0‐2 課題と化け物わんこ
「ただいまぁ……」
家に帰った俺は静まり返った家の中に声をかける。
もちろん両親ともに働きに出ているため返事なんてない。真っ暗な玄関に明かりを灯し、廊下へと腰かけて靴を脱ぐ。
ふと誰もいないはずの2階から視線を感じた。階段の電気をつけて見たものの、やっぱり誰もいない。
いたらいたでそれはまずいけど。
靴を脱いでそのまま台所へと向かえば、ダイニングテーブルの上にメモ書きがトンッと置いてあった。
えっと何々?夕飯は冷蔵庫の中のタッパーを温めて食え……か。きっと昨日のおでんかな。
案の定冷蔵庫を開けてみれば、タッパーの中身はおでんだった。
物心ついた時から一人が多く、家族でどこかに出掛けたという記憶もない。
両親共に仕事中毒なのか、何日か帰ってこない時もざらにある。そのお陰で料理やら家事やらできるようにはなったけど。
「さて……一眠りしてから課題やるかな。同人誌……やっぱり終わってから読もう」
俺は食器を洗い、あくびをしながら2階にある自分の部屋へと向かった。
実質親がいないに等しいため、面倒だと居間で寝起きすることもあるけど、何だか今日は妙に疲れた……。
普段ならすぐに飛び付く同人誌にすら頭が回らない。これは明日は鉄球でも降ってくるんじゃないか?
自分で言うのもどうかと思うけどさ。
玄関で感じた視線と気配……飯食ってる時にも感じたんだよな……。
疲れているせいだ、ということにした俺はそれ以上深く考えることなく自室のベットの上に倒れ込むと、大した時間を要すことなく夢の中へと旅だった。
……
はっきりと鮮明な映像で流れ込む誰かの視点での光景。
かなり古風な街並みの中で、男が1人何かと戦っている。戦っているとはいえ、男は武器を手にしていない。
頻りに口を動かして何かを言っているが、その内容は聞こえない。
戦っている相手へと視線が動く。
なんだ?あれ……掛け軸やらで見るような鬼みたいなもの……人の腕が……口からはみ出し、真っ赤な血が滴り落ちて行く。
そんな鬼のようなものに、角の生えた大きな犬のようなものが果敢に攻撃を加えていた。
なんだろう……そう思った時、そいつは俺の方へと振り向いた。
俺を見つめる3つの目……まるで全てを見られているかのような感覚……自然とドキドキしてきてしまう。
……
「うわっ!!」
そこで俺は飛び起きた。身体全体に汗をかき、心なしか呼吸まで乱れている。
一体……今の夢はなんだ?妙にリアルすぎる。
それにあの犬みたいなのと鬼のようなものには……なんだ?
妙にリアルな夢だったな……あの化け物の口にあった腕……そして滴り落ちる真っ赤な血。
うぅ、思い出さないようにしよう。
頭を左右にブンブンと振っていると、ベッドの隣に置かれた机の上にあるスマートフォンの画面が光り音楽が鳴り始めた。
ディスプレイには栗原健太郎の文字が映し出されている。
「もしもーし?」
『よう斗真。なんか寝てたような声だけど、課題やったか?もう9時過ぎだが』
そう言われて壁に掛けられた時計を見れば……あらびっくり!!本当に9時を回っている。
「寝てた……課題やってない……」
1人であたふたしていると、電話越しで健太郎が溜め息をつくのが聞こえた。
『……だろうと思った。仕方ねぇな……今から行くから待ってろ』
そう言うなり電話がブツリと切られた。
今更ながら健太郎の家は俺の家の隣。昔からの馴染みで行き来は自由だが、専ら最近は健太郎がうちに来ることが多い。
どうせ親はほとんどいないからな。
「よー」
ガチャッと音を立てて開いたドアの向こうには、ジュースとお菓子を持った健太郎がいた。
意外と来るの早かったな……毎度のことながらチャイムくらい鳴らして入ってこいよな。
まぁ鍵かけてない俺が言うのもあれだけどさ。
「斗真、いい加減家の鍵くらい閉めとけよ。不用心にも程があるぞ?」
呆れた表情でテーブルを挟んだ反対側に座った健太郎が、袋に入ったジュースやお菓子を取り出しながら言った。
鍵かかってないからって普通に入ってくるお前に言われたくねぇよ。
早速俺は鞄から分厚い紙の束と筆記用具を出して課題を健太郎と一緒にやり始める。
「……でだな、藤原道長は娘たちを天皇の后にすることで権力を握っていったんだ」
課題にある問題を1つ1つ丁寧に解説しながら解いていくもんだから、この1時間で終わったプリントは5枚だけ。
まだ後20枚近くあるってのに……さっさとやろうと言ったら怒られたよ。
斗真には基礎知識から豆知識まで教えないとだめだ!!と訳のわからないことを言ってきたもんだから、俺が折れるしかなかった。
はぁ……眠たい……。嫁達に癒されたい……。
♪♪~
そんな時だ、ベッドの上に置かれた俺の携帯から軽快な音楽が聞こえてきたのは。この音はメールか……一体誰だ?
