高校総体自転車ロード チームプレゼンテーション
冬希が、チームプレゼンテーションの会場に着いたのは、12時50分。出場承諾書の提出期限10分前だった。
このあたりは厳格で、1分でも遅れたら、出場が認められないという厳しい運用になっていた。
会場の入り口で郷田が待ってくれており、冬希はその場で承諾書にサインをして、無事に受付に提出することが出来た。
「ご苦労だったな。青山」
「疲れました」
「早速だが、時間がない。レース用のジャージに着替えてくれ」
郷田から、新品のサイクルジャージを渡されて、冬希はトイレの個室に入る。
郷田も似たような状況らしく、隣の個室で着替えているようだ。
「郷田さん、このジャージ、袖が緑色になってるんですけど」
「ああ、全国高校自転車競技会でスプリント賞を取ると、袖を緑色に出来るらしい。ちなみに総合優勝の船津は黄色だ」
冬希は、着替えて個室から出る。
「ちなみに全日本チャンピオンはどんなジャージなんですか?」
「これだ」
郷田も出てきた。ジャージのパンツは通常の神崎高校のものだが、上半身は白地に赤い大きな日の丸が描かれており、もはや神崎高校のサイクルジャージの面影は、胸元の「神崎高校」という文字だけだ。
「かっこいいですね」
冬希は、素直にそう思った。なんというか、特別感がすごい。
「母親も同じことを言っていた」
郷田は、少し嬉しそうだ。
「青山。そろそろ行こう、自転車はどこだ?」
「あ、そこのゴミ袋の塊です」
「・・・」
「・・・」
「そうか」
郷田は、養生テープを解いて自転車を組み立てるのを手伝ってくれた。
『東京代表、慶安大附属高等学校です。昨年の全国高校自転車競技会4勝、露崎隆弘選手、東京都地区予選優勝、阿部健太郎選手。今年の全国高校自転車競技会ステージ1勝で総合2位、植原博昭選手!』
3人が自転車に乗ってステージに姿を表す。
「本当に露崎だ」
福島の会津若松高校のエーススプリンター松平幸一郎は、いまだに信じられないという表情でステージを見上げた。昨年の全国高校自転車競技会では、松平はまだ2年になったばかりで、3年生スプリンターのアシストとして参加していた。第1ステージのゴールスプリントで3年のスプリンターを発射する前に、既に露崎は影も踏めぬほど先に行っていた。
松平と同じ2年ながら、上級生スプリンター達を圧倒する露崎に、当時の松平は戦慄を覚えた。
能力が違いすぎる。
露崎の持ち味は、1kmから加速するロングスプリントだ。アシストなど必要ない。圧倒的なフィジカルで、当時売り出し中だった函館第一高校の土方や、八雲商業の草野、富士吉田高校の柴田ら、のちに4大スプリンターなどと呼ばれる同年代エーススプリンター達をも圧倒した。
当時ほとんどのスプリンター達は、露崎の前に戦意を喪失していたが、坂東だけは露崎の優位性を見抜こうと必死に後を追い続けた。
エントリーリストで露崎の出場を知ってからは、いつもは強気のスプリンター陣も「3年最後の夏に悔いを残さないよう」だとか、「スプリント賞を狙う」など、彼らにしては弱気なコメントが目立っている。
だが、それも仕方ないと松平は思う。彼の出場を知って自信を失くさないものは、彼と走ったことがない者だけだろう。
「今回、僕は露崎さんのアシストに徹します。色々と勉強させてもらいたいと思います」
植原が優等生的なコメントを行うと、司会者は露崎にマイクを向けた。
『露崎選手は、ズバリ今回の目標は総合優勝ですね!?』
露崎は、自信にあふれた表情をしながら
「ええ、出るからには勝ちに行きます。第1ステージから第6ステージまで全て」
と言い切った。
『全勝宣言が出ました。今まで全勝で総合優勝した選手はいません。記録を楽しみにしてます!』
慶安大附属の選手達がステージから降りていく。露崎は、ステージ上とは違い、つまらなそうな顔で降りていった。露崎なら、全勝優勝して当たり前だと思っているだろう。松平は、実際に露崎がそんな記録を打ち立てても、一切驚かないだろうと思った。
『続きまして、千葉の神崎高等学校です。今年の全国高校自転車競技会総合優勝、船津幸村選手!』
優勝候補に挙げられる船津の登場に、会場も流石にステージに注目する。
『えっと、ここで神崎高校でエントリー変更がありました。』
会場がざわめき出す。興味なさそうにしていた佐賀大和高校の坂東も気になるようで、ステージの方を見た。
『平良柊選手、平良潤選手が体調不良のため、選手が変更となります。まず、今年の全日本高校自転車ロード選手権優勝、郷田隆将選手!!』
「マジかよ。全日本チャンピオン出してきやがった!」
坂東の弟、坂東裕理が唖然とステージを見上げた。
ステージには、全日本チャンピオンジャージを着用した郷田隆将が現れた。
