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於新加坡現正義之味方

作者: 浸徹鬼

物語は時間を少々さかのぼる。隼人たちの日常が瓦解してもまだ一般の生活にまでその異変が波及していないころの話だ。

ブリトゥン島での戦闘に辛くも勝利した希望隊は当初の予定であった環太平洋首長国連邦首長議会があるシンガポールへと寄航した。

そこで待っているのはまたしても監禁であろうかと半ば腹を括っていた隼人たちであったが、既に一蓮托生の運命を理解しているだろうと嵩を括った軍部は予想に反して通常乗組員と同じようにシンガポールへの上陸を許可した。

無論、聴聞会などが開かれる日にはそちらに顔を出すことと、政治的用件が片付いた後はカーペンタリアへ同行することを条件とした上で、だ。

そんな条件下であっても学生達にして見れば久々に訪れた休息の時であり、これからの身の振り方をもう一度よく考える事の出来る機会を逃す手は無いとの考えから、彼らは軍の提案を受け入れ、気ままにシンガポール市内を散策しているところであった。


「先生は色々用件があるとして、金まで残らされるとは思って無かったよな。居残り喰らうんなら確実にお前だと思ってた」

露天商から購入したアイスクリームを舐めつつ、市内を特に主だった目的も無く散策していたのは隼人・フェイワンの三人だけであり、先ほどのフェイの発言から分かるように金とジェーンに関しては上陸前に話しておきたい事があると河野に言われ、二人して艦長室に行ってしまった。

ジェーンを待つかどうかは悩んだものの、金を待つ必要は無いとのフェイの独断によって彼らは居残り組より一足先にシンガポールの地に足を着けたのだった。

「それ、どういう意味だよ?艦内で兵士二名ふん縛って銃器を奪った挙句に艦長を恫喝したのはそっちだろ?」

フェイからの嫌味に対して嫌味で答える隼人を見、王は思わずため息を漏らした。

「私に言わせれば両方同じようなものよ。それはそうと、フェイ。行く当てとかって決めてるの?」

「え?そうだな・・・。とりあえずマーライオンとか見に行っとこうぜ。後2日3日は滞在できるはずだしな。今から根詰めて将来を悲観したってつまんねぇしさ」

あっけらかんとして言い放ったフェイを見、今度は隼人がため息をつく番だった。

「そんな簡単に・・・。お前いま俺が置かれた状況知ってるだろ?」

「だ・か・ら、だよ。現状じゃどう足掻いたって変わらないんだし、この間の出撃で余罪はたっぷり追加だ。それに、これからお偉いさんに呼ばれりゃ否が応でもその現実に戻される。なら、この間くらいはそんな事は忘れるべきじゃないかと思うがね?」

一理も二理もある正論だったが、アイスクリームのコーンをバリバリ齧りながら言われても隼人にはあまり説得力は感じられなかった。

ただ少なくともこの友人が自分の事を思ってこのような態度を取ってくれているのであろうという事を認識した隼人は、少なくとも彼の思いに応えようと考えを一部修正した。

「・・・ま、それもそうだな。それじゃ、気を取り直して、シンガポール観光だな。まずはマーライオンってわけだ」

「よっしゃ!多数決だな」

コーンも全て食い尽くしたフェイはこの場での意見が一致した事に気を良くしたのか、右手を振り上げて全員を先導し始めた。

「あなた達、・・・行き方知ってるんでしょうね?」

ワンはテンションが急に上がってきた男二人に着いていけないようだった。


そんなこんなで彼らは各所で道案内を受けながら、シンガポールの中心部へと近づいて行った。

「すげー。新宿辺りを一回り高くしたみたいだな」

フェイはまたしても露天商から購入したホットドッグをその手に握りながら周囲に乱立する高層ビル群を見上げていた。

確かに日本ではあまり見受けない高さの建物の威容は彼らの視線を惹きつけるに十分なものだった。

彼らは揃いも揃って首を上に向け、その空へと続く一端を食い入るように見つめていた。

異国の地でそこまで無防備だったのは正直いただけない点だった。


だからこそ王の片肩掛けタイプのバックは“彼”の格好の標的にされてしまった。

未だに上を向き続ける観光客達の後ろに近づいた“彼”はワンの右肩にかけてあるバックの肩紐に手をかけるや一気に右側に引っ張り、彼女に一瞬の対応もさせずそのバックを強奪する事に成功した。


