8話
「……ユウマ、いったい何したの? リリーナすごい怒ってたけど」
「……ああ、ミカか。……いろいろあったんだよ。……いろいろな」
本当にいろいろあった。あの後氷に包まれて即座に降参をした俺は、とにかく必死に生きることだけを考えてリリーナに謝った。いつもなら自分で氷を退かしてしまえるのだが、風邪を引いてまともに動けない俺にはそれはできなかったのだ。
結局、リリーナに許しをもらえるまで十分ほどかかった。
「まさか風邪だからってリリーナにエッチなことを要求したんじゃ? 「げへへ、お前のせいで風邪ひいたんだからそのたわわに実った果実を触らせろよグヘヘヘヘ」みたいな」
「お前の中の俺どんだけゲスイんだよ!!」
本当にコイツラの中の俺はどれだけゲスイやつなのだろうか。
本格的に今度ゆっくりと話し合いの場を設けた方がいいかもしれない。
「それで、風邪の方はどう? 少しはマシになった」
そう言いながらミカが俺のベットの端に座り込む。
「少しはな。つってもまだ頭はガンガンするし、喉は痛ーし、鼻水は滝のようだし、寒いわ、熱いわで意味わかんねえし、食欲も大してないけどな」
「ユウマ、それは大丈夫って言わないから」
ミカはこういうが、本当に少しはマシになったのだ。朝起きた時に比べればかなり良好である。
「ちょっと動かないでよーっと」
ミカがそう言って前髪をかき上げる。そしてそのまま俺の顔に顔を近づけてきて―――
「っておいおい! なにしてんだよミカ! あれか!? もうすでお前は俺に惚の字で弱っているのをいいことに俺にキスでもしようってのか! いい度胸だっ、かかってこい!」
だんだんと近づいてくるミカの顔を前に言いたいことだけ言って唇をすぼめる。
お母さん、お父さん、ようやくユウマは男として少し進みそうです。
「なんか変な勘違いしてるところ悪いけど、そんなんじゃないよ。ただ熱を測ろうとしてるだけ。だから動かないでって言ったでしょ。キスするならそんなこと言わないよ」
「思わせぶりなことすんなよ!」
「別にしてないよ!? 勝手にユウマが勘違いしただけだからね!」
そんなやり取りを交わしたのち、改めてミカが顔を近づけてくる。
「……」
なんでだろう。すごいドキドキする。ミカ相手にこんな感情を抱いたのは初めてかもしれない。
俺にとってミカは小さいころから一緒の幼馴染で、何をするのも一緒で、どんどんダメになっていく俺に、何一つ文句も言わずに付き合ってくれた唯一の友人といった感じで、それ以外の感情なんてなんにもなくて、それで―――
「……なんか黙ってられるとられるで変な感じだなー」
もう俺とミカの顔の距離は数センチ、ふとした動きでおでこがくっつきそうな距離だ。
「……ねえユウマ、なんか言ってよ」
「……優しくしてね」
「やっぱり何も言わないで」
俺としてはこの状況下では渾身のボケだったと思うのだが、ミカ的には全然だったらしい。それにしても体が熱い、顔も熱い。風邪のせいなのか、それともこの状況に俺ともあろうものが照れているのか、それすらもわからない。
なにこの急なラブコメ展開。ユウマもうどうしていいかわかんない!
