最終話 新月
見知らぬ感触。見知らぬ匂い。室外機が音もなくスイスイと回り、真っ白な天井が僕を出迎える。身体の方に感覚を移すと、そば粉でも入っているのだろうか、ザクザクとした枕と妙にフカフカとしたベットと布団が僕の身体を包み込んでいた。
ベットから起き上がり、んーと一つ伸びをする。頭からあの光景が離れない。アイちゃんが崩れ落ちたあの光景が。
喪失感をなんとか振り払おうと頭を強く振る。しかし、振り払うことは出来ない。ずっと頭にこびりついたままだ。
ちくしょう。どうしてだよ。言ったじゃないか。一緒に宇宙に行こうって。いつまでも一緒に暮らすんだって。それなのに、ズルイじゃないか。僕より先に星になってしまうなんて。宇宙に行ってしまうなんて。
ポツリポツリと涙が落ちる。真っ白な柔らかいベットが灰色に染まっていく。
「ああ……ああああああああああああ!!」
部屋が震えるほどの絶叫。涙と声が枯れるまで、僕はずっと叫び続けていた。
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ガチャリ
ドアが開く。一人の男が入ってくる。心の中がドス黒く染まっていく。手と足に力が漲り男を引き裂かんとビキビキと震え、血管が浮き出る。
忘れるはずもない。僕からアイちゃんを奪った男。激怒、憤怒、激昂、嚇怒、言葉では伝えきれないほどの激しい怒りが身体中を貫いていく。
「よお」
「ーーッ!」
ダン!
バキリ!
「カハッ」
気がつくとぼくは床に這い蹲り、男を睨みつけていた。クソッ。復讐すらまともに出来ないなんて。
情けない。なんて情けないんだ。いつだってそうだ。僕は自分の思い通りにならなくて、挫折して、自分の情けなさを噛み締めてきた。こんな僕に生きる意味なんてあるのかな。こんなクソッタレな僕が。
「クソ。クソッ!」
涙を垂らしながら力任せに思い切り床を殴りつける。
「……何故だ?」
男がポツリと呟く。
「どうしてそこまでしてそのアンドロイドに固執するんだ?」
「彼女が僕の全てだからだ!僕がこのクソッタレな世界で唯一愛する事が出来た、信じることが出来た人だからだ!」
そこらじゅうにツバを撒き散らすのも構わず叫ぶ。
「……そうか」
呟く男の顔はなぜか少し、晴々としているように見えた。
「俺は嫌いだったんだ。この世界が。俺の周りは醜いものばかりでなにも美しいものがなかった。何でこんな醜いものに溢れた世界で生きているんだろうと思った。だが、それも今日のためだったんだな。今日ここで本当に美しいものに出会うために俺は今まで生きてきたんだ」
男は真新しい黒いスーツの中の右ポケットから一つのデータチップを取り出した。吸い込まれてしまいそうなほど真っ黒く輝くチップ。それは、何の変哲も無いはずなのに、僕の心を掴んで、離さない。魔法にかかってしまったかのように僕はそこから視線を動かせずにいた。
「お前に返す」
真っ黒なチップ。だが、それは何よりも光り輝いて見える。
「お前の家は元通りにする事は出来ない。だが、代わりの家を用意しておいた。ここから770キロ程離れたところだ。もうすでにお前のアンドロイドの解析は終わっている。今からでも一緒に帰ることができるぞ」
男がパチリと音を鳴らすと、一人のアンドロイドが入ってくる。
「はじめまして。ご主人様。WOP社36番式アンドロイド コードネームAIです。これからよろしくお願いします」
アイちゃんは深々と頭を下げた。僕は、はやる気持ちを抑えてアイちゃんに近づく。首筋手を伸ばし、チップを交換した。生唾を飲み込む。
無表情だったアイちゃんの表情は徐々に崩れていく。クールでキリッとした目が大きな透明の真珠であふれていく。
「ただいま。ご主人様」
僕は忘れない。この素晴らしい奇跡を。人生で二回目の最高の奇跡を。
アイちゃんと僕は外に出て、泣きながら笑い合う。真っ暗な闇の中で笑いながら抱き合って、泣きながらキスをする。
空は真っ黒で何も見えない。月も空気を読んで隠れてくれたのかもしれない。今宵は新月だ。ここから、月は満ちていく。真っ黒な空を見上げてなんとなく月が見守ってくれている感じがして、目を細めた。
「これからもずっと一緒です」
「ああ。ずっと……ずっと一緒だ」
アイちゃんと僕は、嬉しそうに呟いた後、キスをした。深く、深く。もう離さないと言わんばかりに。
空の深いところで、新月で何も見えないはずの闇がキラリと輝いた気がした。
これで最終話です。読んでくれた皆さん今までありがとうございました!
初めての恋愛小説ということで、なかなか至らない点もあったと思いますがそこはご愛嬌ということで。今回の小説で描写力の足りなさを痛感しましたので、修行してこようと思います。
今、新しい連載をこねくり回している最中なのでわりとすぐ新連載がくるかも?です。
次の作品も読んでいただけると幸いです。




