反省会
表彰式を終え、冬希と郷田は自走で学校までの帰途についた。
途中、手頃なファミレスを見つけた二人は、残念会をしようという冬希の提案で、寄り道をすることになった。
300gのハンバーグと、大盛りのライスをあっという間に平らげた二人は、ドリンクバーのコーヒーで一服しながら、のんびりした時間を過ごしていた。
「あ、そうそう。これどうぞ」
冬希がリュックから取り出したのは、今日のレースの賞品である、大量の魚の干物の真空パックだった。全カテゴリの全順位で、全く同じ賞品だった。
この主催者のレースは、賞品が特徴的で、前回冬希が出場した時は、入賞者は袋いっぱいのとうもろこしを受け取っていた。
「いいのか?助かる。これで当分、朝食に困らないで済む」
郷田は、いつもの重厚なトーンでありながらも、本気で目を輝かせながら干物を受け取った。
「なんか、こういうレースもいいですね」
「ああ、みんな楽しそうに走っていて、こっちも楽しんで走ることができた」
高校の部活というものは、楽しむだけでは済まない部分がある。鍛錬を重ね、技量を上げ、結果を残すところまでがセットになっている側面がある。
今日は、学校の部活として参加している訳ではない。
「随分、久しぶりにレースを走った気がする」
「そうですね」
インターハイから、まだ1ヶ月も経過していない。しかし、その間に色々なことがありすぎた。
「青山、俺は社会人になっても、どこかの実業団に入らせてもらって、そこでレースを続けるのもいいかもしれないと思ったぞ」
実業団登録されているチームも様々で、先日冬希が露崎、坂東兄弟と共に戦ったマルケッティは、自転車レース専門の組織で、他にも企業の自転車部、自転車店の客向けチーム、そして趣味で集まっているチームなど、様々なチームが実業団登録して戦っている。
冬希は、ここだ、とばかりに切り出した。
「露崎さんから誘いを受けていた、フランスのコンチネンタルチームで走るのはどうですか?」
郷田は、難しい表情になった。
「既に就職で内定をもらっているからな。辞退をすれば、先方に迷惑がかかるし、神崎先生の顔を潰すことにもなる」
冬希は、目に見えて残念そうな顔をした。
「それに、俺の代わりに坂東が行ったのだろう。露崎が坂東の面倒を見ているのであれば、俺の面倒まで見る金銭的余裕はないだろう」
「うーん」
冬希は、顎に手を当て、考え込む。
「そこは、本人に確認してみますか」
冬希は、スマートフォンを取り出すと、ぽちぽちとメッセージを打った。
「フランスと日本の時差はどれぐらいだったか」
「7時間ですね。なのであっちは夜の9時ぐらいです」
ならば大丈夫か、と郷田は思った。もしフランスは夜中で、露崎や坂東を起こしてしまっては申し訳ないと考えていた。
メッセージを送って、直ぐに冬希のスマートフォンに、露崎からIP電話がかかってきた。
「はい、青山です」
『久しぶり、というほど時間は経っていないな。元気にしてたか?』
「はい」
冬希は、周囲に席に他のお客さんがいないことを確認し、控えめな音量でスピーカーに切り替えた。
『青山、お前がフランスに来たいのか?」
「いえ・・・」
冬希は、変に期待を持たせてはいけないと思い、郷田の名前を伏せていた。
「俺にフランスに行ったらどうかと、青山に言われたんだ」
郷田がスマートフォンに向かって話す。
『郷田もそこにいるのか』
「はい、今日は二人でレースに出まして・・・今、残念会をやっているところです」
『お前ら二人でレースに出て、負けたのか。どんな化け物が相手だったんだ』
冬希と郷田のコンビで、露崎をも倒したことがあるのだ。この二人が敗れるなど、受け入れ難い事実だった。
冬希も、流石にお爺ちゃんに負けたとは言えない。
「それより露崎さん、もし郷田さんがそっちにいくって行ったら、受け入れてもらえそうですか」
