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高校総体自転車ロード 第5ステージ(鹿島神宮〜磯浦海岸)⑤

 露崎は、ペースを上げきれないまま、先行する船津を追っていく。

「参ったねこれは」

 計算上、露崎の前を走る選手は、船津を除いて7名いる。

 全員が船津から遅れており、今後も露崎はその7人を処理していかなければならない。

 ブラインドコーナーから、いつ選手が出てくるかわからない。

 普段なら減速しないようなコーナーも、曲がった先が見えるまで減速しながら回っていく。

 山岳ポイント付近、ゴールまで残り20kmで、最後にモトバイクが見せてくれた船津とのタイム差は1分だった。下りに入ると、露崎はあっという間にモトバイクを抜いてしまった。もうタイム差を教えてくれる人は露崎にはいない。

 通常の船津と露崎の、走力を比べると20kmで1分は簡単に追いつけるタイム差であるはずだが、露崎は本来のペースを出せずにいる。さらに、下りは船津も時速70km近いスピードで下っている。この後コースは平坦に近くなるが、それでも20kmを20分かからずに走破してしまう。

「これは不味いな」

 露崎は焦りを感じつつも、葛折の下りを丁寧にこなしていった。


 船津は、斜度のある下りを終えて平坦に近い下りになってきた頃から、自分の前に出てくれたモトバイクで、露崎とのタイム差を知った。

 残り15kmで1分。露崎が山岳ポイントを通過したタイミングと、ほぼ変わらないタイム差を維持できている。

 残り10kmまでこのタイム差を維持できれば、ステージ優勝が見えてくる。

 ステージ優勝?と船津は自分に問いかけた。

 違う。狙っているのは総合優勝だ。

 現在、露崎と船津は、総合タイムで24秒差ある。

 船津が、露崎を総合タイムで上回るためには、24秒以上のタイム差をつけてゴールしなければならない。

 船津にとっては、実質露崎とのタイム差は30秒とちょっとしかない。

 神崎高校としては、ステージ優勝は第2ステージで冬希が達成しているため、特別に手に入れたい結果というわけではなくなっていた。

 理事長兼監督の神崎からも、船津は総合優勝を狙いにいくように指示されている。

「無理を、するしかないのか」

 日頃のトレーニングで、自分が15kmの距離で維持できる出力が何ワットぐらいか、船津は熟知している。しかし、そのペースを維持したのでは、ステージ優勝はできても、総合タイムで露崎を逆転することはできない。

 全国高校自転車競技会での尾崎のことを思い出す。

 勝利を目指すのであれば、玉砕覚悟でも、可能性が0に近くても、戦わなければならない時もある。そうでもしなければ勝てない相手ということだろう。

 船津は覚悟を決めかけた時、コーナーリング時にガードレールに掛けられた、どこかの学校の応援の横断幕が目に入った。

 そこには大きな文字で「心・技・体」と書かれていた。

 そして、「日頃の鍛錬の成果を出し切れ」とも書かれていた。

 船津は、はっとなった。

 勝利を目指すあまり、大切なことを忘れていたのではないか。

 自分の鍛錬の成果を出し切るとはどういうことか。

 自分はいま、普段の自分と違うことをやろうとしてなかったか。

「危ない。追い詰められてどうかしてしまっていたようだ」

 船津は、大きく深呼吸をした。

 相手を見るのではなく、今は計算上最も最速でゴールに辿り着くことを考えるべきだ。

 それが船津自身の実力であり、それで負けたのであれば、仕方ない。

 船津は、下ハンドルを持ち、姿勢を低くして可能な限り空気抵抗を減らしながら、露崎から逃げ続けた。


 実際に1分後方にいる露崎は、ペースが遅い分無理せずに走ることができていた。

 そして鳶と思われる大きな猛禽類が山に沿って滑空しながら降っていく姿を目で追っている時、葛折の数回折り返した先でまとまって走る7人の姿を見た。

 このことは、2つの点で露崎を救った。

 1つは、最悪7回抜く必要があったのが、1度で済むということ。

 そしてもう1つは、この先あの7人のところまで誰もおらず、全力で下れるということだ。

 露崎は、座るポジションを少し前にずらし、下ハンドルを持って姿勢を低くし、本気で下る時のポジションに変更した。

 なんとか露崎の後方で、露崎を撮影していたカメラバイクは、あっという間に露崎の姿を見失った。


 本気で下りはじめての露崎は速かった。

 ものの数十秒で7人の追走集団に追いつくと、一気に抜いていった。

 露崎は、集団の中で脚を休めることもせず、まるで何も存在していないかのように、一瞬で突き抜けていった。

 先頭の船津は残り10km、タイム差は変わらず1分。

 下りに手こずった分と、スピードが速い分、山頂からの10kmはあっという間に終わってしまったため、船津との差はほとんど縮まっていない。

 ここから圧倒的な巡行能力で露崎はタイム差を詰めていく。

 残り9kmで57秒。

 残り8kmで54秒。

 1kmできっちり3秒ずつ差が縮まっていく。

「手強い」

 露崎は、サイクルコンピュータを見ながら、船津の走りに感嘆の声を漏らした。

 追われる側というのは、焦って暴走し自滅することが多い。

 しかし、船津の走りにはそんな要素が見当たらない。

 露崎は一定の出力でペダルを踏み続けているが、船津との差が綺麗に一定間隔で縮まっているといういことは、相手も一定の出力で踏み続けているということだ。並みの胆力ではない。

