第6話 幾望
今夜は雲がでていた。厚く、何物も通さないという強固な意志が感じられるほどの濃厚で濃密な雲。月の光も一切通さず、地球は完全に宇宙から隔離されていた。
空は暗い。だけど、それは逆に言うと地球の、人工の光がより明るく映えるということだ。だけど、それらにさえも隔離されている者たちがいた。
そう。僕とアイちゃんだ。暗がりにいるからって変なことをしようとしていたわけではない。今日はアイちゃんと僕が初めて出会った日なのだ。
「長いようで短かかったですね。ご主人様の家に来たのが二年前。告白されたのが一年前。本当にあっという間でした」
「それだけ二人の生活が充実していたってことじゃないかな」
「そうですね。ご主人様との二年間はとても充実していました。あの日ご主人様の家に配給されて、本当に良かったです。私は、こんなにもご主人様に愛されて、幸せ者です」
そう答えるアイちゃんの顔は仄かに赤く染まっていて、目の前にあるケーキのろうそくのようだった。ゆらゆらと、どことなく妖艶で、吹いたら消えてしまいそうなほど繊細で、燃え尽きそうなほど熱い。今日のアイちゃんは、いつも以上に魅力が詰まっていた。
「僕もアイちゃんが来てくれて本当に良かった。アイちゃんが来てくれたのは奇跡、いや、運命だと思ってる。これからも、ずっとよろしく頼む」
「はい。私で良ければいつまででもお供します。なんたって私は、ご主人様の家事アンドロイド件、彼女ですから」
嬉しそうに胸を張ってアイちゃんはそう言い切った。嬉しい。これほどまでに嬉しいことが、幸せなことが他にあろうか。いや、ない。心の底から愛している人に、いつまでもお供すると言われて、愛されて幸せと言われて、これほど男冥利につきる言葉は無いと思う。これを言われてグッとこない男はいないと思う。
「アイちゃん」
「なんですか?」
胸が早鐘のごとく打つ。心臓の音がまるで和太鼓のように耳に響く。身体が火照りだし、耳に熱がたまる。手には源泉のごとく汗が湧き出る。唇が乾燥して、舌に唾が溜まる。口の中にたまった唾を飲み込み、ゴクリと喉が音を鳴らす。部屋中に喉の音が響き渡り、僕とアイちゃんの二人だけの空間をより意識させられる。そうだ。今しかない。
「僕と、結婚してください」
アイちゃんは、答えない。一秒一秒が永遠のごとく感じられる。アイちゃんの顔が赤く染まる。椿のように赤い顔から透明な雫が一筋、二筋とたれる。雫が地に降り立ち、虹をかけて、小さな小さな水たまりを作った頃にアイちゃんは静かに、しかし、はっきりと答えた。
「はい」
いつのまにか地球を隠していた分厚い雲はどこかへと旅立っていた。月が顔を出し、ニヤニヤと笑っている。僕たちを冷やかす為か、スポットライトを浴びせ、辺りを明るく照らし出す。ろうそくの灯りのみの薄暗い部屋は、白銀の光に包み込まれ、キラキラと輝く。今夜のような月は古の時代『幾望』と呼ばれていた。
やっとルビの振り方がわかりました。
ただちょっと違和感が……。うーん、難しいなぁ…。