思考を重ねていくうちにミカの方からおでこをおでこに合わせてくる。自分のおでこにくっついたミカのおでこは少しひんやりしていて気持ちがいい。
たぶん、俺の顔は今真っ赤に染まっていることだろう。だって今、顔が妙に熱い。心臓も妙にバクバクいってうるさいし、ミカにその音が聞こえてないか不安で仕方がない。顔だって風邪を引いていなかったらミカにバレていたことだろう。
そんな中、ふと俺はミカの表情を見た。
そこには、俺と同じように顔を真っ赤に染めたミカの顔。
目と目が合う。
瞬間に恋に落ちはしなかったが、妙な照れくささが俺たちを襲う。
時間が止まったかのような錯覚を受ける俺たち。熱を測るだけならもう十分な時間は経ったはずなのに、おでこが離れることはない。
何分たっただろう。いや、実際の時間ならまだ一分も経っていないかもしれない。そんな短いのか、長いのかわからない時間が俺とミカを包み込む。
「ね、熱はどうだ……?」
話すことすら許されないような空間の中、どうにか俺の方から口を開く。
しかし、ミカからの返事はない。
「……ミカ?」
「……えっ!? 何ユウマ!!」
二度目の呼びかけに驚いたような反応を示すミカ。
「いや、熱どんなんかなーって―――」
「ああ! うん! まだ少しあるかなってくらいっ。これなら明日にはたぶん治ってるよ!」
「そ、そうか! それはよかった! うんよかった!」
「あはははは」
「ははははは」
とにかく笑ってこの変な空気を誤魔化そうとする俺たち。
「そ、そうだユウマっ。身体っ、身体拭いたげるよ! 汗だくで気持ち悪いでしょ!」
「ああ! そうだな! 実はさっきから気持ち悪くてしょうがなかったんだよ。頼むわ。マジ頼むわー」
「じゃあ下で準備してくるからちょっと待ってて!」
「ああ、ゆっくりでいいぞ」
ミカが一旦部屋から退出する。その間に俺はこの変な感じをどうにかして取り除かねばならない。
そのための呪文を唱える。
「アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。アイリスたんマジ天使。」
これは、俺の中で作った精神を落ち着けるための呪文。
「……ふー。大分落ち着いたな」
呪文の効果は絶大で、数分で変な感情はなくなった。
「お待たせー」
「おう。んじゃま、頼むわ」
上半身裸になってミカに背を向ける。
少しして、ミカがタオルで背中を拭き始めた。
「ユウマ、こんなに背中大きくなったんだねー」
「ん? そうか?」
「そうだよ。昔はこんなに大きくなかったし、広く感じなかったもん」
「ミカがそういうならそうなんだろうな」
小さいころから一緒のミカが言うんだからきっとそうなのだろう。
そう思えるほどに俺とミカとの付き合いは長い。気づいたら隣にいたってくらいには長い付き合いだ。
「ねえユウマ」
「なんだ? 今俺は妻に背中を流される夫の想像で忙しいんだが」
「なにそれ。それって私がユウマのお嫁さんってこと?」
「まあ、今の想像の中じゃそうだな。でも、俺はこの世界でなら一夫多妻制を敷いても問題ない可能性を信じで、この世界でハーレムを作ろうと思う」
日本では一夫多妻制は敷かれていなかった。昔ならそういうのは当たり前だったはずなのに、いつの間にかその制度はなくなったようだ。
でも、この異世界ならもしかしたら―――もしかしたら重婚が可能かもしれない。俺はそこに希望を見出していた。
「ユウマじゃ無理でしょ。ユウマみたいなダメな奴、見放さないのなんて私くらいだよ」
「……そうだな。たぶん、日本でならそうだったと思う」
「日本でなら……?」
「ああ、だってそうだろ? 今の俺にはリリーナとアイリスがいる。あの二人はたぶん俺のことを見放してはくれないと思う。……たぶんだけど」
アイリスはともかく、リリーナは少し怪しい。
王都の方とかに行って上級冒険者たちに誘われたら、「こんなパーティーは私には合わないわ。私にあうパーティーはあっちね」とかいって行ってしまいそうな気もする。
「……そうだね。……うん。そうだよ」
「んあ? どうしたミカ?」
ミカの背中を拭く力が弱まった。
「……ううん。なんでもない」
少し落ち込んだような声でミカはそう言うと、改めて背中を拭くタオルに力を籠める。
「あのさ、確かにあの二人は俺を見放してはくれないだろうけど、俺が一番信用してんのはお前なんだぞ」
「……え?」
「確かにアイリスやリリーナも信用してる。この世界で生きていこうって、生きていけるって思わせてくれたのはあの二人だよ。でも―――」
「でも?」
「俺がここまで生きてこれたのはミカのおかげだ。ミカがいなかったら俺はどっかで死んでた。それが自殺なのか、それとも事故なのか、それはわかんないけど、死んでたよ。物理的に生きてたとしても、きっと精神は死んでた。ここまで生きてこれなかった。ミカがいてくれたから俺は俺でいられたんだ。正直、両親よりもよっぽど信用してる」
今まで胸に溜めていたはずの感情。話すつもりなどなかった感情。死ぬまで、それこそ墓の中まで持っていくつもりだった感情が、今ここで吐露される。
どうやら風邪の時不安になったりするというのは本当らしい。
今の俺はらしくない。
そんなことはわかってるけど、なぜか口は勝手に動く。
死んだときにラティファとあんな会話をしたせいだろうか?
