成り代わり源氏物語 桐壺
ほんとうに、地雷注意。
『第一話:私が葵で葵がわた、え私?!』
世間を騒がせた、桐壺の方と帝の恋は、桐壺の方が亡くなられたことで終止符が打たれた。それから数年後、悲しみにどっぷり沈んでいるはずの帝の元へ、新しい中宮が入内されたらしい。ある女官が、桐壺の方と瓜二つの先帝の第四皇女にあたる内親王さまを紹介をしたともっぱらの噂だ。宮中では大騒ぎしていることだろう。なにせ、この左大臣邸まで広まってきているのだから。
『そんなにそっくりな方っているのかしら。』
不思議に思うが、まあ両人とも絶世の美女なのだから、顔が似通うのも当たり前なのかもしれない。というか最早そんなことはどうでもいい。重要なのは、亡き桐壺の方のご子息、光源氏さまが元服された、つまり結婚適齢期になったということである。そして、光の君の元服を祝う宴から戻ってきた父親の浮かれよう。あの威厳ある父が、屋敷に入るなりガッツポーズを決めたのだ。まさに異常事態である。
「--の君、葵の君。今夜、光さまがいらっしゃいますのよ。いい加減に機嫌をお直し下さいませ。」
なんと、あの狸親父。光の後ろ盾がなく帝が不安に思われたことにつけこんで、例の光の君との結婚話をぶんどってきやがったのである。ああ、忌々しい。
乳母のため息を合図に、光の君を迎え入れるための身支度が始まる。
この支度に抵抗するつもりは毛頭ない。が、やはり不満は顔からにじみ出る。気を抜くと眉間に皺をよせてしまいそうで、葵の頬がひくりと引き攣る度に、化粧をしてくれる女房がびくりと体を震わせる。
帝のありがたーい意向により、この婚礼は決定事項。無論、我が左大臣家にとって帝から寵愛賜る光の君を迎え入れることは有益なことだ。葵の兄が政敵にあたる右大臣家に婿入りしたものの、次期帝の東宮は右大臣家の血筋。帝の寵愛を一身に受ける光の君を左大臣家に取り込むことで、左大臣家はさらに確固たる地位を築くことだろう。
『そんなことはさすがに私もわかってる。わかってるとも。……でもさあ!』
やるせなさと世の理不尽さへの反発が、葵の胸のうちで燻ってとぐろを巻く。
具体的な願望を述べられるのならば、いますぐ周囲を責め立てたい。…特に父親に。葵からついに舌打ちが出た。
『お父様はよぉ?帝に仕え、東宮を生めってずっと言ってたじゃん!?』
貴族令嬢あるまじき舌打ちに乳母が顔を顰めるが、今にも悪態をつきそうな口を閉じているのだから、少々不満げな表情になるくらい許して欲しいと葵は思った。
『いくら光の君が美丈夫であろうが帝に溺愛されてようがお父様が嬉しそうにしてようが、今までの、努力は、入内しないと、意味がないのよ!!返せ、私の時間!!』
『ああ、恨めしい。しかも年下だし。四つも!! 元服直後って、十二歳よ、小6よ、中1よ、完全に犯罪じゃないの。YesロリショタNoタッチってやつよ。ああ、中宮が、私の確固たる地位が、家から出るチャンスが、私の輝かしいキャリアが……。……きゃ、り……はんざ…しょた……ショタ。』
はてさて、葵の中で何かが引っかかった。いつもはすぐに霧散してしまう記憶の薄片がまだ留まっている。見知らぬはずの言葉が思考に混じるのは、幼少期から幾度かあったけれど、常とは違う、引っかかるような感覚。これは初めての経験だった。もう少しで何かがわかりそうな…あと少し、何かがあれば……
「葵の上さま!!ご覧くださいませ、この衣装を。さすが左大臣さま、用意なさるのはどれも一級品ばかり……ため息が出ますわ……葵さま?」
世話係の女房の中でも一等若い女房が、年かさの女房が眉をひそめるにもかかわらず、元気な声で呑気に私へ呼びかける。あ、おい…あおい………
