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3時間エンデューロ チーム寺崎輪業Cチーム ①

『5、4、3、2、1、スタート!!』

 号砲が鳴り響き、100人を超える選手たちがスタートしていく。

 フレンドリーパーク下総は、それほど広いコースではない。その中を100人の選手たちが一斉に走っていく姿は壮観だった。

 1周だけ、低速で周回すると、その後はメイン集団はペースを上げ、隊列は縦長へと変化していった。

 先日、冬希が露崎や坂東兄弟と出場した袖ヶ浦のレースとは違い、プロが牽引するようなレースではない。日々トレーニングに励み、その成果を確かめに出ているホビーレーサーがほとんどで、腕試しで出場している実業団の選手が1、2名いる程度だ。

 普段、比較的殺伐としたレースばかり走ってきた郷田も、スタート時からリラックスして、心から楽しんで走っている。

 しかし、コース上に冬希の姿はない。

「えっと、1、2、3・・・うちも含めて4チームか」

 冬希は、コースの内側の芝生の上に胡座をかいて、のんびりとメイン集団を眺めていた。

 郷田と冬希は、チームでレースに出場している。しかしそれは、郷田が冬希をアシストするような従来のチームではなく、第1走者郷田、第2走者冬希といった、交代で走る形式のチームでの参加だった。

 今回、冬希と郷田が参加しているエンデューロは、一般市民が誰でも参加できる大会で、男子ソロ、女子ソロ、男子チーム、女子チーム、男女混合チーム、ファミリーチームが一緒に走るレースで、冬希と郷田は、寺崎輪業Cチームとして、男子チームでエントリーされていた。


 事の発端は、冬希が母親に言われて、お世話になっている自転車屋さんである、寺崎輪業へ挨拶に行った時だった。

 冬希は、店の前にある自転車ラックに自分のロードバイクを掛けると、停めてある軽トラックが目に留まった。

 以前は、荷台が錆だらけで、もう限界が近かったテラサキV10号が、見事にピッカピカの新車になっていた。

 店舗に入ると、内装も綺麗になっており、高価なロードバイクが何台も壁にかかっていた。随分、羽振りがいいようだ。

「こんにちは」

「お、おお」

 自転車を組んでいた店主は、手を止めてずり落ちた眼鏡を上げつつ、立ち上がった。

 店主は、体型はガリガリだが、山を登らせると、重力を感じない速さを見せるため、仙人と呼ばれているらしいことを、お店の常連から冬希は聞いていた。

 冬希がインターハイの報告と感謝の言葉を、無口な店主は静かに頷きながら聞いていた。

 無愛想ではあるが、無表情というわけではない、と冬希は思っている。レースの報告時は、少し優しい目をしてたことに冬希は気づいていた。自分が提供したフレームで冬希がレースに勝つことが、嬉しいのだ。そういう意味では、根っからの職人と言えた。

 ふと、店の電話が鳴った。

 店主が出ると、2、3回頷いて、わかった、と一言いって電話を切った。

「今週末、レースに出る予定だった常連さん夫婦が、急に出れなくなったそうだ。DNSでもエントリー代が戻ってくるわけでもない。代わりに出てみるか。2名縛りだが」

 店主の話では、お店のチームに所属する常連さんは、全員午前の90分のレースか、午後の3時間のレースかに既にエントリーしており、代わりに出る選手もいないという。

 冬希は、これだと思い、すぐに郷田にメッセージを送った。

 本当は、郷田に対して何をすればいいか、部活の先輩である平良兄弟や、理事長兼監督の神崎に相談する予定だった。自分一人ではとても良い考えが浮かぶとは思えず、じっくり腰を据えて考えるべきだと思っていたのだ。

 しかし、降って沸いた目の前のレースを逃す手はない。

 郷田から、承諾のメッセージが届いた。

「お願いします」

 冬希は、店主に出場選手の情報を伝えた。

 店主は、すぐにエントリー変更の依頼メールを主催者に送った。

 

 二人が会場に着くと、初心者向けの90分のレースが終わろうとしていた。

 ゆっくり走る人向けで、未就学児と思しき子供の後ろをお父さんが走っている姿もある。

 コースの内側にある芝生のサイトでは、レジャー用のテントが張られ、子供たちが走り回って遊んでいたり、出場している家族を応援したりしている。

 仲の良さそうな家族を見て、郷田が一瞬寂しそうな表情をしたように見えた。

 まだ早かったか、と冬希は郷田をここに連れてきたことを、一瞬後悔しそうになった。しかし、郷田は心配そうな冬希の方を振り返って笑って言った。

「楽しそうにしている親子を見て、まだ何も考えないというところまで気持ちの整理は出来ていないようだ」

「はい」

「だが、今日のレースに備えて、少しずつ外で走るようになって、少し気持ちが前向きなってきたのと、考えが整理されてきたりして、むしろ良い事が多かった」

 冬希にも、強がりではなく、そう言っているように見えた。

「俺は、母のために頑張ってきたつもりだった。だが、今ならはっきりとわかる。俺は母親に生かされていたんだ。母の喜ぶ顔を見るのが生き甲斐だった。しかし、母を失った今、何も無くなってしまったことに気がついた」

 冬希は何も言えなかった。

「それがわかっただけでも、大きな進歩だと思う。今では母には感謝しかない」

 郷田は、晴れ晴れとした表情をしている。ここまで郷田が、何に悩んでいたか、冬希は少しだけわかった気がした。

「今日のレースは、楽しみましょう」

「ああ、そうだな」


 冬希は受付を済ませると、補給食のゼリーと計測チップを受け取って戻ってきた。

「この計測チップ、足首に巻くそうです」

「ほう」

 計測チップには、マジックテープで巻くベルトが付いている。

 今まで冬希や郷田が走ってきたレースでは、計測チップは自転車のフロントフォークにつけていた。

「交代時は、これがバトンがわりになるという事でした」

「なるほどな」

 郷田と冬希は、二人で交代して走ることになる。リレーならバトン、駅伝なら襷を繋ぐが、今日のエンデューロでは計測チップを繋ぐことになるようだ。

「どっちが先に走りますか?」

「お前が最後にゴールスプリントをやるなら、俺が先でお前が後だろうな」

「わかりました。交代時間はどうしますか?」

「180分だからな、4等分して45分毎に交代でどうだ」

「いいと思います。それで行きましょう」

 2等分する場合、1時間半走ることになる。真夏にそれだけ走るのはまだそこそこ辛い。ソロで180分走っている選手はどうなるんだという話だが、辛いものは辛いのだ。

「この形式でレースするのは初めてだな」

「はい、楽しみですね」

 重責もない。負けても失うものもない。ただ、レースというものを楽しめるというのは、二人にとって初めてのことだった。

「目標は、勝つでいいのか?」

「そうですね、でも第1目標は、楽しむことで。第2目標が、勝てたら勝つってことで」

「わかったよ。リーダー」


 勝つためには、他に9チームいる、ゼッケンが100番代の男子チームカテゴリの動向をチェックする必要がある。

 冬希は、郷田がスタートした後、メイン集団のどの位置に男子チームの選手たちがいるか、見ておこうと思っていた。

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