「きゃっ!」

その声と共にワンが突然姿勢を崩した。

前方に倒れこんだワンを見、一体どうしたんだ、という言葉を吐こうとした隼人は彼らの脇を走り抜ける一人の10歳くらいの少年の姿を視認した。

その手には先ほどまでワンが肩に背負っていた鞄と同型の鞄が握られており、彼は即座にこれがひったくりと呼ばれる犯罪行為である事が分かった。

「おい!」

制止しようとしたのかは自分でも分からなかった。

だが、隼人が声を出すよりも早く本来一番惚けていたであろうフェイが走り出す方がもっと早かった。

「ワンを頼む!」

ホットドッグを放り出し、脱兎のごとく逃げる少年を追走する形になったフェイはすぐに人混みに紛れて見えなくなっていた。

そのあまりの速さに一瞬呆然とする隼人だが、すぐさま傍らに倒れこんでしまったワンに駆け寄る。

「おい、ワン。大丈夫か?」

気丈にもワンは隼人の手を駆りながらとはいえ自分で立ち上がった。

その目には涙がうっすらと浮かんでいたが、彼女は隼人の問いかけに対して「大丈夫、だから」と応えて見せた。

とりあえず怪我をしている様子でもなかったのだが、隼人はともかくワンを脇に寄せフェイが戻ってくるのを待った。


分开、这个家伙(離せよ、この野郎)!」

5分と経たずに戻ってきたフェイは逃げ出した少年の首根っこをつかんだ状態で戻ってきた。

中国語だろうか、わめき散らしながらばたつく少年にフェイは首にかける力を更に強めながら中国語で怒鳴り返した。

不要捣乱(暴れんじゃねぇ)饿鬼(ガキ)!」

普段中国語をめったに使わないので忘れていたが、そういえばフェイは中国系日本人だった。

変なところに納得した隼人はベンチに座り込んでいたワンが急に立ち上がり、まるで突進するかのようにフェイに抱きついて行ったのをまったく静止出来なかった。

片手で少年の首根っこを押さえつけたまま、もう片方の手でワンを抱きしめたフェイは王の耳元で何やら囁いていた。

その言葉は隼人に聞こえはしなかったが、その言葉を聞いた瞬間にワンはその両目に溜め込んだ涙を一気に放出させ、その場に響き渡るような嗚咽を漏らし、むせび泣き始めた。

「フェイぃ!・・・怖かった。・・・怖かったんだよぉ!」

まるで子供に戻ったかのようなワンとその背中を優しくなでるフェイ、耐え切れなくなったのは何も隼人だけではなかった。

「あのぉ、お兄ちゃん?そろそろ首、離して欲しいんだけど・・・」

諸悪の根源たる少年はまだ初心なのか、頬を紅く染めていた。


ワンもひとしきり泣き終えたところで、彼らはベンチに座り容疑者の事情聴取にはいっていた。

「おねぇちゃんにプレゼント買いたかった?」

捕まえてきた少年はどうやら英語もしゃべれるらしく、拙いながらも隼人たちと一応のコミュニケーションを取る事に成功していた。

で、その結果判明した彼の犯行動機とは上記台詞のようなものであった訳だ。

「・・・うん。おねぇちゃんって言ってもホントのおねぇちゃんじゃないんだよ。ボク、孤児でね。おねぇちゃんって言うのはおじさんの子供で、ボクと良く遊んでくれるんだ」

何でも彼は数年前に両親を災害で亡くし、一人路頭に迷っていたところを慈善事業も手がける企業家に引き取られたのだという。

その家族の長女が少年の言うところのお姉さんであり、彼は明日に迫る彼女の誕生日に何かプレゼントをしようと考えた。

だが裕福な企業家の家とは言え、慈善事業で引き取った程度の養子に十分なお小遣いを上げる訳が無く、まだ正規の職につく事の出来ない彼は即金銭を手に入れられると考えひったくりを計画し、先ほど実行に移したというわけだ。

「お前、馬鹿か?!んな事して手に入れたプレゼント渡されて誰が喜べるんだ?!ガキはガキらしく近所で摘んだお花でも渡しとけば良いんだよ!」

ボカッ、という擬音がするかのようにフェイが少年の頭を小突く。

痛みに頭を抱えた少年だったが、すかさず反論の弁を始める。

「だって!ユビワって高いんだよ!・・・僕のおこづかいなんかじゃ買えないよ・・・」

最後はウジウジする少年を見、男子高校生一同は開いた口が塞がらなかったが、唯一ワンだけは微笑ましい顔をして少年を見つめていた。

ひったくりの犯人だというのに良くここまで良い顔を出来るものだなぁ、と隼人は人事の様に思っていた。

「そうか、キミはおねぇさんが大好きなんだ?」

「うん!」

そのあまりの晴れ晴れしさに隼人とフェイはフリーズするしかなかった。

そんな男共をよそにワンは晴れやかな顔を浮かべる少年に対してゆっくりと語りかけた。

「そうか。・・・でもさ、もし私がおねぇさんだったら誰かを泣かせて手に入れた指輪を君からもらったとしても、もしその泣いた人のことを知ったら君のこと嫌いになっちゃうと思うんだ。・・・君の大好きなおねぇさんを泣かせてこのお兄ちゃんが私に指輪プレゼントしてたらキミも嫌な気持ちになるでしょ?」

そこまで聞いて少年も自分のやった行為の重さがようやっと分かってきたのか、沈痛な面持ちになり、しょんぼりとし始めた。

「・・・ごめんなさい」

聞こえるか聞こえないか微妙な謝罪では有ったが、当の被害者たるワンはそれで良しと思ったようだった。



さて、一行はフェイの『少年に犯罪まで犯させるお姉さんとは如何なる人物か気にならないか?』という提案で、少年を送り届けるという名目でシンガポール市内中心部から少し外れて寂れた地区に足を踏み入れようとしていた。

周辺では再開発であろうか、様々なタイプのVSや重機が各所で見受けられ、高層建造物の建築に着手しているようだ。その様は徐々にその区域独特の空気を外敵が侵食しているようでもあった。