「わたし、は、あおい。」
葵が小さくこぼした瞬間。頭に大量の情報が流れ込んでくる。あまりの情報の数々に耐えきれず、目眩を覚えて、ふらついてしまう。女房が寸でのところで支えてくれたため、結婚の儀当日に意識不明という失態を見せることにはならなかった。だがしかし、現実は無情なもので、脳内は混乱を極めていた。
『オーケー、一旦落ち着こうか。』
とりあえず表面上はさっきの若い女房に微笑みながら、思考を巡らせる。
――――ひとつ、前世は平成の世で生まれたこと。
――――ふたつ、前世の人格が、完全に今の体に引き継がれてしまったこと。
そして――――みっつ、ここが、『源氏物語』の世界だってこと。
葵の上。どうやら、それが、今世での私の名のようだ。
「……。」
葵の上。よりにもよって、葵の上。
「ツンダ」という悲しいほど無機質な自分の声が脳内でこだまする。
【死因:生き霊の怨念による呪い】
『やべえぞ、葵の上といえばコレと、エベレスト並のプライド高い系女子ぐらいしか思い浮かばねえわ、どうしよう。 え、なに?私、霊的不可思議現象って限りなくふわーっとした理由で死ぬの?ああ?』
平安の世においては病気も天災もすべて怨霊の仕業とされているのだから、怨霊や生霊の恐ろしさは現代人の予想を遥かに超える存在なのだが、脳内が現代人となってしまった葵は己の死因(予定)に困惑を通り越して憤りすら抱いていた。
そもそも平安貴族、中でも平安の令嬢というやつは桜が散る度に「桜と共に散ってしまいたい」と己の恋心を重ね拗らせ実際に命も散らしてしまう儚さなのだから、「怨霊が来たら印を結んで悪霊退散してやるわ!結!滅!天穴!」などと意気込んでいる葵には無縁の死因であった。死ぬなら普通に風邪か流行り病である。
葵の脳内迷走が突き進み、遂には中国で修行中呪いの温泉に落ちパンダになったところで、身支度は無事に終わったらしい。表情がずっと安らかなアルカイックスマイルだったからか、乳母の視線が随分と和らいだ。化粧係の女房たちは普通に怯えていた。うちのお嬢様こわい。
「失礼致します。光さまがいらっしゃいました。」
『にげたい』
まさに匙を投げたくなるほどの窮地。思考どころか心肺まで停止しそうになったが、そんな場合じゃないと我に返る。
光とは、まさしく今日が初対面。当然、文も歌も交わしたことは無い。すなわち、葵が頼れるのは周囲の評判だけだが、「元皇族」「絶世の美少年」「実家繁栄の鍵」と非常に重たい三要素で会う前に彼女は押し潰されそうであった。
なかでも容姿に関しては、仮にも女として複雑な思いというか既に敗北の予感いや確信をせざるおえない。左大臣家で大事にされている甲斐あって、「見るに堪えない容貌」ではないはずだが、相手はかの桐壺更衣のご子息。かの更衣の容姿については聞いたことがないが(嫉妬による悪口しか流れてこない)、桐壺そっくりの藤壺様の容貌なら話に聞いたことがあった。まさに「the平安美人」。色白でふっくらとした頬、艶やかな豊かな黒髪。先帝の妹君であることから血筋もパーフェクトである。上品なふるまい・所作の美しさ・返歌の上手さも美人条件に含まれるのだから、平安貴族きびしい。
「失礼いたします。」
関係もない平安美人の定義をぐるぐると考えているところへ、少年特有のそれにしては少し高めの、しっとりとした気品あふれる声が響く。左大臣にそそのかされたのか、何か言われたのかはわからないが、元服の儀を済ませ成人の裳に身を包んだ光は、気が進まないながらも葵へ挨拶をしに来ていた。うら若き継母への淡い親愛の情は持てど、光はまだ結婚とは恋とは何か知らないお年頃である。気が進まないのも致し方ないことだった。