 そして、タイム差の縮まり方が、思ったよりも鈍いと感じていた。

 ステージ優勝を狙うならば、1kmにつき6秒ずつ、総合優勝でも4秒は縮める必要がある。

 このまま走り続ければ、ステージ優勝はおろか、総合優勝も微妙かもしれないと、露崎の方が焦り始めていた。


 残り7kmでタイム差は47秒となった。

 残り6kmでタイム差は41秒。

 残り5kmでタイム差は39秒。

 タイム差の縮まり方が一定ではなくなってきた。

 露崎は自身のサイクルコンピュータを確認する。だが、露崎は一定ペースを刻んでいるという情報を返してくる。

 ということは、船津がペース配分に緩急をつけ始めたということだ。

 5kmから6kmでは、2秒しか差が詰められていない。

 このままでは総合優勝も危うい。

 ペースを乱すなと、露崎は自分に言い聞かせた。

 露崎も、可能な限り速いペースで走っている。これ以上早いペースで走れば、ゴール前に脚を使い果たしてしまうことになりかねない。

 自分が平常心を失いつつあることを露崎は自覚していた。

 露崎は、船津の仕掛けてくる揺さぶりの有効性を認めざるを得なかった。


 船津は必死に踏み続ける。

 船津の心拍数はずっと限界を超えた状態だった。

 サイクルコンピューターからずっと警告音が鳴り続けていた。

 撹乱できればと思い、ペースに緩急をつけてみたが、効果があったかどうかはわからない。

 こちらが辛くなっただけで終わったかもしれない。

 体はずっと苦しいと言い続けている。

 船津はそれを無視して、ペダルを踏めと両足に指令を出し続けていた。

 大丈夫だ、本当の限界はもう少し先にある、と船津は自分に言い聞かせ続けた。


 残り1kmのアーチをくぐったタイミングで船津は、後ろを振り返る。

 もう露崎が見えていた。


 残り2kmの時点で、船津と露崎のタイム差は32秒となっていた。

 そして、残り1kmの前に、モトバイクは露崎の前から走り去っており、現在はどちらが総合1位なのか露崎にはわかっていなかった。

 ただ、前を走る船津の姿は見えており、距離は300mほど離れているということはわかった。


 船津は露崎の姿を確認するが、もはやスプリントはもちろん、ペースを上げることもできなかった。

 船津に唯一できることは、現在のペースでゴールまでいくことだ。

 一方、露崎は一層ペースを上げた。

 露崎の見立てでは、タイム差はまだ30秒は開いており、このままの差では総合タイムでも逆転を許してしまう。

 

 逃げる船津、追う露崎。

 ステージ優勝を狙うだけなら、船津はもう必死に走る必要はない程度に露崎を引き離していた。

 しかし、総合優勝という意味ではギリギリであることは船津にも分かっていた。

 第5ステージ開始時点での、24秒という露崎とのタイム差。

 ステージ順位で1位船津、2位露崎となった場合、ボーナスタイム1位3秒、2位2秒で1秒縮まるため、実際には露崎に23秒以上差をつけてゴールラインを通過する必要がある。

 船津は、ペースを落とさずに逃げ続ける。

 露崎はスプリントの体勢になってさらに加速する。

 船津がゴールラインを通過する。

 第5ステージのステージ優勝は船津だ。

 しばらくして、露崎がゴールラインを通過する。

「はぁ、はぁ・・・」

 ゴール後、船津はとても立っていられずに、ゴール後の道路の脇の民家のブロック塀に寄りかかる。

 露崎の方は、ペダルとシューズを固定するクリートを外すと、そのまま自転車を放り出し、地面に大の字になった。

 放り出された自転車は、ゴール地点で待機していた慶安大附属の1年生がかろうじて受け取って、傷がつかずに済んだ。

 呼吸を整えた船津が、よろよろと露崎のところに戻ってくる。

「どっちだ?」

 露崎が船津に尋ねる。

「わからん」

 船津は苦笑する。

 慶安大附属の部員達も何も言ってこないということは、勝ったとか負けたとか、自分達の判断で言えない程度には僅差だったということなのだろう。

 同時にゴールして、どっちが前だったか、であれば比較的わかりやすかったのだろうが、ゴールのタイミングは全く異なり、タイム差勝負ということであれば、見ただけでは全く判断がつかない。

 二人とも、五浦岬公園の駐車場まで移動してきたところで、状態の放送があった。

『ただいまのレースの結果をご報告いたします』

「お、出たかな」

 露崎の声色には、すでにどこか他人事のような雰囲気すら感じる。やることをやって、あとは結果を待つだけというのはそういうものかもしれないと、船津は思った。

『ステージ優勝は、神崎高校の船津選手です。2位の露崎選手とのタイム差は21秒でしたので、総合優勝は慶安大附属の露崎選手となります』

 場内で歓声が上がった。

「負けたか。おめでとう」

 船津が露崎に手を差し出す。

「危なかったぁ」

 露崎が、船津の手を握り返した。

 集まっていた報道陣が、一斉に二人の姿を撮影した。

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[良い点] すばらしい。頑張ってください。
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