日本の高校生で、唯一全日本チャンピオンだけが着用を許された、日本のナショナルチャンピオンジャージだ。
「ほう、あいつが今のナショナルチャンピオンか」
露崎も、興味深そうに郷田を見つめている。他人に一切興味がなさそうだった露崎の態度に、植原は少し意外さを覚えた。
『続きまして、今年の全国高校自転車競技会で1年生にして、露崎選手と同じステージ4勝、スプリント賞も獲得した、青山冬希選手です!!』
「マジか・・・」
坂東裕理も、口をあんぐり開けたまま絶句している。
颯爽とステージに現れた冬希に、この日のチームプレゼンテーションは、会場もネットも1番の盛り上がりを見せた。
冬希のOltre XR4は、先ほどまで輪行袋の代わりにゴミ袋に入れられていたとは思えないほど、ピカピカになっていた。
「馬鹿が。最初から出てきていればいいものを」
坂東は、ステージを見て吐き捨てるように言った。だが、天野と坂東裕理は、今日のチームプレゼンテーションに対して初めて坂東が示した反応だということを知っていた。
『船津選手、チームとしての今大会の目標は、やはり船津選手の総合優勝になりますでしょうか』
「はい、ただチームのメンバーを見ていただいた通り、うちの高校最強スプリンターが出ているので、当然平坦ステージも狙っていきます」
会場がどよめく。だが1番驚いていたのは冬希で、船津の方を驚いたように見て、そうなの!?と口だけで言っている。
『郷田選手、全日本選手権優勝からの短期間でのインターハイですが、コンディションは如何でしょうか』
「十分戦える準備は整っています。ただ、自分は今回はアシストで、うちの2人のエースが勝負できるように最善を尽くします」
『青山選手。突然の出場となりましたが、コンディションは調子がいい時に比べて何%ぐらいでしょうか?』
「80%?冗談じゃありません。現状で自分の性能は100%出せます」
どこかで聞いたセリフに、報道部活連のインタビュアーもノリノリになる。
『しかし、勝負どころで脚がないなんてことには・・・』
「脚なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです」
植原も苦笑する。露崎も
「面白いやつが出てきたな」
と多少興味を持ったようだ。
『冗談はさておき、今回も光速スプリントは炸裂するのでしょうか。慶安第附属の露崎選手もいますが』
見ていた人たちの1番の興味は、現役高校生最強の露崎と、現在まで勝負したスプリントステージでは無敗、まだスプリンターとして底を見せていない冬希が戦った時、どちらが勝つかということだった。
「露崎選手が、というより、今回も松平選手、土方選手、柴田選手、草野選手、それに坂東選手と、強力なスプリンター達が出場しています。そこに露崎選手も含め、みんな一切気の抜けないライバル達です。今まで通り全力を尽くすだけです」
この発言に驚いたのは、名前を挙げられたスプリンター達だった。
青山冬希という現役最強のスプリンターは、露崎と自分達を同等のライバルだと言った。
そんな自分達が、露崎相手に弱気になる理由などはない。
「天野」
「はい」
「明日から忙しくなるぞ」
坂東は、会場を後にした。
「おい、天野。兄貴めちゃくちゃ上機嫌だったな」
「はい」
坂東裕理も流石に兄弟なので、表情の読みにくい兄の考えはある程度わかる。だが、ここまでレース前にやる気に満ち溢れているのは、ちょっと記憶になかった。
愛知県清須高校の監督、藤堂は、サングラスの奥の目を細めて、努めて冷静に状況を分析しようとした。
確かに神崎高校のメンバーは強力になったように見える。だが総合系のアシストとしては、明らかに戦力ダウンだ。冬希も郷田も、実績は驚異的だが山岳アシストができるわけではない。
おまけに、冬希は平坦ステージでスプリントもやるという。藤堂が神崎高校の監督であれば、気が狂ってもそんな指示は出さない。総合優勝のために、船津のアシストに専念させるだろう。
「だが・・・」
藤堂は、口元を押さえた。ニヤける顔を抑えきれない。
藤堂も楽しみなのだ。理性とスプリント能力を兼ね備えた青山冬希というスプリンターと、最強のフィジカルを持つ露崎が、本気で勝負した時に、どちらが勝つのか。
藤堂もコーチという肩書きがなければ、ただの自転車競技大好き人間だ。自分が神崎高校の監督なら絶対に勝負させないという意見は変わらないが、この2人を対決させるため、神崎高校の監督には是非スプリント勝負をさせてもらいたいという感情もあった。それが現実になるとは。
「船津は、総合ライバルとしては計算しないでいいかもしれないな」
冬希にスプリント勝負をさせようという神崎高校の監督は、馬鹿だと藤堂は思っている。そこには関わらないが、あえて理性を捨てて、勝負をさせるその決断と、勝負させてしまうその好奇心に、心から敬意を表した。