周辺の工事業者の声であろうか様々な中国語が響いてくる中でやけにフェイは神妙な面持ちであった。

「・・・まさかな」


市内の中心部の栄え様とは比較しがたい空気が流れてくる地区に隼人たちは正直戸惑いを隠せなかった。

「なんか、ウチの周りの華僑地区の方がよっぽど生活臭があるな」

フェイは何か思うところでも有るのか、普段は見せない神妙な顔をしていた。

「ここがボクの今住んでるとこだよ」

そう言って少年が指差した先は再開発区画の真ん中という寂れた空気を感じさせる中であってもどこか華やかさを感じさせる家だった。

家屋自体には少し年季が入っていることが分かったが、それでも決して暗い印象を与えないのはその家の前に広がる庭のおかげだろう。

きちんと手入れがなされていることが一目でうかがえる様な芝だけではなく、南国特有の色とりどりの花がきちんとした配置で咲き乱れている。

素人目に見てもそれは「・・・きれい」の一言でしか言いようのないものだった。

ワンのつぶやいた一言に少年は満足げだった。

「ここの庭はね、ぜーんぶおねぇちゃんが手入れしてるんだよ!おねぇちゃんの二番目に大事なものなんだって!」

一番目はなに、と聞こうとしたとき、家の方から庭を横切ってこちらへと走ってくる人の気配を感じ取った彼らはそちらを振り返った。

「もう!一体、どこ行ってたのよ?心配したんだからね」

頬を膨らませながら少年に声をかけた20代弱らしい女性を見た瞬間に、高校生達はこれが噂のお姉さんであろう事を即座に認識した。

てへへ、と舌を出した少年に微笑みかけた女性は次に見知らぬ3人組に興味を持ったようだった。

「あの、・・・あなた方は?」

流石に『ひったくりの被害者です』と言っては少年に悪いと思い、隼人はとっさに口を開いた。

「さっき市内でこの子に困っているところを助けていただきまして、そのお礼をしに来た、と言いますか・・・」

「友達になったんだよな!」

後を引き継ぐようにフェイが大声を上げ、それに釣られて少年も思わず頷く。

それを見、女性は一瞬不審そうな顔をしたものの、すぐさま笑顔を咲かせた。

「そうなんですか。普段この子はあまり人になつかないんですけど・・・。まぁ、そうですか。あ、とりあえずお上がりください。お茶くらいはお出し出来ますから」

「あ、そうですか。じゃあ、お言葉に甘えて」

遠慮する様子も無く入っていこうとするフェイに隼人はどう突っ込むべきかを一瞬思案したが、そのままのノリでつき従うのも一興だろうと割り切るのも悪くない、という内なる声にあっけなく屈した。

「少しは遠慮しなさいよ」

「ホントだね」

ワンと少年の声はまるで隼人の良心の様だった。



「まぁ、皆さんわざわざ日本からいらしたんですか?英語がすごいお上手ですからついついこちらの華僑の方かと」

紅茶をご馳走になりながら彼らは身の上話に花を咲かせていた。

無論、ここ数週間のことは伏せた上でだ。

「まぁ、二人は中国系なんであながち間違いじゃないんですけどね」

フェイは先ほどからやけにこの施設の雰囲気になじんだのか、お姉さんとの会話に終始していた。

ワンがその様子を心持ち頬を膨らませながら眺めていたのを発見した隼人は内心穏やかではなかった。だが、それ以上に不機嫌さを滲ませていたのはちゃっかりお姉さんの横に納まっている少年であった。



会話の花が咲き、各人が紅茶のお代わりを飲み干そうとしていたころだった。

突如隼人たちのいた応接室の扉が乱暴に開かれた。

「お嬢様!またニューオナー社の連中が!」

「何ですって?!」

使用人らしい女性が駆け込んできて伝えた一行にも満たない内容に驚きを隠しきれなかったのであろうか、お姉さんは椅子から急に立ち上がった。

「・・・ちょっと失礼します」

そう言って一人部屋から出て行こうとするお姉さんに対してフェイは疑惑の視線を投げかけた。



部屋に残された高校生ズと少年はポカンと口を開けた状態で待つしかなかった。

しかし、そう呑気に構えられていたのもほんの少々の時間だった。

かなり離れているはずの玄関口からこちらにも響くような大声が何回も聞こえてきたからだ。

「だから!とっとと親父さんを出しなさいよ!ここら辺の人はみんな同意したんだよ?!お宅らだけ見逃す、って訳にはいかないでしょうが!」

「父は事業の関係でまだ帰国してないって言ってるじゃないですか!」

「じゃあ奥さんでも良いよ!ともかく大人の人じゃないと困るね!」

「母は今席を外しております。私が要件を承ると申し上げています」

何やら不穏な気配を感じ取った彼らはソロリソロリと応接間のドアの方へと近づき、様子をうかがうことにした。

「おい、嬢ちゃん。この際だから言っとくけど、これ以上俺らを待たすようなら大変な目にあうよ?ウチのとこの若い衆さ、頭キレテるから多少は平気で荒事やっちゃってもおかしくないんだよ。素直に話し合いで解決できるうちに解決した方が良いと思うんだ」