手に持っていたシャーペンを置き、俺は携帯の画面を開き、メールのアイコンをタッチした。
『ミツケタ』
カタカナでそう書かれただけのメールに、俺は鳥肌が立った。
だだだだだ誰だよこんなメール送ってきたのは……アドレスを見ても空白、空白って一体どうやって送ってきたんだ?
「何だ?どうしたんだ斗真」
携帯の画面を見たまま固まっている俺が気になったのか、健太郎も俺に近寄り画面を覗き込んだ。
そして画面を見るなり俺よりもわかりやすいくらいに動揺しているのがわかる。
だってめっちゃ震えているんだもの。そういや健太郎ってホラーの類が苦手なんだったっけ。
「なななな!!」
テンパり過ぎてるのか噛みまくって言葉になってない。まぁ何を言おうとしてんのかはなんとなく分かるんだけどさ。
「誰だか分からないけど……タチの悪いイタズラ……」
話している途中でフッと部屋の電気が突然消えた。スイッチも押してないのに……。
「ぎゃぁぁぁっ!!」
顔は見えないけどきっと見るに耐えない表情で叫んでるな健太郎。
つかうるさい。
「うるさいよ健太朗。停電か?」
「んなわけあるかっ!!俺の家も外も電気付いてるぞ!!」
ベッド脇の窓を見れば確かに外からの光は入ってきてる。うちだけ停電?訳がわからん。
「は、早く電気を……!?あばばばば!!」
健太郎はヒステリックにそう叫ぶと、突然変な悲鳴をあげる。
「今度は何だ?」
「あ、あれ……部屋の隅……」
そう言われて部屋のドアのある方を見ると、この暗闇ではっきりと浮かび上がっている犬がいた。
え、どっから入ってきた?つうか何でこんな暗闇ではっきりと見えるんだ?
ここにきてようやく俺にも訪れた恐怖感。
しかもよくよく見てみれば犬にしてはやたらでかいし、何よりもおかしいのが額にも目があり、尻尾は3つに分かれている。
ば、化け物!?
健太郎は恐怖感が許容量を超えたらしく、俺の右腕に巻き付いている。普段ならうっとおしいと引き離すが、状況が状況なだけになにもできない。
と、言うよりかは金縛りにあったかの様に体が全く動かせない。
俺達一体どうなるんだ?
震える俺達に、犬の化け物は一歩一歩近付きながら口を開いた。
『ヤットミツケタ……我ガ主ヨ……』
若い男の声で、ゆっくりと喋ると俺の目の前で腰を下ろす。
こ、こいつ……ひ、人の言葉を喋りやがった……。
唖然としているとまた口を動かし始める。
『……時ヲ越エテ捜シタ甲斐ガアッタ……』
そう言いながら何故かこの犬の化け物は、俺の胸に擦り寄ってきた。
え?状況が掴めないんだけど……あ、健太郎が気絶してる……。
化け物が発光しているせいか、周りが薄明かるくなったため隣を見てみれば健太郎が白目を剥いて意識を失っていた。
それよかずっと捜してたって言ったか?
「捜してたって俺を?」
そう尋ねれば首を縦に振って頷いた。
『ソウダ……我ヤ仲間達ト共ニ戦ッテクレル者ヲナ……』
ちょっと待て、共に戦うってなんだよ?俺は普通の高校生だぞ?
それもさておき、こんな犬の化け物と喋ってること自体非現実的なんだけど。
「いやいやいや、戦うって言われても何と戦うのか分からないし、そんなことしたら警察に捕まっちゃうってば」
焦りながら首を左右にぶんぶん振ってると、ふっと短く笑われた。
何かちょっとイラっとしたんだけど。
俺が眉をひそめると、そいつはどや顔をしながら右脚を俺の左脚に乗せる。
『問題ナイ……戦ウノハコノ平成ノ世デハナイ』
「……は?」
平成の世じゃない?じゃあなんだってんだよ。
1人混乱していると、そいつは部屋の時計を見るなり少し慌てたように口を開く。
『サテ……思イノ外時間ガ掛カリスギタ……行クゾ斗真』
「行くってどこに!?ってか何で俺の名前知ってるんだよ!?」
俺が聞いているのを無視し、奴が強く発光し始めた。
何々!?一体何が起こるんだ!?余りに眩しすぎる光に手で目を覆うと、自分でも気付かない内に意識を手放していた。