10話
突然だが、今日の俺は自分で言うのもあれだが早起きをしていた。
いつもは早くても八時まではゆっくりと自室に引きこもっている俺が、朝の六時に居間にいるという珍しい状況だ。
しかし季節は冬。寒い寒い冬である。もうそろそろバレンタインなる血で血を洗う行事が行われる時期でもある。まあ異世界にはないらしいけどな。
「とりあえず暖炉つけよう。それから温かいココアでも入れよう」
いつもなら既に俺以外の全員が起きているため暖炉がつけられており部屋が暖かい。しかし今日は俺が一番乗りなので暖炉が付いていない。そのため起きて一番最初の仕事は暖炉の火をつけることである。
「よし、あとは勝手に火が大きくなっていくだろ」
いくつか薪を入れた暖炉に火種を入れてライターで火をつける。最初は弱々しかった火が次第に大きくなっていき頼もしい火になってくる。
「次は炬燵をつけておいて、温めてる間にお湯を沸かしてココアの準備」
最初は俺の部屋にしか置かれていなかった炬燵だが、今ではファナの店で熱くなる石を定期的に仕入れているため、そのお零れをもらって居間にも炬燵が設置された。ちなみにファナの家にも設置済みである。
「ふう……あったけえ……」
とりあえずやることがすべて終えた俺はココアで体の芯から温まる。下は炬燵、上は暖炉、中はココアで徐々に体が温まっていく。
「これが和の心ってやつか……」
なんか違う気もするが、そこは気にしない。
器は大きい方が良いってばっちゃが言ってたような気がする。
「おはようございます……あれ? お部屋が暖かい……?」
朝ののんびりとした時間を過ごしていると、パジャマ姿のアイリスがやって来た。
眠たそうに目を擦ってるところとか、普段誰もいないはずなのに挨拶しちゃうところとかすごくかわいい。あとパジャマって素敵。家族以外の目がないからって油断してる感じがマジ最高である。
が、今日はそれを口にしたりはしない。いつもなら無意識のうちに口にしているだろうが、今日の俺には目的がある。
「おはようございますアイリス様。いま暖かい飲み物をご用意いたします。ミルクとココアどちらになさいますか? それとも他のご要望がありますでしょうか?」
恭しく首を垂れてからアイリスに問いかける。
しかしアイリスからの返答はない。驚きと戸惑いの入り混じったような顔で俺を見ている。幸先は悪くないようだ。
「お、おはようございますユウマさん。今日はお早いんですね。……あの、どうしたんですか?」
こんな時でも挨拶を忘れない良い子なアイリス。しかし俺の様子がいつもと違うことは気になったようでおずおずと質問してきた。
「いえ、お気になさらないでください。それよりもお飲み物はどうなさいますか?」
アイリスの質問を軽く受け流して自分の持っていきたい方向に話題を引っ張り戻す。
「えっと……じゃあココアをお願いします……」
「かしこまりました。炬燵でお体を温めながら待っていてください。すぐにお持ちいたします」
再び恭しい感じでアイリスに首を垂れる。
そのまま我ながら綺麗な動作でキッチンへとココアを入れに向かおうとすると「待ってください」と、アイリスに呼び止められた。
「どうかしましたかアイリス様? 他のお飲み物になさいますか?」
「い、いえ、ココアでいいんですけど……」
「では何用でしょうか?」
「だから、その……本当にどうしちゃったんですかユウマさん!? なんか今のユウマさん全然いつものユウマさんらしくないです!」
言うか言わないか少し悩んだ様子のアイリスが珍しく声を荒げて詰め寄ってくる。よほど今の俺の様子がおかしく見えるらしい。
だけど大丈夫だアイリス。俺もこんな自分変だって思ってるから。
「そんなことないと思いますが……。逆にお尋ねしますが普段の私とはどういった感じでしょう?」
「えっ……!?」
