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花芽

空気が淀んでいる東京でも春には春の香りが鼻をかすめる。空気が変わって浮き立った美世は、大好きな花見を神宮外苑でやる事を鷹山に提案しようと思って駅の階段を駆け上がった。


 しかし地上に出た所で思い出した。場所が神域では雛子が参加できない。普段仕事で遺体ばかりを扱っているせいで汚れを気にして神域には入れないのだ。


 入るにしても1ヶ月は死から離れなければならず、それでは開花時期に間に合わないし自分の都合で仕事をストップさせるなど不可能だ。


 東京の桜の名所など美世の知識ではたかが知れている。桜は一瞬しか咲かないのだ。タブレットを取り出して最適なロケーションを検索してみる。一番近いのは代々木公園と青山霊園だ。

「霊園ならなんも問題ない!」

 美世はニヤニヤとプランを妄想しながら霊園へと歩いた。


「とも兄は2月末までに忙しい時期を終える、姉さんはもうすぐ論文が纏まるって言うてた、弟二人は強制参加や、フロ? 知らん、話を聞き付けて勝手に来るやろ」


 そんな勝手な事をぶつぶつと呟きながら霊園に踏み込んだ美世は

墓石や石碑レベルの巨石を見ながら周囲を物色した。しかし並木は立派だが、花見をしていいような場所がなかなか見つからない。


 歩き疲れて休憩スペースのような場所を見つけた美世はベンチに座った。電話を手にとってLINEの内容を参考にしながら皆との会話を脳内に展開して最適な日を検索する。しばらくして脳内最適日は見つかったが桜の花は散っていた。


 美世は電話を膝に落としてパラパラと咲き始めている花芽に目をやった。思えば最後に花見をやったのは中国勤務で、武漢大学で客員講師をしていた時だった。なにかとてつもなく寂しくなり、謎の虚無感に襲われた。


 相手が誰であってもいつも女には手抜きしなくて優しい泰蔵に電話してみた。1秒も経たずに電話が通じる。常に電話に出られるようにしていることで、人的調整を計っている最中だと分かる。


「なんやめずらしな」

「あ、あんな」

「ちょうまてぇ、5分後にもっかい電話する」


 美世がなにか言いかけた瞬間電話は切れた。泰蔵は新宿に店を出したばかりだ。邪魔をするのも憚られた。玲一は今日までに商談を纏めなければならないはずだ。


 思っていたより難易度の高い夢のプランを美世は諦めた。そうやってベンチでうなだれていると、赤子の鳴き声が聞こえてきた。泰蔵の電話を待っている間ずっと聞こえる泣き声を煩く思ったが仕方ないと諦めて思いを巡らせていた。


 しかしあまりにも泣き止まない赤子の声に不思議に思って立ち上がった。まさか霊の類いかと声のする方へ歩いていくと、桜の並木を10本ほど過ぎた先のベンチに座っている女性とその横に携えられたクーハンが目に入った。


 声の原因を突き止めた美世は興味を失って立ち去ろうとしたが、母親らしき女性の絶望にも似た表情が脳内にプレイバックして振り返った。しばし考えたあと美世は女性に歩み寄った。


「困ってまっか」

 女性がきょとんとして美世を見上げた。

「いや、こまってまんのやったらなんやしらんけど助けになったらおもいましてんや」

 女性は怯えたように美世を見つめた。原因はわかっている。


「すんまへん、こないなしゃべり方しかでけまへんねん」

 美世は相手に腹を割らせたい場合方言になるが、方言で敬語を喋ろうとするとよりドギツイ物になる。ドギツイ風体のドギツイ言葉に引きまくっている女性だったが、悪意の無い事だけは理解して緊張を緩め、頭を垂れた。


「いえ、ご心配なく、ちょっと休んでるだけですから」


 意図を理解しようとしない相手に苛立って鋭い目付きで母親のつむじを見ながら言った。


「赤ちゃん泣いてまっせ」

 女性は項垂れたまま言った。


「どうやっても泣き止んでくれなくて……」

 母は本来強いものなのに育児を放棄したような態度にだらしがないと苛立ちを募らせたが、ふうとため息をついて言った。


「ちょっと赤ちゃん借りまっせ」

 言うが早いか美世はバッグをベンチに置くとクーハンの幌を押しやって中の赤子を抱き上げた。女性は小さく「あっ」と声を発して弱々しく手をかざしたが、構わず美世は体を揺らし、左右に緩くスイングしながら背中をポンポンと叩いた。