「お初にお目にかかり申し上げます。本日の格別なもてなし、有難く思います。」
両者の間には御簾があり、お互いの顔は見えない。夕日を背にする光の顔は余計に見え辛いが、さすがの光も少し緊張している様子が感じられた。
そそくさと女房達が退出していくのに戸惑っているのか、何を言うべきか考えあぐねているのか、はたまたやる気を失くしてしまったのか、最初の口上から暫し沈黙が流れる。
所在なさげに段々と俯いていく光。姿は見えないものの、光の困惑をそれとなく察した葵は同情心が勝り、『そうよね、まだ12歳くらいだもの。ここは、年上である私がそれとなくフォローをしなくては。』と前世云々はすっかり頭から抜け落ち、意を決して御簾越しに声をかけることにした。
「光さま、」
努めて優しく出したはずの声は意図せず室内に響いてしまったようで、光の華奢な肩がびくりと揺れる。
「ーー結婚前とはありますが、もうじき夫婦となり家族となるのですから、堅苦しいのは無しにしましょう?」
「は、はあ…いや、しかし…」
「ふふ、そう畏まらなくても良いのですわ、私の事は姉…いえ、乳母のようなものだと思って下さいませ。」
予想以上に緊張している彼の様子が何だか可愛く思えて、不敬と取られかねないナメたセリフを吐いてしまった葵は背中にタラリと汗が伝った。はしたなかったかもしれない。教育係であった乳母の般若顔が葵の脳裏をよぎる。南無三。
「乳母……」
ぽつりと光の呟きが部屋に溶けた。平安時代での姉弟の距離は遠い。想像しやすかろうと乳母に置き換えて親しみを込めたつもりだったが、やはり不敬な言葉には違いない。そのまま黙り込んでしまった光の様子に、葵の冷や汗が止まらない。
「……。」
「……。」
両者の間に再び沈黙が落ちたところで、夕日も沈み落ちて夜の訪れを告げる。相変わらず光の尊顔は葵には見えなかった。
『沈黙が長い。……この少年の顔、……見てみたいなあ。』
まさかこの沈黙に飽きたというのか、さっきまでの混乱や緊張もどこへやら、葵の好奇心がむくりと頭をもたげる。己の失言(予想)を忘れたこの女、鳥頭じみている節があった。図太い。
元来思いこんだら一直線な性格の葵である。一度膨らんだ彼女の好奇心はもう誰にも止められない。
考え直す間もなく、葵の手がするりと御簾から出て「近う寄れ」とでも言いたげに手招きをする。何事かとギョッとした光であったが、すぐに我に返れば「……光さま。」と己を呼ぶ、ひそやかで、どこか甘いような声が耳朶を打った。
「ど、どうしました。」
『だって気になるんです!!顔が!!!我慢できない!!!』
普段は十二単の袖に秘められるはずの女性特有のほっそりとした白い手首が、折れそうな指がゆらりゆらりと光を手繰り寄せる。帝に付き従い会った後宮のどの后よりも葵のそれは細く白く、指先は桜貝を重ねたようにほんのり色づき、ゆらりと揺れるその動きも実にたおやかであった。目が釘付けになるとはこういうことか、光は目を瞬かせ見入ることしかできなかった。
中々動こうとしない光にじれ、ダメ押しとばかりにもう一度手招きをすると、やや躊躇した末に光は御簾をくぐった。呆けたように見つめられた葵は唇に人差し指を添え静かに微笑みを浮かべるのであった。
※ ※ ※ ※
間近で見れば見るほど、光は美しい子であった。スッと通る鼻筋に、凛々しい利発そうな眉。頬はまだ少年特有の丸みを残して、ほんのり薔薇色に色づいている。くっきりとした二重に、印象的なのは目。長いまつ毛に彩られた瞳は大きく、見る者を惹きつける。美少年というよりも傾国の美女にでもなりそうな風貌である。
