高校総体自転車ロード 第2ステージ レース後
真理は、ゴール前で選手達がゴールしてくるのを待っていた。
最後のコーナーを曲がって、一人の選手が現れた。場内の放送によれば、坂東という選手らしい。
続いて、日の丸のジャージ、黄色いジャージ、緑色のジャージが続けて最後の直線に入ってくる。
その後ろは、少し離れたが、数えきれないぐらいの選手が雪崩のように押し寄せている。場内の放送によれば、あれがプロトンと呼ばれる集団らしい。
日の丸のジャージは、学校の先輩だったはずだ。そして黄色のジャージと緑色のジャージは、スタート前に談笑していた二人、海外でプロの自転車チームと契約する予定だという露崎という選手と、中学からの同級生で、現在は一緒に勉強する仲になっている冬希だ。
日の丸ジャージの先輩が、黄色ジャージと緑ジャージの二人に抜かれ、二人はそのまま先頭でコーナーに入ってきた坂東選手を抜く。場内は大きなため息に包まれた。
黄色ジャージと緑ジャージが二人横に並んだ。
スタート前に談笑していた二人が、自転車とは思えないようなスピードでゴールに突っ込んでくる。
どちらが前なのか、真理の位置からはよくわからない。
「冬希君!!」
聞こえるはずがないとわかってはいるが、真理は思わず叫んでいた。
そして二人は一瞬で真理の前を走り去っていった。
真理は、息をするのも忘れて、二人の戦いに見入っていた。
「すごい・・・・・・」
真理は、小さくため息をついた。
場内放送では、勝者は青山冬希と言っている。
プロトンの選手達が怒涛のようにゴール前を通過していく。
真理は、その迫力に圧倒されている。こんなスピードで走っていて、怖くないのか。
そして、そんな凄い選手達を抑えて、冬希は優勝したのだ。
中学の頃から知っている冬希ではないように思えた。彼は一体何者なのか。
大洗港中央公園の前に設定されたゴールのアーチを通り過ぎ、大洗海浜公園に設置された待機スペース付近まで冬希はゆっくりすすみ、自転車を停めた。
結構な追い風だったんだと冬希は気づいた。
レース自体は、基本的には向かい風基調で進んだが、ゴール地点は進んできた方向と逆向きに設定されていたため、最後のスプリントの時だけ、追い風になっていたのだ。
それも、露崎から逃げ切るのに大きな役割を果たしたのだろうと、冬希は思った。
後ろから郷田がやってきた。
「青山、勝ったのか」
「はい、郷田さんリードアウトありがとうございました」
「青山、お前という男は・・・・・・」
郷田は本当に驚いている様子だ。
実際に、郷田は驚いていた。あの露崎隆弘に勝てるものなのか。同タイムでゴールすることすら、今までの選手達には夢のように実現性の薄いことだった。
郷田と話していると、誰かにポンと背中を叩かれた。
振り向くと、誰もいない、反対側を見ると、坂東が、同じジャージを着た1年の天野と走り去っていく姿があった。坂東なりに祝福してくれたのだろうか。
冬希は、インタビュアーに囲まれ、色々と聞かれた。質問のほとんどがレースに関することよりも、露崎に勝った感想や、最初から露崎に勝つ自信があったのかなどで、冬希もどれほど難しいことをやってのけたのか、うっすらと実感し始めていた。
「すべては、郷田先輩のリードアウトのおかげです。郷田さんがいなければ、自分なんて街をチャリンコで走っている、ケチなチンピラですよ」
などと適当な応対をして、冬希はその場を切り上げた。
冬希は、郷田、そしてメイン集団で無事にゴールした船津と共に、ローラー台に乗ってクーリングダウンを始めた。負荷がない状態でペダルを回すことで、足に溜まった乳酸を分解できるそうだ。やるとやらないとでは、明日以降のコンディションに大きな違いが出てくる。
「いやぁ、痛快だった!」
理事長兼監督の神崎は、今までに見たことがないほど上機嫌だった。
どうやら、露崎が負けた瞬間、慶安大付属の監督である西尾という先生が、頭を抱えて崩れ落ちたそうだ。
神崎は、それも含めて冬希が勝った瞬間に小さくガッツポーズをしたそうだ。
「慶安大附属は名門だけど、インターハイ全ステージ制覇は流石に誰も成し遂げたことがない偉業だからね。自分が監督の間に伝説を残したかったんだろうけど、まぁ、ざまあみろだね」
神崎は、慶安大付属の西尾という先生と何か因縁があるらしい。