 座っていない首を支える体制を見て安心した女性は力なく手をおろした。


「おーおー何がーそないに悲しいねん、かんざし無くして髪結えん、ほなまた買うたるさかいに泣きないな」

 手と体の動きに合わせてリズミカルに謎の口上を発した。そして一瞬宙を見て考えると童謡のようなものをを歌い初めた。


「ぼーんのじゅうろくにーちー、はーつかねーずみおーさえて

元服さして髪結うて、ぼたもち売りにやったれば、ぼたもち売らずに昼寝して……」

 するとすぐに赤子が泣き止んで、焦点が合っているのかどうかよく分からない真っ黒な目で美世を見つめた。


「ねーこに取られてニャーゴニャゴ」

 歌中の物語に落ちがついたのを知ってか知らずか赤子はケラケラと笑った。そうやって落ち着かせると、長い間泣いて疲れていたのか、目がとろんとした。美世はスローな童謡を歌い初めた。


「やーしょーめーやしょめー、きょーうのまあちのやーしょめー、うったるもーのーみーしょーめー」

 体の動きもそれに合わせてスローにする。やがて瞼の重さに任せるように目を瞑ったのを確認して歌いながら身を屈める。

「きーんーらーんーどーんすー、あややひーぢりめーん、どんどんちりめんどんちりめーん」

 

徐々にフェードアウトさせながら赤子をクーハンに納めて幌を立てた。それを目で追っていた母親が美世を見た。にっこりと笑顔で見返す。


「凄いです、お母さんなんですか?」

 少し複雑な顔で見る母親に軽く笑って答える。

「今こんなファンキーな女がまさかって思いもって言いましたやろ」

「あ、いえそんな」

 美世は笑った。

「その通りですわ、結婚どころか男は夢を追って海外に行ってもたし」

「そうなんですか、でも私なんかよりずっと……」

「昔から親戚の赤ちゃんとか扱うのが得意でしてな、なんでか知らんけどうちがいろうたら泣き止むんですわ」

「そうなんですか……うらやましいな」

 そう言って俯く女性に美世は言った。

「色々顔に出てまっせ」

 女性はいっそう肩を落としたようにぼそりと呟く。


「色々……ですか……」

 美世は優しくも、さてどうしたものかという思いの笑みを作って母親の横に座った。それを目で追うようにして母親は美世の横顔を見た。そんな視線を感じているのかどうか、美世は言う。


「女の子でっか」

「は、はい」


「子育て大変でんなぁ、初めての子は特にそうでっしゃろなぁ、知りまへんけど」

 何でも見抜いているような美世の言葉に女は俯いた。


「子供は言葉はよー喋らんでも気持ちはよー解ってます、そないな顔してたらそらお子も不安にもなりますわな」

 女性は一層頭を垂れた。


「面目ないです……」

 そんな女性に美世はため息混じりの笑みを向けた。


「えらそうな物言いですんまへん、でもこれ母親目線やのうて、子供目線の物言いなんですわ」

 女性が意外そうに美世を見た。美世は口角を上げる。


「そないに肩肘はらんでも、女には最初から子育てのスキルは装備されてまんにゃで、気楽にいきましょうや」


 女性は口を押さえると、涙を溢れさせてポロポロと落とした。肩に手を伸ばしてさすりながら美世は思った。さっきまで自分が落ち込んでいたのに何で見ず知らずの人を慰めているんだろう。段々落ち着いてきた女性が言った。


「すいません、元気付けてもらって、ついでと言ってはなんですが、ちょっとこの子を見ててもらっていいですか?」


 唐突な申し入れに違和感を感じたが、その内容は全くの他人である自分を信用したもので、気分は悪くない。状況からしてトイレか何かだろうと推察できた。


「よおまっせ、どうせ暇やし」


 美世にお辞儀をすると、女性は並木道を青山墓地中央方面に足早に歩いていく。後ろ姿を見守っていると、美世の電話から休日用のジャズソングが流れた。


 色男がテーマの歌だ。慌てて女性の座っていた位置にスライドし、クーハンの向こうのバッグをひったくって体の反対側に持っていく。


 赤ちゃんの寝顔を確認しながら手探りで電話を取り出して通話をタップした。そして小声で応答する。


「なんやねんうるさいなぁ」

「はぁ? かけてきたんねーちゃんやんけ」

 美世は電話を一旦離してホーム画面に戻し、通話記録を見てからタスクバーの現在時刻を確認した。


「約束は5分や、12分30秒経っとる」

 電話の向こうで片目を瞑って歯をむき出しにする泰蔵が想像できる。


「ええからもうかけてくんな、ほなな」

 そう言って電話を強制終了しながら赤子を確認すると、やすらかな顔のまま小さな寝息をたてている。にっこりと笑った美世はクーハンの中に顔を突っ込むようにしてすーっと息を吸い込んだ。赤ちゃん独特の乳臭い香りがする。


