葛西臨海水族園②
チケット売り場を通り過ぎ、階段を上がると、中央にガラス張りのドームの形をした建物があり、その両側には海が見えた。
しかし、実際に海に見えていた部分は、入り口の周りの池で、その奥の実際の海と繋がって見えたのだった。
「ふえー」
二人で気の抜けた声を上げる。
「冬希くん、ここ来たことある?」
「子供の頃に何度か。あんまり覚えてないんだけど」
「ボクもそんな感じ」
ニッコリ笑う春奈を見ていると、冬希はドキドキしてきた。なんとか心を落ち着かせようとする。
入り口からエスカレーターを降りて、まず最初に見えた水槽に、シュモクザメが泳いでいる。
「あ、ハンマーヘッドシャークだ!」
春奈が水槽に顔を近づける。
冬希はドキドキが収まらない。こういう時は、関係ないことを考えるべきだ。
まず、シュモクザメを見つめる。頭が左右に張り出して、ハンマーヘッドシャークの名の通り、金槌のような形をしている。
武井壮だったら、これとどう戦うだろうかと、妄想する。
まず、左右に張り出した頭を掴む。ここまではセオリーだ。その後、自分の体を竜巻のように回転させ、エイッと投擲!80mを超えてきた!
「違う!それは武井壮じゃなくって、室伏広治だ!!」
「えっ、突然どうしたの!?」
春奈がビックリして冬希を見る。
「あ、ごめん。なんでもない」
自分の中の武井壮が、途中から室伏広治になったなど、支離滅裂でどう説明していいかわからない。
「けど、ハンマーヘッドシャークもハンマーだから、室伏選手が投擲するのに論理的な理由にはなるな」
「なにを考えてるかわからないけど、ハンマーヘッドシャークはハンマーじゃなくってサメだからね」
もう、とジトっとした目で冬希を見るが、すぐに、次の水槽に行こう、と歩き出した。
「これは知ってる。ミノカサゴだ」
「正解、ハナミノカサゴだって」
冬希は、水槽の上に掲出されている魚の絵と名前を見て答える。
「お、すごいデカい魚がいる」
「あ、本当だ冬希くんより重そう」
冬希は既に、いつも通りに話せるようになっていた。
「こっちは世界中の魚、こっちは深海の魚だって」
春奈は、子供のようにはしゃいで次々と水槽を見ていく。
「おお、カニだ。カニがいる」
冬希も、夢中になって魚を見て回った。
「ペンギンがいっぱい居る」
春奈は、感動のあまり、立ち尽くしている。
「本当だ。ペンギンっていっぱい種類がいるんだなぁ」
冬希は、掲出されている絵と照らし合わせ、種類を特定しようとしたが、諦めた。全くわからなかった。
二人は、階段を降りて、水中のペンギンが見れる場所に来た。
「あ、うんちした」
「本当だ。こっちもうんちした」
面白い、面白いと、二人ではしゃいだ。
二人が階段を上がると、同年代の女の子3人組から声をかけられた。
「あの、青山冬希さんですよね?光速スプリンターの」
「この子がファンなんです」
話しかけてきた女の子の間の、少し下がった位置に大人しめの女の子が恥ずかしそうに冬希を見ていた。
「よかったら、この子と一緒に、写真を撮ってもらえませんか?」
春奈は、なぜか少し胸が痛んだ。しかし
「ごめんなさい。今は友達と一緒なので」
冬希は、言下に断った。春奈の顔色を伺う事も、迷うこともなく。
しかし、春奈には、友達、という一言が、心の奥に小さな棘のように突き刺さった。春奈の人生の中で、初めて感じる気持ちだ。
「ボクの事は気にしなくていいよ。待ってるから」
春奈は、少し下がる。
じゃあ、と二人の女の子は、大人しめの女の子を冬希に並ばせ、スマートフォンで写真を撮り始めた。
冬希のファンという女の子は、かなり冬希に近づけて立たされている。
恥ずかしそうにしているが、嫌というわけでもなく、むしろ少し嬉しそうにしているファンの子に春奈は、近い、と小さく呟き、そんな自分に驚きを禁じ得なかった。
写真を撮り終わると、3人の女の子は冬希にお礼を言って、嬉しそうに去っていった。
冬希は春奈の元に来ると、ごめん、と謝った。
「ううん、ボクがいいって言ったんだし」
しかし、少し沈んでいるように見えた春奈が、冬希は気になった。
「少し早いけど、お昼を食べに行こうか」
冬希が提案すると、春奈は、パァッと明るくなり
「うん、どんなメニューがあるか楽しみにしていたんだ!」
と、率先してレストランへと進んでいった。
「えっと、まぐろカツカレーもいいし、アジフライ丼も美味しそう!」
「どっちにする?」
「うーん、今日はカレーって気分だから、まぐろカツカレーかな」
「じゃあ、俺はアジフライ丼にしよう」
冬希たちは列に並び、トレイを持って順番を待った。ご飯ものは同じ注文カウンターであったため、各々まぐろカツカレーとアジフライ丼を受け取り、冬希がお金を払って席についた。
冬希が水を取ってきて、春奈はナフキンやスプーン、冬希の分の箸を取ってきた。
「いただきます」
二人で、魚さんありがとう、と丁寧に手を合わせて食べ始める。
「美味しい!マグロかつ美味しい!」
「アジフライも美味しいよ」
冬希にとっては、久々の白米になる。五臓六腑にしみわたる。
「アジフライ、食べてみる?」
冬希が、2枚あるうちの、冬希が口をつけていない方のアジフライを箸で挟み、春奈に差し出した。
「うん」
箸に挟まれた1枚のアジフライに、春奈はガブリとかぶりつく。
「アジフライだ!」
「アジフライだよ!」
どんな感想だよ、と冬希は苦笑する。それと同時に、一般的な恋人同士の「あーん」は、一枚のアジフライを差し出したり、かぶりついたりするものでは、少なくともないはずだ。もっと一口大のものを食べさせてあげるべきだったと、自分の雑さを反省した。
だが、この時点で春奈は、先程の件について、完全に気持ちが持ち直していた。