表彰式の準備をしてくれと、大会運営の係員に声をかけられ、冬希はローラー台に固定された自転車から降りて、グリーンジャージから神崎高校のジャージに着替えて、ステージのエリアの方に向かって歩いていった。
公園に設営されたステージに向かって冬希が歩いていると、丁度同じタイミングでステージに向かう露崎と一緒になった。
「青山、お前には感謝しないとな」
冬希は、よく意味がわからずに、首を傾げた。
「9月から加入することになったチームの監督から、ゴール前に後ろを見るのを辞めろって言われてはいたんだよ」
「辞めなかったんですか?」
「フランスで、毎週のようにレースに出ていて、必要最小限の力で賞金を稼ぐ必要があったんだよ」
土日連続で、離れた場所で行われるレースに参加することもあった露崎は、いかに疲労を溜めないように走るかにも気をつけていた。
フランスのアマチュアレースに出場した際、中間スプリントポイントで全力でスプリントする必要があるかどうか、後続がどのぐらいの位置にいて、どのぐらい追い上げてきているかで、加減をしてきた。
フランスのチームの監督から注意はされていたが、勝ち続けていた露崎は、あまり真剣に考えてはいなかった。
「こういう負け方をするとは思っていなかった」
冬希は、念入りに露崎の動きを研究し、隙をつくことに成功した。そういう戦い方をしてくる敵と、戦ったことがなかった。露崎は、本当に大事な場面でこんな負け方をしなくて良かったと、心から思った。
「新しく加入するチームで、大事な場面を任されて、こんな負け方をしていたら、即クビだったかもな」
大変な世界にいるのだなと、冬希は露崎に対して尊敬の念を抱いた。
「冬希君!」
柵の向こうで、真理が手を振っているのが見えた。神崎高校の制服がよく似合っている。
「来ちゃった」
「わざわざ応援に来てもらって、ありがとう」
冬希は思う。露崎のような格段にレベルが違う男に勝つことができたのは、真理のおかげかもしれないと。
思えば、全国高校自転車競技会の第1ステージの時もそうだった。真理の視線を感じて、本気で勝負する気になって、結果勝つことができた。さらに遡ると、神崎高校を受験しようと思った時だってそうだ。本来なら冬希が入学できるような学校ではなかった。
真理の存在は、冬希に、挑戦する勇気と実力以上の力を与えてくれる。
冬希は、意を決すると真理の方を向き、背筋を伸ばした。
「真理、俺は・・・」
「真理ちゃんって言うんだ。良かったら連絡先教えてくれない」
「おおおおおおいっ!!!」
横から露崎の、それこそ死角からの奇襲に思わず冬希が叫んだ。
「あんた、連絡先聞くのは、今日勝ったらって言ったじゃん!!今日勝ったのは俺!!」
「え、そんなこと言ったっけ?いいじゃないか、そんなこと」
露崎は、一向に気にした様子がない。
「あの、えっと、ごめんなさい」
真理は、冬希の方をチラチラ見たあと、露崎に丁寧に頭を下げた。
「そっかぁ。残念」
ガックリしたポーズをしているが、冬希には露崎が本気でガッカリしているようには見えなかった。
大会運営の係員が走ってきた。
「露崎選手、青山選手、表彰式が始まりますので、お二人とも急いで来て下さい」
「おっと、青山、先に行ってるよ。じゃあね、真理ちゃん」
露崎は、ステージの方に歩いていく。
露崎のマイペースさに、冬希は唖然とした。
「全く、今日のステージ、何のために苦労して勝ったか、わからないじゃないか」
こういう場合、例え冬希が負けて、露崎が勝ったとしても、あれはお前を本気にさせるための嘘だ、とか言って、結局真理の連絡先は聞かない、っていうパターンなんじゃないのか。
勝負して、負けたにも関わらず連絡先を聞くってどういうことよ、と冬希は奇想天外な露崎の行動に混乱していた。
「ふむふむ、冬希君は、今日は何のために勝ったの?」
「えっ」
冬希は固まった。
確かに今日、冬希は真理のために戦い、そして勝った。
それをこの場で言っていいものだろうか。いきなりそんなことを言われて、キモくないだろうか。
『神崎高校の青山選手、至急ステージまでお越しください』
場内放送で、呼び出しがかかる。
「ごめん、行ってくる」
「うん。私も表彰式見にいくね」
いつか、真理に言える日が来るといいな、と冬希は思った。