第13話 下弦の月
頭に当たっている柔らかな感触に気づきハッと目を覚ます。僕は何をしていたんだっけ。薄ぼんやりと白く染まった思考が、それ以上の思考を停止して、停滞させる。
ああ、心地いい。このまま眠ってしまおうか。久しぶりに二度寝の快感でも味わってしまおうか。あれ、何で久しぶりなんだっけ。二度寝なんていつもしてるはずなのに。
「ご主人様!やっと起きた!」
頭にねちっこくしがみつく霧が晴れ、自分の居場所が見えてくる。そうだ、僕はアイを抱きしめようとして……。
「良かった。本当に良かった。このまま目を覚まさなかったらどうしようって……。ずっと、ずっと不安でたまらなくて。頼る相手もいなくて……。ご主人様……っ!」
額にポタポタと絶え間なく大粒の涙が降りしきる。心配させてしまったのにこんな事を考えるなんて僕は、本当にどうしようもない能天気野郎なのかもしれない。だけど、思わずにはいられなかった。美しい。
「ごめん。心配をかけた」
「かけすぎです!次からは絶対無理しないでくださいね」
「わかった。出来る限り無理しないようにする」
少し間を置いて、はいとアイからの返事が返る。
「もう少しこのままでいさせてくれないか?」
「私の膝枕で良いのならいくらでもどうぞ」
少し、疲れた。足の痛みはひいてきてはいる。だけど、まだ完治とは程遠い状況だ。もう少し、もう少しだけこうしていたい。痛みも不安も、今だけは忘れて一人の男としてアイちゃんに甘えてしまいたい。
だけど、現実はそう甘くはないようだ。部屋に反響するいくつかの足音。隣で輝いていたネオンの光がバチバチと弾ける。背後にあるEXITの文字、一目散に逃げ出す。
痛い。治ってきていた傷が開かれていくのがわかる。ただの痛みから、徐々に刺すような痛みになり、激痛に変わる。神に祈りを吐き出して、今一時だけでも痛みを忘れさせてくれと祈る。
雨にも負けず、痛む足を懸命に前に出して進む。水たまりに移る自分の身体を踏み潰し、水飛沫があがる。足から垂れるドス黒い血が靴に溜まり白いスポーツシューズが朱に染まる。周囲には、自分たちを気圧さんと高層ビルが立ち並ぶ。ビルにちょくちょくと灯った明かりが僕たちを監視する。
雨粒がコンクリートを弾く音、バチバチと放電する街灯の音、水たまりを踏み抜く音、僕たちの吐息の音、追っ手たちの足音、全ての音が混ざり合って一つの思いに終着する。
『生きたい。俺はアイと生きたい』
最後にして最大の力を振り絞り、走る。道なんてわからない。ただ生きたいという思いだけを胸にひたすらに走る。いくつものビルを走り抜け、何キロメートルものコンクリートを踏み越える。気がついた時には追っ手は居なくなっていた。
はぁはぁと白い吐息が漏れる度に、宙にヒラヒラと舞い上がり、口の中で綿飴が溶けるように闇に溶ける。自らの息を目で追いかけて、顔を上げる。目の前にあったのは、かつて自分たちが暮らしていた家だった。
家の中に入り、久々のフカフカなベットに横たわる。そして、気を失うように僕は眠りについた。
雨は依然として降り続き、止む気配をみせないでいた。
いつも読んでくださっている読者の皆様、本当にありがとうございます!
物語もそろそろ終盤です。
最後まで楽しんでいってください!