「・・・お引き取りください」

ドアから頭を出して様子をうかがっていた彼らの目に飛び込んできたのは黒いスーツに身を包んだ強面の男に対してお姉さんが頭を下げている様だった。

そして、その中でも特に印象的だったのは必死に唇を食いしばり、懸命に泣き出すまいとしている彼女の表情だった。

背中しか見えない男にはそれが見えなかったのか、舌打ちと「後悔するぞ!」という言葉を残して玄関口から去って行った。

傍にいた女中が彼女の背中をさするが、しばらく彼女はその体勢を崩さなかった。



「失礼を承知で聞きますけど、その会社、ヤバイ連中の絡みだったりします?」

応接室に戻ってきた彼女らに対してフェイは何の躊躇も無く言い切った。

何のことだか分からない隼人とワンを尻目に屋敷の関係者は顔色を一気に変えた。

その対応に正解を見たと思ったのか、フェイは更に続けた。

「大方の予想ですけど、たぶんチャイニーズマフィアとかじゃないかと思うんですけど、どうですか?」

驚きの様相を更に強くした二人に対してフェイはハァとため息をついた。

「やっぱりそんな感じですか。なぁんか怪しいとは思ってたんですよ。再開発地区だって言うのにここだけが独立して開発の手を免れている。更に周囲の建造物はやけに高い建物ばかりだ。元来の住宅地の目的にそぐわないし、なにより国主導の再開発なら一軒だけ立ち退きが無いなんて一党独裁のこの国の政治体制で考えられない。おおかた、地上げ屋が勝手に再開発なんて名目でホテルやレジャー施設をおっ建てようとしてるのが現実でしょう」

吐き捨てるかのように言い切ったフェイの口ぶりからは苦々しさや憎しみと言った感情がありありと見て取れた。

その様相に何か思うところがあったのか、彼女は重い口を開いた。

「ご想像の通りです。彼らは新義安系のフロント企業でして、中心部のホテルから割合近いこの周辺にいわゆる“娯楽”施設を建造しようと画策しているようです。周囲の住民方は彼らのバックに恐れをなしてまるでタダ同然で次々に家を引き払っていきました。ですが、我が家は事業の関係上、ここを引き払うことには不都合が・・・」

最後は口ごもるように尻切れになってしまった。

もはや涙腺は決壊一歩手前であり、気丈に振舞おうとしている様は見ている側の方が泣き出してしまうそうだった。

「・・・おねぇちゃん」

少年はその姿にいたたまれなくなったのか、彼女の手をしっかりと握っていた。



先ほど男が口走った『後悔するぞ』という台詞は果たしてどういった意味なのだろうか、と厭な想像を掻き立てられた時間はわずかだった。

応接室の中で十数分間厭な時間が経過したかと思われた頃だった。

突如周囲に轟音が響きわたり、それと時を同じくしてまたしても応接室に使用人が走りこんできたのだ。

「お嬢様!大変です!」

「今度は何?!」

「ともかくお庭へ!お急ぎください!」

そう言って走りこんできた使用人は彼らを屋敷の外へと連れ出した。



『おぅおぅ!さっきはウチのアニキに恥かかせてくれたそうじゃねぇか!』

『あんまりナメタ事ばっかシテっとォ、俺らマジキレんぜぇ!?』

どこからどう聞いても教養の感じられない言葉が大音響に設定されたスピーカーから木魂する。

玄関から飛び出した彼らが見たものは庭先の門扉前にそびえ立つ一台の巨人だった。

「日華製、12年型ミヤマ複座式」

思わず隼人の口をついて出た言葉がその巨人達の姿を端的に表現していた。

「おいおい、VSを用いた脅迫って学校で最初に教わる禁止事項じゃなかったか?」

そう、彼らの目の前に現れたのは世界各地で多用される全高13mにもなろうかという汎用作業用機械であった。

目の前に出現したVSは日華産業の工業用VSの中でも主力ラインナップであるミヤマを中心に二足型に組まれたものであった。露天式コックピットを用いたコアブロックが特徴的なミヤマシリーズは学生達にとっては見慣れたものでもあった。

少々型遅れの12年モデルであるのはマフィア連中の財力の問題であったのか、それとも何がしかの理由があるものであるのかは不明だった。だが、それよりも彼らが注目したのは片方のVSの右腕部であった。

「そんなことより、あの右腕部に装着されてるのって・・・ミヤマの換装例にあった?」

通常工業用であるところのVSの腕部は3本のカギ爪式のアームや簡易クレーンのようないずれにしても作業用であることが一目で分かるような装備であることが殆どである。

それらの装備は結局のところ企業の組んだカタログ通りであるから、そうバランスが乱れることも無いように設計されている。

だが、目の前のVSは右腕部のみが全体のバランスに見合っていない。いや、それどころか異常であった。まるで何かを突き刺すような巨大な杭とそれを発射する機構のような装置を兼ね備えたそれは俗にこう呼称される。