必死なアイリスを見ていたらなんだか無性に意地悪をしてみたくなってしまった。
小学生男子が好きな女の子に悪戯とか意地悪をする気持ちが高校生になってようやくわかった気がする。
女の子が困った反応見るのって悪趣味かもしれないが、なんかクるものがある。
「ですから、その、たまに変なこと言うけど優しくて、なんだかんだいいながらもミカさんやリリーナさんのことを助けてあげて、私の名前を呼びながら頭を撫でてくれたりする感じ……です」
……うん。なんか思ってたのと違うけどすげー良い。
絶対にもっと悪い意味で酷いこと言われると思ってた。アイリスだからそれを必死にいい感じに言い繕おうと頑張る姿見る気満々だった。
「アイリス様は今の私はお嫌いですか?」
「そんなことはないです!! ……でも、いつものユウマさんの方が私は好きです」
……やばい。当初の目的とかどうでもよくなってきた。
もうアイリスに抱き着いて頭を目いっぱい撫でながらいいこいいこしてあげたい。
しかしがんばれユウマ。お前はやればできる奴のはずだ。それはあとで目一杯してやればいいだろ。そうやって自分を言い聞かせる。
「アイリス様の気持ちは痛いほどわかりました。ですがもう少しだけ、今日一日だけでも今の私でいることをお許しください」
「ほ、ほんとうですか? 明日になったらいつものユウマさんに戻ってくれますか?」
若干涙目になっているアイリスが上目遣いで見つめてくる。
あっぶねえ……。どうにか踏みとどまった。思わず抱き着いちゃうところだった。
「はい。アイリス様に嘘なんて言いません。お約束いたしましょう。破ったらどんな命令でも聞きます。それでいかがですか?」
「……わかりました。……絶対ですからね!」
「はい、絶対です」
アイリスの必死の訴えに笑顔で返す。
正直アイリスを騙すようなことは心苦しいが、これも目的のため。アイリスには今度なにかしらの謝罪をする必要があるだろう。……デートプランでも立てておくか。
「朝から騒がしいわね。何やってるのよアイリス」
アイリスをどうにか納得させると、今度はパジャマ姿のリリーナが起きてきた。いつもながら肌色成分の多い、男の目に毒なパジャマである。
アイリスのパジャマが普通のパジャマだとしたら、リリーナのパジャマはネグリジェと呼ばれるものだ。下がズボンの様にはなっておらず、ワンピースのようにスカート状になっている。肩も大きく露出し、胸元も結構大胆だ。生地も心なしか薄く、肌色が透けて見える……気がする。
「おはようございますリリーナ様。お騒がせしてすみません。もう解決しましたのでどうかご容赦を」
挨拶とともに謝罪を述べて、恭しく頭を下げる。
……完璧だ。数々の執事ものアニメを見てきた俺におかしいところはまるでない。完全に完璧で全壁なコピーだ。
「……アイリス。これはだれ? なんか私の知らない男が屋敷に紛れ込んでるみたいなのよね」
「えっと……あはは……」
なぜか俺にではなくアイリスに質問を飛ばすリリーナだったが、アイリスは困ったように笑って返した。
「なにを言っておられるんですかリリーナ様。私ですよ。あなたのパーティーメンバーのユウマです。お忘れですか?」
「確かにユウマは知ってるわね。でも私の知ってるユウマはこんなんじゃないわ」
「ではどういった感じで?」
「そうね。バカでクズで変態で鬼畜で変態でエロくて変態なやつね。そうとしかたとえようがないわ」
あまりな物言いに言い返したくなったが拳をぎゅっと握りしめて、さらには爪を食い込ませてどうにか踏みとどまる。
ったく、少しはアイリスを見習ってほしい。アイリスはあんなに俺を褒めてくれたのに。俺は褒められて伸びるタイプなんだぞ!! 褒められるところがないなんてことないんだからな!!
あとなんで変態が三回入ってんだよ! しかもエロくてもほぼ同じじゃねえか!!
