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七つの樹に七つの果

誰か、この囀りを聞け

作者: 七ツ樹七香

 

 翼をさずけてくれるんでしょう?


 ひとりよがりな願いをかけ、一気に飲み干したエナジードリンクは、舌と喉をチクチク刺しながら胃に落ちた。仰いだ空は、泣き出しそうな私みたいだ。

 コンビニを出て銀色の自転車にまたがると、薄いグレーのセーラーの襟に、ポツポツと濃い灰色のシミができはじめる。雨粒はみるみるうちに大きくなって、夕立よりはゲリラ豪雨の様相だ。傘もなしに突っ切って、私はただ、こぎにこぐ。

 今、私の中に真っ黒い渦がある。ここからどうにか逃げなきゃならない。

 雨に濡れた風が頬をかすっていく。熱くなったアスファルトから生ぬるい熱気が立ち上る。昨日そろえたばかりの前髪はすぐに額に張りついた。


 翼よ、どうした。

 私はまだ、地面を這わなきゃダメなのか。


 肩甲骨のあたりから、力強い羽が生えたらいい。大きくて大らかで、真っ白なヤツが一番いい。ゆっくりこわごわ動かして、慣れたら顔を真っ赤にしてばたついてやる。私は何でも下手くそだから、きっと溺れるみたいに羽ばたくんだろう。

 道の脇の水たまりを、車輪で二つに割ってひた走る。シャッと飛び散る雨水で、ハンドルがすこし重くなる。雨は制服の襟をすっかりねずみ色に変えてしまって、真っ白な身ごろを透き通らせた。キャミソールを着てて良かった。雨に透けたブラなんて、おっさんの注目を集めるばっかでサイアクだ。


 ああ、まだ飛べない。


 三段変速のしがないギアを一番軽くした。立ちこぎしたってのろのろとしか進まない上り坂を睨みつける。息が上がる、でも絶対に自転車から降りたくない。生ぬるい空気に私の熱い呼吸が滲んで溶ける。

 イラだちに点火するように、また嫌なシーンがフラッシュバックした。


『ごめん。私、ユウトくんと……付き合うことになったの。ミオの気持ち知ってた。でも……。ごめんなさい。私……、ごめん』


 ああ、そう。なんだそれ、なんだそれ。

 泣きそうな顔して言うのはずるいんじゃない?


『いいよいいよ、よかったね。お幸せに』


 笑いながらピエロになってその場を去った。

 よかったよ、幸せじゃん。私以外。たった一時間前のハートブレイク。

 渦が来た。溺れそうで、飛びたくなる。こんなときは空がいい。昔から思ってた。誰も縛らなくて、なにもなくて、遠く遠くへ飛んで行けると思うから。

 白い翼じゃなくていい、黒くても灰色でもぐちゃぐちゃでも、なんでもいいから羽が欲しい。

 遠く遠く旅をして、あきれるほどずっと温めていたかわいい想いが成仏するまで、果てまでだって羽ばたいていく。イカロスみたいに、ヨダカみたいに。

 もし宇宙まで行っちゃって、私が星になったなら、見上げて笑って願いをかけても、まあいいよ。私って割とやさしいからさ。


 ――叶えてあげるかは、わからないけど。


 こめかみを伝ったぬるい雨粒が目にしみた。寂れた展望台のある誰も居ない芝生の丘に、穂を出したばかりの若いススキが雨に打たれてうなだれている。乗り捨てて倒した自転車から駆けだして、間抜けな自尊心がきょろきょろと周りに誰も居ないのを確かめる。丘の上の公園は、悲しいぐらい人気(ひとけ)がない。

 私がここから飛び立っても、きっと誰も気づかない。

 びちゃびちゃの足に白いソックスがぴったりと張り付き、はねた泥がぽつぽつと水玉模様を作っていた。歩くたび、革靴がぐちゅぐちゅと気持ちの悪い音で私を責める。見下ろす町に、雲ごと落っこちていくみたいな雨が降る。

 大きく強い翼が欲しい。

 思い通りにいかなかった恋、私を好きにならなかった人、恋人を得た親友。


 ――明日も続いていく、ふざけた日常。


 打ち付ける雨が胸を貫き、私は背を丸めた。凍える私の背中は張り裂け、望んだ翼がメキメキと音を立てて産まれてくる。

 くの字みたいなフレームの骨を、一枚一枚羽が覆う。広げて、ゆっくりと胸元に風を送るみたいに羽ばたいてみる。おぼつかなく、穏やかに、だんだんに激しく、巻き起こす風を掴むみたいに。強くこぶしを握ってつま先立ちした体が少し浮くと、翼はまるでどこかに攫っていこうとするみたいに未知の浮遊感を私によこす。

 怖くなんかない。

 もう――、行きたいんだ。

 瞬間、一対の羽がパンッと強く空気をはたくと、私の体はちいさな町の上に放り出された。灰色の、私の町。


 さよなら、さよなら。


 遠くへと、願うたびに息苦しい。夢見た空に気楽さは少しもない。羽ばたくたびに、全力で走るみたいに体中がしびれる。喘ぐノドに、冷たく濡れた風が流れ込む。少しぐらいの爽快をくれたっていいのに。溺れそうだ。なんて無様。

 ああ、ほら、楽になんかなりゃしないんだ。


 ――わかってるよ。 


 ザアア、と変わらない雨音が耳元で響いていることに気づき、真っ白な夢の終わりを知る。丘から見下ろす町に一羽、真っ黒なカラスが濡れるのを楽しむみたいに円を描き飛んでいた。

 ふつふつと湧く思いを両足で踏みつけて、私は濡れそぼった両手をゆっくりと広げた。羽ばたいてみて、飛べない自分を思い知る。空を見上げて、腕を振り回しぐるぐるまわる。口を開けて常温の雨水にかみつきながら、わあわあと叫んでみせた。

 もどかしい想いぐらい、真っ白な羽で飛び立っていけ。

 ああこの恋は、フィナーレ。

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