選手には5年以上選ばれていない」
グランツールとは、世界3大自転車ロードレースである、ツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャの3つを指す。
「ゴディニオンは、もうとっくにピークを過ぎていて、実力もトップ選手と比べられないほど衰えている。それに対し、ツール・ド・フランスに出て来るような選手たちは違う。トップカテゴリのワールドチームに所属することが許された選手の中でも、最強の8人のメンバーだ」
坂東からすれば、ゴディニオンでも十分強かった。舗装路で、サイクリングでもしているかのように坂東たちを牽引する姿を見て、ワールドチームの人間たちは、人間であることをやめているような連中ばかりかと、衝撃を受けた。
「そんな奴らが、グランツールには20チーム以上参戦する。ツール・ド・フランスには、プロコンチネンタルチームもたった4チームだが参戦する。お前がプロコンチネンタルチームに入れば、そういった連中と戦わなければいけない」
「何が言いたい?」
「悪いことは言わん。うちと契約しろ」
監督の目には、有無を言わせぬ迫力があった。
「この契約書にサインするまで、ここからは出られないと思え」
「話が見えないな」
坂東には、話の関連性がわからない。
ここまで黙って見ていた副代表は、坂東のスマートフォンを取り出し、坂東の前に出した。
そこには、30件以上の着信があった。
「君へのオファーだ。電話番号を調べたところ、ほとんどがプロコンチネンタルチームの代表や、監督、コンチネンタルチームからも数件の着信があった」
「どこから連絡先が漏れたんだ」
チーム内には、数名連絡先を知っている者もいるし、事務所のPCには緊急連絡先として管理されてもいる。そこから流出したとしか思えなかった。
「それが、俺を外部から遮断した理由か」
「そうだ」
副代表は、言い切った。スマートフォンを取り上げたのも、外部から連絡が取れない環境に置いたのも、別チームと契約させないためだった。
「テル、勘違いするなよ。こいつらは、別にお前を見ているわけではない」
「どういう意味だ」
「こいつらが見ているのは、今日お前がツール・ド・モンス・アン・ペヴェルで優勝することで獲得したWCIポイントだ」
プロコンチネンタルチームは、自分達がプロコンチネンタルチームというカテゴリを維持するために、またWCIポイントでランキング上位に位置し、ツール・ド・フランスの出場チームに選ばれるために、世界中のレースを転戦し、WCIポイントを獲得している。
サッカーワールドカップ、オリンピックと並んで世界三大スポーツイベントに挙げられるツール・ド・フランスに出場すれば、世界中の人の目に留まる。大手のスポンサーの獲得も夢ではない。
逆に、先にスポンサーを獲得し、その資金でワールドチームからWCIポイントを多く獲得できそうな選手を集め、自分達のチームをプロコンチネンタルチームからワールドチームに昇格させてツール・ド・フランスに出場を決めるチームも少なくない。
WCIポイントを獲得できる選手を集めるというのは、プロコンチネンタルチームでは日常的に行われていることだった。
坂東は、コンチネンタルサーキットで、1番高いカテゴリ、HCのレースで優勝し、200ポイントのWCIポイントを獲得していた。
ツール・ド・フランスのステージ優勝で125ポイントなのだから、200ポイントというのが、どれほど獲得が難しいかがわかる。
18歳の、どこも契約をしていない無名の若者が、いきなり貴重な200ポイントを獲得してしまった。若手の育成を目的とするコンチネンタルチーム、その中でも坂東は選手個人のWCIランキングで一気に上位に名を連ねることになった。自ずと注目も集まる。
「テル、お前はまだ、うちと正式に契約したわけではない。だから別チームに移籍しても、違約金も何も発生しない。いわば、ノーリスクで手に入れることができる有望株なんだ。それが各チームがお前を欲しがる理由だ。まあ、違約金を払ってでも手に入れたいチームもいるだろうがな」
監督は、ため息混じりに言った。
「だが、お前がプロコンチネンタルチームに行ったとして、今の実力でレースに出してもらえることはないだろう。プロコンチネンタルチームの中には、所属選手の実力はワールドチームクラスでありながら、ワールドチームに昇格することで、ワールドツアーの全てのレースへの参戦義務を課せられるのを嫌い、あえてプロコンチネンタルチームに身を置いているところもある。そんなところに今のお前が入ってみろ。1度もレースに出ることもなく、契約期間が終われた捨てられる」
