最高のエース
夕食前の夕暮れ時、冬希と郷田は慶安大附属が宿泊するホテルを訪れていた。
露崎に連絡を取った時、いつでもいいということだったので、郷田はこの時間帯を選んだ。
単純に、翌日の準備などがあったというのもあるが、冬希には、あまり長く話すつもりはないという、郷田の意思の現れのように思えた。
ホテルのロビーに着くと、露崎が出迎えに来てくれていた。
品の良さそうなホテルフロントの男性も、冬希と郷田の顔を見ると、一礼して通してくれた。
そのまま、露崎達が宿泊している部屋に通される。
阿部と植原は、席を外してくれているようだ。
部屋は、冬希達が泊まっている部屋より少し広い。しかし、ツインの部屋に無理やりベッドが1台追加で置かれているため、なんとなく手狭に見えた。
しかし、ツインの部屋にベッドが1つ追加されているという構成は、冬希のホテルでも同じだ。インターハイの選手達の部屋用に、どこのホテルもそのような特別な構成にしてくれているようだ。
窓側に、テーブルがあり、向かい合って二人が座れるようになっている。そこに、ドレッサーの椅子を持ってきて、露崎はそこに座った。
冬希、郷田はぞれぞれの椅子に座り、T字のような形で3人が向かい合った。
「話は、青山から聞いた」
郷田が切り出す。ここでも、冬希は郷田の態度に、長い説明は不要だと言っているように見えた。
冬希は、席を外した方がいいのではないかと思っていたが、露崎も別の椅子を持ってくるし、郷田も席を外すようにいう様子はない。冬希は仕方なく、状況に流されるがままに、その場に留まった。
「俺が所属するチームは、コンチネンタルチームで、プロチームの若手育成を目的としている。まあ、実際には9月から契約という形になるんだが。給料もちゃんと出るぞ」
露崎が差し出す紙に書かれた金額を見て、冬希は、ユーロを円に換算してみる。郷田はすぐに計算できたのか、少し驚いた顔をしている。
「優秀な若手を集めるために、結構ちゃんとした金額を払ってくれるらしい。日本のスポンサーを探しているという話もあるから、俺と契約しようとしてくれているのかもしれないが、そこは実際のところよくわからない。日本に帰るってときも、別にスポンサー集めをしてこいとか言われなかったしな」
冬希は、俺の夢のために力を貸してくれ、というような話を想像していたが、意外に地に足のついた話をし始めたので、少し意外に思った。夢だけを追いかけて無鉄砲に海外に行ったわけではないのだ。
郷田も同じ思いだったのか、黙って露崎の話を聞いている。
「青山から聞いたかもしれないが、俺も自分のアシストをしてくれる選手が欲しい。今はそういった選手がいないんだ」
「露崎、お前の最大の目標はなんだ」
「ツール・ド・フランスの最終21ステージで、パリのシャンゼリゼ通りを走ることだ」
世界3大スポーツイベントの1つ、ツール・ド・フランス。オリンピックとサッカーワールドカップが4年に一度しか開催されないことを考えると、毎年開催される分、世界最大のスポーツイベントと言っていいのかもしれない。
「お前の自転車ロードレースヘの情熱は、その目標に向いているのかもしれない」
郷田は、静かに露崎に向き合った。
「だが、俺の自転車ロードレースへの情熱は、青山が神崎高校へ入ってきたことで、ピークを迎えたと思っている」
冬希は、息を呑んだ。
「パッとしない選手だった俺は、青山のアシストをすることで、自分が何のために自転車ロードレースを続けてきたか、初めてわかった気がした」
露崎は、黙って郷田の話を聞いている。
「露崎、俺がゴール前アシストした時の、青山の勝率を知っているか」
露崎は返事をしない。郷田が答えを求めているわけではないことは、露崎にもわかっていた。
「10割だ。俺がリードアウトして、青山がゴールを狙った時、その全てで青山は勝ってくれた」
冬希は、記憶を呼び起こす。自信はないが確かにそうかもしれないと思った。
「その中には、国内最強のロード選手であるお前を倒した第2ステージも含まれる。絶対に勝てないと言われたお前にも勝ってくれたんだ」
郷田は、夕暮れに染まる空を窓から見上げた。
「俺には、俺がレースで走っているところを見せたい人がいる。青山のおかげで、俺はその人に走りを見てもらうことができた」
郷田の母のことを言っているのだ、と冬希にはわかった。
「アシストにとって、結果で応えてくれる青山という選手は、本当に力を与えてくれる存在なんだ」
郷田は再び露崎に向き合った。
「だから、俺は青山以外のアシストをしたいとは思わないんだ。青山のアシストをすることは、俺にとって最大の名誉であり、最高の楽しみでもある。誘ってくれたことは嬉しいが、俺にとっては今の状況以上に充実したものには、ならなそうだ」
郷田は、立ち上がった。
冬希も慌てて立ち上がり、郷田の後を追う。
「郷田、青山より俺の方が優れていることを見せたらどうする?」
見せるも何も、十分俺よりすごいでしょ、と冬希は思った。
「露崎、青山が如何に素晴らしい選手なのか、明日お前に教えてやるよ」
郷田は部屋を出て行き、冬希はすぐに後を追った。
「明日、勝負するんですか?」
冬希は困惑した。明日は特に狙いに行くような話には、チームではなっていなかったはずだ。
「ああ、すまんな。売り言葉に買い言葉というやつだ」
「え、さっきのって、そういう雰囲気の話でしたっけ」
「まあしかし、これで明日は負けるわけにはいかなくなったな。戻って作戦を練ろう」
「かなわないなぁ」
冬希はぼやいたが、郷田の言葉は純粋に嬉しかった。
郷田の母も、期待しながら見てくれているのであれば、やはり勝って喜ばせてあげたいと思った。
「サーキットは道幅が広いですし、純粋な力勝負になりますよ。純粋な力勝負では、俺は露崎さんに勝てないですよ」
「まあ、なんとかなるだろう。俺もいるしな」
のんびり走って、余裕で千葉に帰るはずだったのに、と冬希は天を仰いだ。