杭打ち機(パイルドライバー)かよ・・・」

フェイのつぶやいた一言こそが全てだった。

『そうともよ!それもそこいらの民間品じゃねぇぞ!PREFも採用してた13式対重装甲兵器用爆砕式近接戦闘穿杭機だ!戦車の装甲だって抜けるって代物よ!』

高感度マイクでフェイの音声を拾ったのだろう、VSからは自慢げな声が返ってきた。

「・・・正確に言えば採用を検討したもののあまりの用途限定性とコストパフォーマンスの悪さから即時採用取り消しになったゲテモノだし、VA如きが戦車と接近戦なんて出来るわけ無いんだけどね」

ボソッと呟いた隼人の声は聞かないことにしたのだろう。

VSのパイロットは更に続けた。

『こいつを使えばこんな家なんてすぐさま穴ぼこだらけにしてやらぁ!散々からかってくれやがったんだ!ちったぁ反省してもらわねぇとな!』

そう言ってVSはその巨大な体を一歩前進させた。

たちまち門扉はその重量に屈してひしゃげて潰され、庭の芝生は数センチも凹む事になった。



VSが一歩ずつ踏み出すことに比例して芝生は踏み固められ、無残な姿となって行く。

その現状を一番看過出来なかった人物は自身を制止する腕を振り払い、果敢にもVSの前へと飛び出した。

「それ以上進むなっ!」

その声に反応し、自身の足元へと視線を向けた露天型VSコックピットに収まるチンピラが捉えたのは小さな男の子が必死に両手を広げている姿だった。

進攻を止めようとでも考えているのであろうか、だがその重量の差はどう見ても明らかだった。

『なんだ、このガキゃ?どかねぇと踏みつけんぞ?コラ』

見下しきった声が響く中、少年はその脅しに全く怯む事無く言い切った。

「イヤだ!このお花はおねぇちゃんが大切にしてるお花なんだ!お前らなんかに踏ませるもんか!」

その言葉につられ全員の視線が少年の後ろに注がれる。確かにそこには南国の花々が拡がる花壇があった。

『そんなに大事ならてめぇも一緒に潰れりゃ良いだけだろ?!』

そう言って脚部を上げたVSを目の当たりにして女性の悲鳴が響き渡る。

「やめてぇ!」


極限状況下において悲鳴を上げるのは簡単だ。

だが、そんな事に時間を割かず、適切な解決策を行うことは相当に困難だ。

フェイが行ったのはそんな困難極まりないことだった。

VSが足を持ち上げた瞬間には自身の足元に落ちていたコンクリート片を数個拾い上げると、即座にVSに向かって放り投げたのだ。

驚異的な腕力で投げられたそれらは露天式コックピットの左側面から防護用の強化ガラスに突き刺さった。

バキン、という音を立て一部の小石は強化ガラスの層をつき抜けてパイロット自身へと邁進する。

突然の攻撃に対して「うわっ!」と間抜けな声を上げ、操作機器から男達は手を離す。

その瞬間、VSは一切の行動を停止させた状態で静止した。オートバランサーのおかげで片足が持ち上がっているとはいえ転倒せずにいるVSを見、フェイは更に行動を続けた。

その場から10mは離れているであろう少年の元までほぼ一瞬のうちに移動し、少年を半ば掴み上げるとその場を移動した。

少年自身何がどうなったのかを理解出来ていなかったし、その場の状況を見ていた他の人間の中でも何が起こっているのかを瞬時に理解できたものはいなかった。

しかし、どうやら少年が助かっただろう事はおぼろげにも理解できたし、それを感謝することは可能だった。



フェイの勇気ある行動に感化されたのか、或いは最初から考えていたのか、隼人はフェイが少年を移動させたのとほぼ同時に屋敷の外に向かって走り出していた。

「戦力確保まで時間稼ぎ頼む!」

それだけを叫んだ隼人はフェイが確実にこちらの意図を汲んでくれるであろう事を確信していた。

「早めに頼むぜ!」

そう言ったフェイは少年をワン達に預けると、更に数個のコンクリート片を拾い上げると彼女らから距離をとるように庭を横切って道路側へと躍り出た。

「オイ!そこのうすらバカ!いつまでも片足ケンケンなんてしてっと格好の的だぜ!」

そう言うが早いか、手にしたコンクリート片をVSの後背部に向かって連続で数個投げつける。

さすがにコックピットとは異なり、搭乗者に直接のダメージを与えることは出来なかったが、それでも搭乗者にこれは脅威であると認識させる事位は可能だったようだ。

『あの野郎ぅ!マジ俺らナメてんぜ!』

『家ブッ壊すのは後回しだ!まずはあの野郎踏み潰してやる!』

頭に血が上りやすいというのはなんとも誘導が楽なものだ。内心でVS搭乗者を小馬鹿にしながらもフェイは更に彼らを煽る事に専念した。

「はっ!テメェらみたいな連中に踏み潰せるもんかよ!そらっ!」

またしても、今度はコックピットを少し外した所にコンクリート片をぶつける。

ますますちんけなプライドを刺激された彼らは本来の目的を見失い、フェイに向かって機体を前進させ始めた。



一方、屋敷の外へと飛び出した隼人は屋敷の隣に位置する高層ビルの建築現場に目をつけた。

有刺鉄線でもないフェンスを軽々と乗り越えると、そこには数機のVSがあった。

無論、そのうちの殆どは作業途中であった。だが、常に全ての機材が稼働中になるといった事態は建設現場においてはあまり有り得る事ではない。

なぜならば作業には工程という物があり、自身が担当する分野が未だの物や或いは終了してしまった機材は邪魔にならない程度に駐機しておくものだからだ。

実習においてそれをイヤというほど学んだ隼人はそういった駐機しているVSの保管場所はどこかと視線を左右へ振った。急いで見つけなければ自身の2倍は屈強そうな作業員に不法侵入を発見され、そのまま問答無用でつまみ出されてしまうか、説教を食らって時間を消費してしまう。

