殺すということ
その光景を見た瞬間、悠斗の頭は真っ白になった。気持ちが悪い。吐き気かする。腹からこみあげてくるモノを必死に抑え込み、理性を、正気を失わない様に自分を叱咤する。
死体を見たのはこれで四回目だ。一回目と二回目はあの日に。三回目は自分が殺したあの人。四回目もかなりひどいものだ。もう無理だ。そう思いつつ、悠斗の意識は暗転していく。
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気がつけば、知らない空間に立っていた。白いーーー本当に何も無い真っ白な空間だ。でも、悠斗の目の前には二人の子供がいた。
二人とも小学生位だろうか。二人の内の一人、女の子は床に横たわっている。もう一人の男の子は倒れている少女を茫然自失と見つめている。
(ああ、ああああああ………こんな、こんなの………)
少年は頭に直接響く様な声で泣き崩れるかの様に少女を抱き締める。少女の胸にはナイフが刺さっている。年齢を考えると致命傷だろう。少女からあふれでる血の様な赤は白い空間をどんどん染め上げていく。
「(ああ、またこれか)」
悠斗はただ、静かに少年達を見つめている。その姿はまるで何かを懺悔するようでーーーーー
(殺す、殺してやる!例えここで終わっても。必ず………!)
その声は小学生とは思えない程の憎悪が含まれていた。少年は少女の体をゆっくりと床に置き、どこから手にしたのか竹刀を握りしめてのろのろと歩き出す。
悠斗は動かない。動けない。足が地面に張り付いたように動かない。知っているからだ。この少年を、少女を。
結局、動ける様になったのは少年が虚空の彼方に消えた後だった。悠斗はようやく動ける様になった足でゆっくり歩を進める。
少女の亡骸の前で膝まづき、血が抜けて随分軽くなった華奢な体を抱き止める。体温が完全に失われたその身体は、まだ少し柔らかかった。
「ーーーーーごめん。」
悠斗の呟いた言葉は恐らく人の名前だろう。しかし、その声はあまりにも掠れていて、悠斗自身にも聞き取れなかった。
☆☆☆☆☆☆
「ゆ………と、ゆう…………、ゆ……うと、悠斗!」
ハッと我に帰る。辺りにはまだ血と精液の匂いが充満していて、胃の中のものがむせかえりそうだ。
「ああ、凛紅。ごめん、少し動揺してた」
「大丈夫なら良いのよ。………もしかして、あの日の事を思い出してたの?」
「………あははは。凛紅は何でもお見通しだね」
悠斗の疲れた様な乾いた笑みと返事に、凛紅は悲痛そうな表情になってしまう。その空気も、次の瞬間には無くなってしまうが。
「おい、生存者がいるぞ!」
声をあげた神崎の元に白刃達が集まる。悠斗達も集まって様子を確認しようとする。神崎の言う生存者はかなり立派そうな鎧を着こんだ男だった。
その男の様子は酷いものだった。腹には刃渡り五センチ以上ある刃で刺し貫かれた様な傷が鎧ごしで覗いていて、鎧の隙間からあふれでた夥しい量の血がダンジョンの大地に赤い海を作っている。また、凶器の剣に毒の類いが塗ってあったのか、幾つかの種類の毒が男の身体を侵していた。
近場に転がっている三人分の死体ーーーー恐らく彼の仲間達も皆、無惨な姿となっていた。身長は低いが貫禄のある、ドワーフだろう男はその厳つい顔を驚愕で染めて、首と胴を別たれて死んでいる。少し軽装の剣士だろう男は両手両足を切断され、そこから回った毒で苦悶の表情を浮かべながら死んでいる。
そして最も悲惨なのはこの術士の少女だろう。衣服はビリビリに引き裂かれ、元は美しかった白い肌をまた違う意味で白い液体と自身の血で汚している。恐らく、まだ生きている仲間の前で徹底的に犯されたのだろう。眼は虚ろでハイライトが消えていた。全身白濁液まみれの裸体は基本、男を興奮させるものだが、さすがにこの姿に欲情する者はいなかったようだ。
