3時間エンデューロ チーム寺崎輪業Cチーム ②
「ゼッケンが100番台の選手は、まだ集団に4人いるなぁ」
芝生の上で呑気にレースを見守りながら、冬希は独言た。郷田は、集団の中の20番手ぐらいを、大人しく走っている。
思えば、自分がレースに出ていない状況で郷田がレースをしている姿を見るのは、初めてだった。
流石に上級者向けのレースだけあって、ペースは驚くほど速い。100人近い参加者も、スタートして3周目で集団に残っているのは、既に30人程度になっている。
多くの参加者は、自身の心拍数が上がり切る前に、スタート直後のハイペースに巻き込まれ、集団から千切れていった。
「いい天気だなぁ」
冬希は、芝生の上に寝転んで、青く澄んだ空を見上げた。日差しはあるが、風が通っているので、木陰にいればそれほど暑くはない。
シャー、という音が近づいてくる。メイン集団が来た。
「えっ」
冬希が顔を上げると、先頭は郷田に替わっていた。
郷田は、隊列の後方からスタートしていた。
スタート直後は、選手たちはみんな体も硬く、緊張もしているので落車などが発生しやすい。
最初は、集団と距離を置いて様子を見ようと思っていた。
混乱もなくスタートし、隊列が整ってからペースアップが始まった。
最初から集団についていく気がない者、着いて行きたいが、ペースが速すぎてついていけない者などを抜きつつ、郷田は思ったより苦労せずにメイン集団に取り付いた。
1周のタイムを測ってみる。1周1.5kmを2分強。時速40kmを少し超えるぐらいか。
思いきりペースアップをしてもいいのかもしれないが、今日は楽しむと決めていた。
まず最初に、メイン集団を牽引して見ようと思った。
コントロールラインを通過するあたりで、外から集団を上がっていく。
先頭は、5人ぐらいで交代していた。そのローテーションに加わる。
郷田は、自分の番が来ると、あまりペースを速くしすぎないように、集団を牽いた。先頭を代わった瞬間にペースを上げてしまう行為は、他の選手たちから嫌われる。頑張りすぎても、いい事はない。
先程測った1周のタイムを綺麗に踏襲して、郷田は牽引を終える。
気分が高揚してくる。自分の牽引で、30名ほどの選手が後ろをついてきているのだ。他者から必要とされているような感覚が、郷田は嬉しかった。
2回目の先頭交代が回ってくると、郷田はもはや先頭を譲らなかった。
通常、1周交代で先頭交代をおこなっていると、交代しやすい開けた直線的な場所で、後続の選手に合図を出して、自身はゆっくり下がっていく。しかし、郷田は合図を出すことなく、先頭を牽き続けた。
序盤から先頭交代をしていた、今日の男子ソロカテゴリの優勝候補とも言える3人、橋本、鳥海、別府の3人は、顔を見合わせた。
今回の主催者が開催するレースの常連でもあり、強い意志で優勝を目指している3人は、当然メイン集団を牽引する役割を自分たちで担うべきだと考えていた。しかし、突然現れた、どこかで見た事がある選手が、単独で先頭を牽引している。彼が優勝を争う選手であれば、平等を期すために自分たちも先頭を引くべきだと思うところだが、ゼッケンを見る限り、男子チームカテゴリ。つまり男子ソロカテゴリの3人と優勝争いをすることはない。
3人は、大人しく郷田の後ろを走り続ける。
橋本は、郷田の真後ろで風を受けずに走り続けている。
自転車ロードレースの1番の敵は、空気抵抗だと言われている。
しかし、前を走るガタイのいいこの選手は、まるで空気抵抗を感じさせない走りを見せている。おまけに、驚くほどペダルを回す回数が少ない。つまりケイデンスが低い。
橋本が1分間に80から90回まわしているのに対し、郷田はどう考えても60回以下だ。なのに、同じスピードで走っているということは、郷田の方がずっと重いギアで踏み続けているということだ。
「一体、どんな足腰をしているんだ」
橋本は、鳥海に言った。
橋本は、実業団登録しているクラブチームで走っている選手だ。セミプロの選手たちとも多く走ってきた。その中に、これほど低いケイデンスで、これほどのペースで走っている選手を、見た事がなかった。
「俺は、こういう選手を見た事がある。その人も、低いケイデンスで重いギアを踏んでいた」
別府が言った。
「ゴール前でぶち抜かれたことがある。後で聞いた話では、プロの競輪選手だったらしい」
「ソロカテゴリじゃなくてよかった」
別府の言葉に、橋本がため息交じりに言った。
レースは、45分を経過しようとしていた。
芝生の中で、のんびり時間が来るのを待っていた冬希は、郷田にヒラヒラと手を振った。交代の合図だ。
郷田は、後続の選手に一言二言告げると、メイン集団を引き離し始めた。
「ありがたい」
冬希がすぐにメイン集団に戻れるように、メイン集団にタイム差をつけてくれようとしているのだ。
交代に要する時間を稼がなければ、冬希は自力でメイン集団に追いつかなければならなくなる。
冬希は、インターハイの最終ステージで、補給を取りに行く選手たちが、メイン集団から続々とアタックしていた様子を思い出していた。
郷田が、コース脇のパイロンから、芝生の広場内に容易された交代エリアに入ってきた。メイン集団はまだ来ない。
「お疲れ様です」
冬希が、郷田を出迎える。
「ずっと先頭牽いてましたね」
「ああ、なんだか楽しくなってしまってな」
郷田は、自分の自転車を地面に寝かせると、足首から計測タグを外し、手早く冬希の足首に巻きつけた。
「では、行ってきます」
「待て、青山」
「はい?」
「グローブは?」
「あっ」
冬希は、自転車を地面に倒すと、荷物を置いている場所まで走る。
ペダルに足を固定するためのクリートがついたビンディングシューズは、上手く走れない。
持ってきたリュックを開けてみるが、グローブが見つからない。
「あ、背中のポケット!」
サイクルジャージの背中のポケットに手を入れると、グローブの感触がある。
「あった!」
グローブをつけながら自転車のある場所に走って戻る。
その最中、無情にもメイン集団は、交代エリアの目の前を走り去っていった。
「やばいやばい!」
冬希は、慌ててコースインし、見えなくなったメイン集団を、自分の脚を使いながら、追いかけ始めた。