隣での蛮行を知らせて作業員達に助けてもらう、という選択肢も無い訳ではなかったが、VSを用いた喧嘩はVS操縦免許の剥奪に繋がりかねない重大行為だ。職もある普通の作業員がマフィア相手に義侠心だけで行動してくれる可能性は低いと見るしかない。

そして、彼は格好の獲物をその視界に捕らえた。

「有澤重工製、ジャック。それも17年型とは渋いね」

工業用という比較的大きなマーケットにおいても少数のシェアしか誇れていない有澤重工社においても更に異色を極めたのがジャックシリーズだった。

自社製OSを組み込んだジャックシリーズは完全にVSの売りである所の換装性を消失し、ほぼ二足型のワンモデルしか組めないという工業用途の中にしては考えられない独自性を持っている。

だが、その独自OSを使いこなせれば現行の如何なるVSよりも3割り増しでの作業効率が望めるという少数派のメリットからマニアや職人肌の一部からは根強い支持を持っているのだ。

VSオタクの名を冠する隼人もまたその職人並みのこだわりを持つ有澤重工の熱心なファンであり、数少ない有澤独自OSをこよなく愛す者の一人だった。

「誰も乗ってないのにアイドリングしながら駐機とは、よほど俺に使って欲しいってことだな」

舌なめずりをしながら隼人は大ダッシュで駐機しているジャックのコックピットへと接近して行った。



後背部から乗り込む閉鎖式コックピットというのもジャックシリーズの特長だった。

そのため、一旦乗り込んで内部からロックをかけてしまえば並大抵のことが無ければコックピットから引きずり下ろされることも無い。

本来のパイロットと思しき中年男性がわき見をしている隙に片膝を着いて駐機しているジャックのコックピットブロックに入り込んだ隼人はすかさずハッチを閉め、電子ロックをかけた。

不審者に気づいたのか、外からハッチを叩いて抗議するパイロットを無視し、隼人は機体状況をチェックした。

アイドリング中とは言え、プログラムが正常に働いているかどうかは不明だ。

簡易走査をかけながら、シートベルトを締め、モニター類を全確認した隼人は“All Clear”の文字を見て取り、即座に全高12mの機体を直立させる。

「おっさん!立つから危ないよ!」

外部スピーカーに設定したマイクに叫んだ隼人はハッチ外の人影が気体から飛びのいたのを確認するのと同時に方向転換を行った。

さて、早く戻らないとフェイの奴にどやされてしまう。



手持ちのコンクリート片がなくなった段階でフェイは戦術をアジテート一本に絞っていた。

「オイ、ぐず!まだ俺を仕留められてねぇぞ!てめぇ本当にVS免許持ってんのか?!田舎帰ってコンバインにでも乗っとけ!」

『しゃあっすォ!オルラっったルあ!おお?!』

辺りの人間からすると一体全体なんだか分からない雄叫びを上げ始めたチンピラを前にしてもフェイはなんら動揺することなくVSの進行方向と速度を予想してちょこまかと足元を走り回っていた。

しかし、そんな彼にしても体力的限界はそろそろであろうことは自覚していた。

だが、彼は確実に訪れる増援までの時間稼ぎに徹することを自身の役割と認識していた。だからこそ彼はアジテートを行うのと同時にチンピラを屋敷や庭から徐々に遠ざけるように誘導することに腐心していたのだ。

格闘戦にでもなった時に隼人だと何しでかすか分からねぇからな。

その思いは奇しくも的中するのだが、それはまだホンの少し先のことだ。



『フェイ!待たせたな!追加戦力の到着だぜ!』

その声に振り返ったフェイはまさかのVSの登場に対して驚きを隠せなかった。

「ジャックって・・・。有澤かよ・・・」

『何だ?!その失敬な言い方は!』

フェイとて工科技術大学附属高校においてVSの操縦は上位成績者だ。だが、彼をしても乗り手を相当に選ぶ荒馬であるジャックを即座に乗りこなせる自信は無かった。

それしかなかったのか、という疑問を頭に抱いたままではあったが、ともかく選手交代の時が来たことを認識したフェイはともかく彼の最上の親友を信じるしかないと開き直った。

