冬希の成長
初めてのレースを終え、冬希はようやく帰宅した。
レースは午前中に終わったのだが、そこから帰ってくると夕方の4時を過ぎていた。
早速自転車のメンテナンスを行う。
玄関の外に、ビニールシートを敷き、その上にサイクルコンピュータを外した自転車を、逆さまにして立てる。
前後のホイールを外し、ブレーキ部分の清掃。結構砂とか挟まっている。
外した後輪のギア部分、スプロケットに、今日のレースで貰ったパーツクリーナーを振りかけ、ヨレヨレになった父親のシャツを切ったもので、丁寧に拭いていく。
父親の話では、ヨレヨレになったシャツが、一番着心地がいいらしいが、母親がそれを許さず、捨てようとしていたところを、冬希が自転車整備用に貰い受けた。
それにしても、色々なところからの貰い物で、自転車生活はやっていけるものだと思った。
チェーンを掃除した後に、油を差し、フレームを乾拭きして終了。
「はあ、これでようやく寝れる・・・」
朝4時半に起きたのもあり、眠くて仕方なかった。
「ようやく寝れると思うと、興奮して寝れそうにない」
「いや、結局寝れないのかよ」
ぺちっと後頭部を叩かれ、後ろを振り向くと姉が立っていた。
「馬鹿なこと言ってないで、早く片付けなよ。プリン食べようぜ」
「プリンあるんだ」
「バイト先の居酒屋の大将からもらった」
大学に入り、居酒屋でバイトをするようになり、姉は少し変わったと、冬希は思う。
冬希に対する態度は、昔から変わらないが、他に対しては近づきがたい雰囲気をまとっていた。
元々、頭のいい人ではあったので、色々なことが分かってしまい、どこか周囲を見下した感じがあったのかもしれない。
だが、居酒屋でバイトをするようになり、食べられないと言っていたものが、いつの間にか食べられるようになっていたり、箸の持ち方が正しくなっていたり、他人に接する態度も、どこか柔らかくなっていった。
居酒屋の大将は、厳しい人(姉はうるさい人だと言っているが)らしく、冬希は、居酒屋でのバイトは長続きしないと思っていた。
だが、既にもう2年続いている。
うちの父親は、温和で、一切厳しいことを言わない。優しくて、人間的にも尊敬できると冬希は思ってるが、姉には、厳しく怒ってくれる人も、必要だったのかもしれない。
「大将が作った、お店で出すプリン、今日までに食べなきゃいけないやつが、1つ残ってたから、貰って来た」
「あれ?でも2つあるよ」
「弟にもやるから、もう一つ寄こせって言って、無理矢理もらってきた」
「え?大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。だって、プリンそんなに出ないじゃんって言ったら、大将泣きそうな顔をしてたけどね」
「いや、アウトでしょ・・・」
「アウトの中でも、まだセーフでしょ」
アウトの中にセーフなんて無いと思う。
まだ会った事も無い、居酒屋の大将に、感謝と哀悼の意を込めて、いただきますをして、プリンを頂く。
「で、レースどうだったの?」
「完璧」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべて見せる。
姉は、怪訝そうな表情になる
「何位だったの?」
「40人中33位」
「ふーん・・・」
姉は、少し考えると、何かを理解したかのように言った。
「あんたが満足したなら、それでいいんじゃない?」
冗談で言っているではないと理解したようで、姉は、ねぎらいもかねて、冬希の肩をポンポンと叩いた。
冬希と自分のプリンの容器とスプーンを台所にもっていき、洗い始める。
「洗い物やるよ?」
「あんたは疲れてるんだから、ゆっくり休みな」
こういう、気遣いが出来るようになったところも変わったなと、冬希は思う。
そして、そういったところを見習うことで、冬希自身も、成長している部分があるのだと思う。
姉に奴隷のように使われていた時期が長くあり、最近はやさしさや気遣いを身に着けていく姉を見習う面もある。
そういったところが、冬希の女性に特に優しくする部分に繋がっていっている。
お言葉に甘えて、少しの間、冬希は寝ることにした。
レースの後や、激しい練習の後など、回復走と言って、軽いペダルである程度の時間、自転車に乗ることで、乳酸が分解され、回復が早まるという。
だが、冬希はもうレース後に、ひーこら言いながら50キロを走って帰ってきた。
もう十分だろ・・・と思いながら、そのまま眠りにつき、朝まで起きることは無かった。