監督は寂しそうに俯いた。
「俺は、そうやって消えていった素質ある選手たちを、何人も見てきた」
坂東は考え込んだ。監督のいうことが正しいだろう。今日のツール・ド・モンス・アン・ペヴェルでも、舗装区間では、ワールドチームのゴディニオンはもとより、プロコンチネンタルチームが中心の逃げ集団についていくのもやっとだった。今はまだ実力不足なのは坂東にもわかった。
「うちのチームと契約しておけ。そして実力を身につけるんだ」
監督が言い、副代表も頷く。
「あんたらの言いたいことはわかった。だが、俺への親切心だけで契約させたいわけじゃないだろ」
坂東に200ポイント入り、チームにも200ポイント入った。ヌヴェールのコンチネンタルチーム内のランキングが上昇したのは確かだ。
「この契約書には、金額が書かれていないが、いくら貰えるんだ?」
坂東は、交渉に入った。
坂東が、古くて大して広くない露崎のアパートに帰宅した時、露崎は電話中だった。
坂東が帰宅したのを見ると、電話を中断して慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫だったか!?」
「何がだ」
「監督に怒られたろ」
「まあな」
「どうするんだお前、他チームからのオファーが大量に来ていただろう」
「ヌヴェールと契約してきた」
「え?」
「今日まで、この狭いボロアパートに居候させてもらっていたが、俺にも収入が約束された」
「おお」
「露崎、喜べ」
「おおっ!?」
「家賃を半分出してやる」
「自分の部屋を借りるんじゃないのかよ!!」
スピーカーフォンの向こうの坂東の声を聞いて、郷田と冬希は、胸を撫で下ろした。
「坂東さん、無事だったみたいですね」
「ああ、一安心だ」
『なんだ、青山と電話していたのか』
電話の向こうから、坂東の声がした。
「坂東さん、おめでとうございます」
「坂東、さすがだな」
『郷田もいるのか』
『実は・・・』
露崎が、電話の向こうで坂東に、郷田と話していた経緯を説明する。
「坂東が残るとなると、俺の入る枠はないんじゃないのか?」
郷田が冬希に言った。
『郷田、枠ならあるぞ。所属選手としての契約付きだ』
「本当ですか!?」
冬希が驚きの声をあげる。坂東でさえ練習生だったのだ。いきなり契約というのは破格の待遇だ。
『俺が、チームと契約する条件として、もう一人メンバーを加入させることを飲ませた』
チームの副代表は、その条件をあっさり飲んだ。坂東がチームに高額のギャラを要求しなかったことも理由にあった。
『給料は、俺や露崎と同じで、そこまで多くは貰えないがな』
『お前、俺と同じ額で契約したのか。お前だったら倍ぐらい要求するかと思ったよ』
『俺が求めているのは、1年間高額のギャラをもらうことじゃない。今後ずっとヨーロッパで活動し続けながら経験を積み、将来的にはプロコンチネンタルチーム、ワールドチームで走れる実力を身につけることだ。そのためには、継続してUCIポイントを獲得することが必要だ。そして、それにはそういう体制を作るしかない。いないよりマシだから裕理でも連れてくるかと思っていたが、郷田が来るのであれば、その枠はお前のために空けておく』
「いいのか」
『ああ、裕理はまだ、あん摩マッサージ指圧師の修行中だしな』
これで課題は一つ片付いた。まだ内定先のことがあるが、郷田の心はかなり傾いているだろう。
冬希は、郷田のために1つ根回しをしておこうと思っていた。
その夜、ジャンから坂東の元に電話がかかってきた。
内容は、自分の代わりにレースで成績を残してくれたことに対する感謝と、今日ジャンのアシストとして参加していたロマンが、来年度契約をしないと告げられたという連絡だった。
ロマンは、ジャンが連れてきた選手ではなかったが、チーム内で自分のポジションを確立するためジャンに近づき、献身的なサポートを行い、実力的にも申し分なかった。
しかしロマンは、ジャンのアシストとしての役割に注力していたここ2年間、WCIポイントを1ポイントも獲得できていなかった。それが、ロマンが坂東に押し出されるようにチームを去らなければならない、唯一の理由だった、
ジャンは、そのことは気にしていないということと、レース中に坂東がジャンのアシストをするために逃げ集団から戻らなかった件についても、自分でもそうしたと、理解を示してくれた。
坂東は、ジャンが自分を認めてくれたのだと感じると同時に、チームが自分中心に傾きつつあるということを感じた。