つい、まじまじと見てしまいそうになるが、流石に初対面でそれは気味が悪いだろうと自重し、葵は微笑むことに徹する。
まだ拙い様子はあるけれど、光の言葉には彼の聡明さや気品が滲み出ている。『さすが光源氏。帝の宝玉。』と、葵は感嘆の息をつくばかりであった。
結局、光の普段の様子や最近の出来事など、差し障りない程度の質問を色々としているうちに、結婚の儀の時刻となり、秘密の会合は解散を余儀なくされた。
『初対面にしては中々の滑り出しじゃないだろうか………御簾の中に入れちゃったけどあは。』
「平安の姫君は軽々しく御簾に男を招き入れたりしません!」葵の脳内で般若の乳母が吠えた。
「葵さま、ご用意を。」
回想に終わりを告げるような女房の報せに、扇を少し揺らして了承の意を示す。もうすでに時刻は亥に入るかどうかといったところである。結婚の儀はつつがなく終わり、言わずもがな、初夜である。
乳母のように思ってくれと言った手前、正直罪悪感も半端ないし、ただ添い寝するだけでも全然構わないと葵はこの先の展開に頭を悩ませていた。しかし光とて幼くとも、男は男。元服もしているし、もしその気だったら……とっても可哀想である。というか、添い臥しをするのが初婚の妻としての任務だしなあ、あああ罪悪感……犯罪だあ……。と相変わらず頭を抱えうんうんと唸る葵。
『そうだ酒を飲もうそうしよう。』
前世からの悪癖:やけ酒を発動し、酒に逃げた葵が悶々と盃を煽るうちに、女房達は諸々の支度を終えて退出してしまった。取りあえず三杯目を呑みきり、詰まる胸の内を逃すように肘掛にもたれて深く息を吐く。
『考えてもしょうがない気がしてきた。』
ケセラセラなるようになるどうにでもなあれ☆とでも言いたげに思考放棄を決め込むと幾分か気分がよくなる。仕上げとでもするように少なめに注いだ盃ををぐいと飲み干した所で、すっと障子が開くのが御簾越しに見えた。葵はさりげなく居住まいを正した。明かりが御簾の中にしかないので、ぼんやりと薄暗く光の様子はわからない。
やや間をおいて、光がおずおずと御簾の中に入ってくる。
『まーた緊張しているな?これは。』
御簾に背中がつくくらいの距離で立ち尽くし、何故か再び一向に動こうとしない光に、またちょいちょいと手招きをして、隣に座らせる。
飲まれますかと、枕元に置かれている銚子から酒を注ぎ、光に勧める。酒を飲まなきゃやってられんってやつなこれまじおつおつ。と、同情心と親切心プラス寝落ち朝チュンエンドを願うちょっぴりの下心で差し出した盃はそろりと光の白い手に収まった。何を思ってか、光はじっとそれを見つめ、意を決したようにぐいと一気に飲み干す。
思わぬ暴挙に葵は目を見開いた。
『元服したの今日だよね!?!?結構たっぷりと注いじゃったよ、え、これで倒れちゃったらどうしよう、救急車じゃなかった女房に言いつけて御典医を呼ぶか?いやでもまずは水を、』
「葵の君。」
不意に肩を掴まれ、少し頬を赤らめた光が顔をずいと寄せる。あまりの近さに混乱も思考も飛んでしまって、葵は陸に打ち上げられた魚のように、はくはくと口を開閉することしかできない。
「ーー今宵、貴女に触れて良いだろうか。」
結局、年の差云々なんてすっ飛んで、激情に呑まれることしか出来なかったのであった。
個人的に葵の上ってだけで元祖悪役令嬢ポジやと思うんすよ私。
もうn番煎じもいいとこなんですけどね、なんか読んじゃいますよね、悪役令嬢主人公。
幸せになってほしいというか、むしろ私が幸せにしたい、いやさせて頂きたい。
つまり何が言いたいかというとですとね、
葵の上が好きだ!!バーロー!!
おそまつ。