「まぁ、期待してるぜ!流石にVSとやり合うには戦力が足りないと思ってたところでね」

『任しときな!正面から削りきってやらぁ!』

そう叫ぶや否や、ジャックはミヤマに向かって突進して行く。

だが、基本的に軽量コンパクトをコンセプトとするミヤマに対して重厚さを売りにするジャックでは機動性に多いな差がある。

ミヤマが特注のパイルドライバーを装備している為に本来の機動性を発揮しきれないにしてもその差は明らかだ。

そもそもパイルドライバーを構えたミヤマにしてみれば突っ込んでくるジャックは格好の的にしか見えなかった。

『バカが!穴だらけにしてやらぁ!』

そう言ってミヤマは右手を腰ごと大きくスイングさせ、後方に引き付ける。

パイルドライバー発射の準備態勢に入ったことが歴然と分かるそのポーズにフェイは思わず「避けろ!」と叫ぶ。

普通ならば自身の最大速度で突っ走るVS機体のとっさの制御など不可能だ。

自動車とは異なり、複雑な小操作が必要なVSにおいて最大の弱点とされるのはそういったレスポンスなのだから。


だが、独自OSによってそういった“通常”のVSとは一角をなしているジャックはフェイの助言の通り、突進したままの速度を維持したまま右に綺麗なサイドステップを決めて見せた。

ラグビーにおける基本的なフェイントであるが、VSのような10m越えの巨大な重機ではそう簡単にやってのけられる技ではない。ましてや最大速度での突進という他の操作もまともに出来ないような状況だ。

フェイをしても一瞬何があったのか分からなかった程だ。

パイルドライバーを構えていたチンピラ二名などは自身の目の前からジャックが消えたようにしか見えなかっただろう。

彼らはその一瞬の出来事に対応できず、引き付けたミヤマの右手をフルスウィングで前に繰り出すしかなかった。

強烈な右ストレートのようにも見える右手の移動が終わるや否や、仕込まれたパイルドライバーは自身の役割に沿って内部に充填した火薬に爆発を促し、重量200kgにも及ぶ巨大な鉄杭を一定距離前進させる。だが、その先に杭自身が貫くべき目標は無い。彼らが目標としていた所のジャックはサイドステップでミヤマを華麗にかわすや、すぐに急ブレーキをかけ、ミヤマの左側面に回りこんでいたのだ。

すかさずそこからミヤマの伸ばしきった右手を両手でつかみこんだジャックはミヤマよりも小さな胴体をミヤマの正面を背にした状態で割り込ませた。

傍目から見ればまるでその体勢は柔道におけるある技をかける直前の仕草そのものだった。

「まさか?!」

『おりゃぁ!』

フェイが叫びきる直前、それよりも大きな声でスピーカーから隼人の気合が木霊する。

それとほぼ同タイミングでジャックの上半身が前方に向かってお辞儀をするかのような体勢になる。それはすなわち、両手で保持したミヤマの右手を持ったままミヤマの巨体を肩越しに撥ね上げる動作に他ならない。

そう、彼はVSという巨体同士において柔道における定番技、背負い投げを実践して見せたのだ。

ジャックという小柄かつヘビー級のパワーを持つ機体と長身ながらも軽量コンパクトなミヤマという機体の組み合わせでしかありえない光景だった。

いや、VSで格闘戦を行おう等と考える輩でなければそもそも成立しないものだ。

見事にパワー負けしたミヤマは見事なまでの放物線を辿り、背面から地面へと叩きつけられた。“ガシャン!”とも、“ドカン!”とも取れる著しい轟音が周囲に木霊する。



受身も何も取れなかったミヤマはその衝撃を全てコアブロック背面部で引き受けることとなり、その衝撃はコアブロック全体に波及した。

無論、それは露天式であるとはいえ、コアブロックそのものともいえるコックピットにおいても同様だった。

チンピラたちはさぞ驚いたことだろう。突如として天地がひっくり返ったかと思えば背中から地面に叩きつけられていたのだ。それも大地震並みの衝撃で。

当然のことながら、シートベルトを締めていたとしてもそれだけの衝撃が襲ったコックピットでピンピンしていられる人間などざらにいるものではない。

哀れなチンピラ二名は口から泡を吐き、あらぬ方向に白目を向けるという無残な表情でシートに固定されていた。



「まぁ!?・・・」

「また派手にやったものね・・・」

「すげーっ!!」

轟音を聞きつけて駆けつけた三人の反応は細々とした点が異なっていたもののおおよそ同じようなものだった。

なにせ目の前には仰向けに横転したミヤマが鎮座しており、その巨体によって道路全体が半ば陥没したような状態になっていたのだ。

轟音を聞きつけ、周囲の工事現場からも何事かと人が詰め寄せる。

人だかりが多くなる前に機体を降りないとヤバイ事になるのではないかと思った隼人は即座にミヤマの右手を離すと、屋敷前にジャックを移動させ片膝を着かせて駐機態勢に移行させた。