「だからさミカ。これからも頼むぜ」
「……」
「……ミカ?」
「しょうがないなーっ! ユウマには私しかいないもんね! しょうがないなー、本当に……しょうがない」
次の瞬間、背中に温かい感触。
ミカが背中にくっついているのが嫌でもわかる。
「ユウマ、約束して」
ミカは一拍おいて
「絶対に死なないって」
そういった。
「この前……ユウマが死にかけて本当に怖かった、焦った、不安だった、わけがわからなかった、泣きそうだった、ううん……泣いた」
知っている。俺があの『生と死の間』から戻ってきて最初に見た顔はミカだった。見慣れた幼馴染の顔だった。
ただ、いつもの笑顔でなく、泣き顔ではあったけれど。
「ユウマ。ユウマは私がいたから今まで生きてこれたって言ったよね? それは私もなんだよ。私もユウマがいたからここまで生きてこれたんだ」
「あ? それはないだろ。ミカは普通に学校に行ってたし、友達だって俺の十倍はいたし……って俺、友達零人だから零に十掛けても零か」
言っておいてこんな致命的ミスを見つける俺。
涙は出てこない。ただ、目からしょっぱい液体が少し流れているだけだ。
「そんなことない。上手くやってるように見えて全然うまくやれてないもん。どれだけ仲良くなっても、ユウマといるときより楽しい時間も安心する時間もなかった」
「ミカ……」
「ねえ、ユウマ―――」
いきなりミカが前に回ってきて、顔を近づけて来る。
「お、おい。ミカ、どうした? いくら俺がイケメンだからってそういうのは事務所を通してくれないと」
「その事務所の従業員だってどうせ私じゃん」
「うぐ」
否定できない。だってそこの職員本当にミカだけだもん。
さっき熱を測ったときのように近づいてくるミカの顔。見慣れたはずの幼馴染の顔。
そのはずなのに、ミカの顔がまともに見れない。
体が熱い。心臓がうるさい。やっと収まったはずの変な感覚が再び舞い戻る。
動くことを許されないこの世界で、時間の止まったかのような世界で、俺の顔にミカの顔が近づいて来る。
いつもはそんなに気にすることのないミカの顔が今、目の前にある。
長いまつげ、柔らかそうな桜色の唇、上気した頬。少しとろけた瞳。ちょっと荒い息遣い。普段は特別気にすることのないミカの顔のパーツ一つ一つがやけに鮮明に映る。ちょっとした仕草でドキドキする。
そして、もう少しで唇と唇がくっつくというところで――――
「ユウマさん。お体の調子はどうです―――」
そこまで聞いて、俺とミカは全力で体を離す。
「ですよねーっ! 知ってたー! ユウマ知ってたー! こういうお約束展開になるって知ってたー!」
そう、泣きながら叫ぶみじめな男がそこにいた。
「……もう少しだったのにな――――」