あまりに酷い死体の数々と女性としての尊厳を完膚なきまでに踏みにじられた姿を見て、ほとんどの女子達は嘔吐したり、気を失ったりしている。凛紅達もまたしかりで、双葉は気分悪そうに蹲り、ミーシアは悠斗の後ろに隠れてじっと我慢していた。凛紅でさえも、目をそらして俯いている。
「う………ああ………誰か………いる、のか?」
男の声はとても弱々しく、まるで命の灯火が尽きかけているようだ。悠斗のは、震える声で男に尋ねる。
「誰に、やられましたか」
「全身が………異様に………黒い、お………とこだっ、た」
男は血を口の端から流しながらも、悠斗達に強い視線を送っていた。すなわち、「仲間はどうなったのか」と。
「ごめんなさい。あなたの仲間はもう、駄目でした」
悠斗の言葉を聞いた男は目を見開くと、すぐに顔を戻し、口を開く。
「ああ、………やっぱり、そう………か」
最早、諦めの声をあげた男の手はしかし、強く握りしめられていた。目に涙が溜まっている。一粒の透明の雫が、目の端からこぼれ落ち、唇は毒によって青白くなっていたが血が出るほど強く噛みしめられていた。
「まだ諦めないで!うちの回復士がいますから、もう大丈夫です」
そう言ったのは白刃だ。白刃は、回復魔法が使えるクラスメイトを集めて回復させるよう促した。回復魔法の光が男を包んでいく。そして、男が負った傷が消えてーーーーいくことはなかった。
「なんで、なんでどうして!?」
それは誰がだした声だったか。いくら試そうと、誰が試そうと、男の傷が癒えることはなかった。
「無駄………だ。時間、が………経ち………過ぎた傷は………癒せない………。頼む………。ごほっ!もう、殺してくれ。早く………楽になりたい。先に逝った仲間の………元へ、送ってくれ」
「そんな、嫌です!まだ救えるかもしれない人を殺すなんて………それに、俺は人を殺したくありません!なんなら、俺が貴方を背負って行きます!」
「止めとけ………。ここは、ダンジョン………だ。怪我人を引き連れていたら………死ぬぞ」
「けど、けど俺には力がある!」
その言葉を聞いた瞬間、男はありったけの力で叫ぶ。
「傲れるな!ごふっ、ここはダンジョンだ。何があるか分からない。………人も魔物も、皆、敵だ。次の瞬間には死がてぐすねひいて待っている世界だ。力だけじゃ、どうにもならない事が、あるんだ。
心配してくれているのは感謝する。でも、もう、間に合わない。………自分勝手なのは分かっている。………遺品は好きにして………いい、から………はや………く」
その場の誰もが、動けない。男を助けたくても、自分に人殺しなど出来るわけがない。だから、動けない。
さく、さく、さく。妙に小気味良い音が鼓膜を叩く。誰もが音の源に目を向ける。そこにいたのは、かつてないほどに冷たい眼をした悠斗だった。
「悠………斗?」
「悠斗さん?」
「ユウト様………?」
「おっおい、悠斗?」
凛紅が、双葉が、ミーシアが、大輝が、各々の言葉で悠斗に話かける。しかし、悠斗はそれに一瞥もくれず、男に向かってゆっくり歩いていく。
「ーーー、ーーー」
不意に、虚空から現れた物が悠斗の手に収まる。黒く、対人戦において、圧倒的な殺傷力を持つ現代兵器。
自動拳銃だ。
いくら銃がある異世界とはいえ、原理が全く異なる現代兵器を持っていることもそうだが、今は悠斗がそれを取り出した理由について多くのクラスメイトの頭を占めていた。
かちゃっ。短い音と共に拳銃を構える悠斗。その顔は誰も窺えない。
「すま………ない。嫌な………思いを………させる」
「………………」
悠斗は無言。男の顔が微かに緩んだ様な気がしたのは、気のせいだろう。無言のまま、悠斗は引き金を引いた。
ダアアアアアアン!!!
この世界に存在するはずがない、炸裂音と共に打ち出された弾丸は明確に男の額を撃ち抜き、大地に真っ赤な花を咲かせた。