ハッチの電子ロックを解除し、閉鎖式コックピットから外へ出た隼人はそこで初めて肉眼で自身の成し遂げた光景を目の当たりにした。

VSの17型程度の小さな液晶画面でしか把握していなかった光景と肉眼で確認するそれはかなり衝撃度が異なったものであった。

だが、それよりも隼人を驚かせたのは周囲の人だかりから湧く歓声としか取れないような喚声だった。

その中心人物はジャックの後背部によじ登ってくると即座に隼人にハイタッチを強要した。

「見たか、フェイ!見事な背負い投げだろ!?間違いなく一本ゲットでしょ!」

「突進の段階で指導とられた可能性があるからな。仕切り直しになってた可能性があるな」

自慢げな隼人に冷静に皮肉を返したフェイだったが、その直後にはニヤリと相好を崩した。

「だけど、ケンカなら文句なしの勝ちだ。流石だぜ、相棒!」

そう言ってサイドハイタッチした彼らは相も変わらず沈黙を続けるミヤマへと視線を移した。

「後顧の憂いを断つ必要があると思うんだけど、どう思う?」

「奇遇だな。俺も走りまわされた御礼を返しとこうと思ってたところだったんだ」



十数分後、コックピットから引き摺り下ろされたチンピラ達はナイロンロープでガチガチに縛られ、穴ぼこだらけになった庭に転がされていた。隼人は単に縛るだけではなく亀甲縛りにでもして口にギャグでも噛ませろと主張したのだが、生憎と緊縛に精通した高校生はその場には居らず、縛るというよりは簀巻きに近い状況ではあった。

蓑虫の様な外観になったチンピラはそれでもまだ気絶から覚めていなかった。

業を煮やしたフェイは散水栓の前にチンピラの顔面を近づけると最大圧力で水道を開放した。

あまりの圧力に悲鳴を上げ気絶から回復したチンピラ達だったが、自身らの置かれた現状を把握するや蒼白な顔面ながらも必死に威勢を維持しようとし始めた。

「て、てめぇら!こんな事して、た、ただで済むと思ってんのか?!」

「そ、そうだぞ!俺らの後ろになにがいるか、知らねぇわけじゃねぇだろ!?」

最早哀れとも取れるいきがりに対して隼人は更に放水を加えようとしたが、それを制したのはフェイだった。

彼は膝を着き、チンピラたちの耳元に顔を寄せるとなにやら中国語でボソボソと呟いた。

隼人が断片的に聞き取れたのは「三合会(サンヘイフイ)九龍(ガオルン)鉄槌(ティエチュイ)」といった程度だった。

そして最後にフェイがフッとシャツの襟をまくり、鎖骨の辺りを示した。

なにやら小さい紋様が刻まれているようだったが、隼人の位置からは良く見えてはいなかった。

だが、目の当たりにしたチンピラ達にとってはその小さな紋様の意味は重大なものだったらしく、ただでさえ蒼白気味であった顔を更に青くしていった。

「何で一体、あんたみたいな人がこんな所に・・・!」

チンピラのうちの一人が呟いた一言に対してフェイは無言を返答とした。

立ち上がり、チンピラを一睨みしただけのフェイは隼人たちに向き直った。

「とりあえず、パイルドライバーの入手経路については見当の余地ありだな。憲兵隊に連絡着けるか?」

それまでのチンピラ達との会話については触れるな、といわんばかりの話題転換だったが、隼人もワンもそれを是認するしかなかった。

それはフェイの顔の中に今までに見たことが無いような憂いを見て取ったからだった。



上陸時に渡された軍用の携帯を操り、憲兵隊を呼び寄せるワンを見やった隼人はフェイに何か言葉をかけようとしたが、それよりも先に別の人物によって声をかけられることになった。

「あの、この度は本当に・・・」

今になってようやく感情が追いついたのか、涙を目に溜めたお姉さんが少年と共に寄って来た。

「いえ、余所者の俺らが勝手にしたことですから、ご迷惑になっていなければ・・・。なぁ、フェイ!」

表立って感謝の意を表されたことにこそばゆい思いを浮かべた隼人はその恥ずかしさを共有できるであろう人物を呼び寄せることにした。

だが、肝心のフェイは誰かが呼んだであろう警察からの聴取にかかりきりになっており、こちらを対処していられるだけの余裕はないようだった。

どうやらお姉さんにしても警察から何か聞かれることがあるのか、「では」と告げると少年を連れてそちらへと歩いていった。

だが、少年だけは何か思うことがあるのか、不意にこちらへと走り寄って来た。

足元まで近寄り、こちらを見上げるようにした彼はただ一言「お兄ちゃん、ありがとう!」とだけ告げるとお姉さんの足元へと走って戻っていった。

やれやれ、と呟いた隼人だったがその言葉は不思議と疲れを感じさせるものではなかった。



「ねぇ、お姉さんの大切な物がなんだか聞いた?」

「え?あぁ・・・庭の花壇が二番目って奴だろ?一番は、そういえば聞いてないな」

「でしょ?だからさっき聞いてきたの。お姉さん、なんて言ったと思う?」

「展開的に考えれば、さっきの坊主って所じゃねぇの?」

「おしい!正解はね・・・“家族”なんだって」

「似たようなもんじゃねぇかよ」

「そうかもね。・・・でも良いなぁ。大切な物が“家族”って言い切れちゃうなんて」

「どこの家庭もそういう家族になれる可能性は持ってるさ。開花させられるかどうかは本人達の努力次第だけどな」

「・・・私たちも、そうなれるかな?」

「・・・誰と誰のことだ?」

「もうっ!このバカっ!」

「イテっ!叩く事ぁ無いだろ!」



「・・・良いんだ。二人が幸せなら、それで良いんだ・・・」

2025年7月27日現地時間午後6時30分、夕暮れ時のシンガポールは人々の笑い声に満ちていた。

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