 先ほど抱いたときに感じた香りだ。じんと心の奥にむず痒くも心地よい感触が広がる。そうやってフンフンと匂いをかいでいると通りすぎ行く人が人がおかしな視線を向けているのに気づいた。慌てて姿勢を正すと人が早足になって去っていく。


 どうやらおかしな行動か、隣のレゲエが母に見えないのかのどちらか、あるいはその両方が怪しいようだ。美世は気を取り直して電話をいじり始めた。しかし全く画面の内容には集中できず、赤ちゃんをチラ見しっぱなしだった。手に収まりそうな頭。

 生え揃ってない髪の毛。ぐっと握り込まれた小さな手。そうして赤ちゃんを観賞しながら初春の昼下がりを楽しんだ。


 しかし。


 10分が経過した。やけに時間がかかるなと思って立ち上がり、周囲を見渡すが、母親らしき姿はない。


 20分が経過した。同じように回りを見渡すが、やはり姿はない。


 1時間が経過した。さすがにおかしい。美世の中に沸々と怒りが込み上げてきた。むしろ遅い怒りだった。

 人に子供を押し付けて何をやっているんだと言う部分もあるが何より見ず知らずの人間にそこまで子供を任せておける愛のなさに腹が立った。


 美世にあの母親を凝らしめてやろうという考えが浮かぶ。手帳を取り出してサラサラと一筆書いてからマニキュアのトップコートを取り出してベンチに足らし

メモを破ってぺたりと張り付けた。内容は『スカイガーデン青山の4601号室、鷹山家にて預かる』


 戻ってきて見知らぬ女もろとも赤子が消えている、とせいぜい肝を冷やすがいい。あわてふためきつつも茶色いベンチに白い紙は気づくはずだ。


 誘拐に限りなく近いが美世は72時間対応のボイスレコーダをつけっぱなしにしているので間違った行動をしなければ抗弁は簡単だ。


 そっとクーハンを持ち上げて起こさないように右肩に掛け、体の前面に抱えるようにして左肩にバッグを掛ける。歩き始めて3分。クーハンの中から声がする。


「あ"……」ビクリと足を止めた。

 それっきり声は聞こえない。もう2歩ほど足を踏み出す。


「あ"……あ"あ"……」止まると声は止む。美世はそっともう一歩踏み出した。


「あ"あ"あ"アアアアアン」美世はなんでこんな目に会っているのか全く意味がわからず女を恨んだが、赤子にはさらさら罪は無い。


 美世は走り出した。クーハンが揺れないようにできるだけ中腰で走った。これで抱えている物がライフルならSWATの突入だ。どうにか見つけた休憩スペースでテーブルにクーハンを置くと、赤ちゃんを抱き上げ、先程のように歌いながらあやしはじめた。


 しかし今度は美世の持つ技術を駆使しても泣き止まない。これは赤ちゃん3大要求の残り2つのどちらかと判断した

美世はクーハンの取っ手に結んである巾着に目をつけた。


 紐を解いて指先を突っ込み、強引にひろげて中を探ると哺乳瓶やオムツほかお出かけセットのようだ。泣き声は続いている。


 赤子の下半身に鼻を近づけて臭いを嗅いだが全く臭いはしない。乳児服の股間にあるマジックテープを剥がしてオムツの隙間から指を差し入れる。下は心配ないようだ。


 ならば上のほうかと美世は粉ミルクのパックを出した。説明書きにはキューブ状になっていて一個40mlとある。哺乳瓶を確かめると160mlまでのメモリが刻まれていた。魔法瓶をとりだしピックアップ式の栓を開きテーブルに垂らすと湯気が上がった。


「ごめんやで、ちょう待ってな」

 赤ちゃんを寝かせて哺乳瓶のキャップと乳首を外すと

ミルクを開封して4個投入して魔法瓶からお湯を注ぐ。頭を低く下げて160mlのメモリに到達するのを見つめていると、注ぎ口から湯気が立ち上った。キャップをしてシャカシャカと振りながら呟いた。


「こんなんでええんやろか」

 途中何度か頬に着けて人肌かどうか確かめる。赤ちゃんの鳴き声が激しさを増した。


「あーもうちょっとや辛抱してくれ」

 美世はまだ余裕のある哺乳瓶にキューブを半分に割って追加投入すると、自分のバッグからミネラルウォーターを取り出して注いだ。


美世は何度もチェックをして熱くは無いだろうというところまで冷やした。赤ちゃんを抱えて頭を左腕に預け

哺乳瓶をあてがう。大泣きしていた赤ちゃんはすぐに気がついてむしゃぶりついた。くっくっと小さな音をたてて無心に飲んでいる。

 

美世の顔に自然と笑顔が浮かぶ。またもや胸の奥にむず痒いものがあって

どうにかしたいが手で触れることができず、歯がゆさにも似ていて、だが決して嫌いではない何かを感じていた。

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