『もちろん、大歓迎だ。直ぐにでも来て欲しいぐらいだ』
「だが露崎よ。俺の代わりに坂東が行ったのではないか。ヌヴェールだって、そんなに沢山研修生を受け入れられないだろうし、お前だって、2人も面倒を見られるほどの余裕はないだろう」
ヌヴェールというのは、露崎や坂東が所属するチームの名前だ。
「そういえば、坂東さんは今近くにいるのですか?」
『いや、坂東はいない・・・もしかしたら、日本でも報道されるかも知れないが、坂東はもうチームにいられないかもしれない。実は今日、坂東はツール・ド・モンス・アン・ペヴェルというレースに出場したんだ』
「郷田さん知っていますか」
「確か、コンチネンタルサーキットと呼ばれる、プロコンチネンタルチームや、コンチネンタルチームが出場するレースの1つで、コンチネンタルサーキットの中で、最も危険だと言われるレースだ」
『ああ、坂東は、それに出場させられることになって』
露崎と坂東は、朝からのトレーニングを終えると、フランスのコンチネンタルチーム、ヌヴェールの事務所に呼び出されていた。
「よく来たな、タキ、それにテル」
フランス人の監督は、露崎隆弘をタキ、坂東輝幸をテルと呼んだ。
「実は、今度のツール・ド・モンス・アン・ペヴェルに、テルを出場させたいんだ」
露崎は驚いた。
「あのレースは、ジャン達で固めるはずだったじゃないですか」
「エントリーする選手は6人だ。ジャンのグループはジャンを含めても5人だ。確かに、少ない人数でエントリーしても問題はないのだが・・・ツール・ド・モンス・アン・ペヴェルは、コンチネンタルサーキットの中でも、最もランクが高いHCだ。少しでも上位に入って、なんとしてもWCIポイントを持って帰ってきて欲しいのだ」
WCIポイントは、自転車ロードレースチームが、ワールドチーム、プロコンチネンタルチーム、コンチネンタルチームというそれぞれのカテゴリから、ランクアップしたり、現在のカテゴリに留まるために必要なもので、レースで優勝したり、上位の結果を得ることで獲得できる。
最も高いカテゴリにあるワールドチームは、コンチネンタルサーキットに参加して優勝しても、WCIポイントは獲得できないため、出場してくることは殆どない。出場して来るとしても、主力選手はもっと上の、WCIポイントが獲得できるレースにエントリーされるため、選手のやりくり上、主力から外れた選手達しか出てこない。
「それに、テルを使いたいというのは、ジャンのたっての希望なんだ」
ツール・ド・モンス・アン・ペヴェルは、パヴェと呼ばれる石畳区間を20カ所も通過する、とても危険なレースだ。
石畳といっても、街に敷き詰められているようなものではなく、畑と畑を区切る未舗装の農道のようなところに、石を埋め込んだだけといったような、酷く荒れたコースを走るため、パンクなどのメカトラブルや、落車で大怪我をする選手達も少なくない。それが、最も高難易度に設定されている理由でもあった。
チームのエース格であるジャンは、自分のアシスト達にはできるだけ無理をさせずに、露崎のグループであり、まだ正式な選手ではなく練習生という扱いの坂東を使い潰すつもりなのかもしれない。
「俺は」
反対です、と露崎が言いかけた時、坂東は露崎の肩に手を置き、静止した。
「出ますよ」
露崎が、驚いた表情で坂東の顔を見た。
坂東からすると、このままレースに出ずに練習生を続けたところで、変わり映えしない現状が続くだけだと思っていた。チャンスがもらえるなら、どんどんレースに出るべきだし、それが最高のHCカテゴリなら、尚更だった。
「テルはこう言っているが、タキはどう思う?」
「本人が出るというのなら・・・」
露崎は、絞り出すような声で言った。
坂東は、たった一人孤立した状態で、最も危険なレースに出場することになった。