「ははは。ご冗談がお上手ですねリリーナ様。変態が三回も入ってましたよ」
「わざとに決まってるでしょ。それよりいい加減その話し方止めなさいよ。気持ち悪いわ」
「では洗面器をお持ちいたします」
「そういう意味じゃないわよ!!」
朝っぱらから元気な元お嬢様である。
俺がそんなことを思っていると、なにやら疲れた顔をして大きなため息を零しながらリリーナがソファーへと座った。
「お飲みもはいかがですか? すぐに準備できますよ」
「……それじゃあミルクティー持ってきなさい。まずかったら承知しないわよ」
「畏まりました。少々お待ちください」
アイリスのココアを作るついでにリリーナの紅茶を作りにキッチンに向かう。
ココアは自分でもよく飲むので慣れた手つきであっという間に完成させた。
「紅茶は確か温度が大事なんだっけか?」
今ここには誰もいない。
さっきのリリーナとの会話で精神力を大分持ってかれたので今ここで回復しておかないと。
「カップを温めて、温度はたしか沸騰しない程度の高温だったっけ? あとは入れる時に少し入れて蒸らしてから入れると全体的に味が広まるんだったっけかな?」
日本にいた頃にアニメや漫画で見た紅茶についての知識を総動員出せる。
「とりあえずこれでいっか。あんまり待たせるとアイリスはともかくリリーナがうるさそうだし」
最後に大きく深呼吸をしてスイッチを切り替えてからココアと紅茶を乗せたお盆を持って二人の居いる居間に戻る。
「お待たせしました」
しっかりとスイッチが切り替わったのを自覚して、まずは近くにいるアイリスにホットココアを渡す。
「お熱いのでお気を付けください」
「は、はい。ありがとうございます……」
納得はしてくれたものの、やっぱり俺のこの状態になれない様子のアイリス。
ごめん。ほんとごめんなアイリス。絶対に今度埋め合わせするから。
そうやって自分の心に誓いながら今度はリリーナの元へカップを持っていく。
「どうぞ」
「……これ紅茶よね? 私ミルクティーって言ったはずなんだけど、わからなかったのかしら?」
「いえ、ミルクはこれから入れさせてもらおうかと」
「……ミルク持ってきてないじゃない」
怪しむように俺の持っているお盆を見て、ポケットや物を隠せそうな場所を見て、やっぱり訝しんだ顔で見てくるリリーナ。
まったく、疑い深い奴め。
「そこはお任せください。私にいい方法があります」
「いい方法? ユウマの良い方法って全然いいイメージがないのよね……」
どこまでも俺を信じられない様子のリリーナが鋭い視線を向けてくる。
だがそんなことで屈指はしない。俺はにっこり笑顔を返してリリーナの前に膝をついた。
「少々失礼します」
ちゃんと断りを入れてからゆっくりと空いている方の自分の手をリリーナに向けて伸ばしていく。
しかしあともう少しというところでカップを持っていない方の手を叩かれた。
「何しようとしてるのよ!!」
「いえ、ですからミルクを調達しようかと」
「じゃあなんで私の体を触ろうとしたのよ!! どこにミルクがあるって言うのよ!!」
「そちらに新鮮なミルクが」
顔を真っ赤にして怒っているリリーナに、笑顔を絶やさないままその場所を指差してやる。
その大きな果実の実った見事なおっぱいを。
「ふざけないで! 出るわけないでしょ!!」
「えぇ!? そんなに大きいのにですか!?」
「大きさは関係ないでしょうが!!」
自分の体を抱くようにして俺から少し距離を取るリリーナ。
「わかりませんよ? どれ、私が直々に証明して見せましょう」
「どれ、じゃないわよ! やっぱりいつもの変態ユウマじゃないの! さっき言ったこと間違ってなかったじゃないのよ!!」
怒鳴りながらいつも肩身離さず持ち歩いている杖に手を伸ばしたリリーナ。
さすがにこれ以上はまずい。というか普通に相手するつもりだったのにうっかりリリーナいじりしたくなってしまった。ちゃんと礼儀正しく相手しないと意味がない。
俺は心の中で大きく深呼吸をして気持ちを整える。
「あはははは、すいませんリリーナ様。ほんの冗談です。エンターテイメントです」
「とてもそうは見えなかったけどね!!」
怒りの収まらないらしいリリーナが鋭い視線で睨んでくる。杖も手放そうとしない。
「ミルクは今すぐお持ちします、それまでにお気をお沈めください」
戦略的一時撤退をし、キッチンでミルクを用意してすぐに戻る。
「お待たせしました。正真正銘のミルクです」
さっきのことなどまるでなかったかのように笑顔で振る舞う俺に、怪訝な顔のリリーナ。
俺の態度が意味不明過ぎて狙いがわからないと顔だ。
「ふぁあ~。みんなおはよ~」
一通りリリーナいじりが終わった段階でミカが大きな欠伸をしながら居間にやってくる。
少しは羞恥心とかいうものがないのだろうか? アイリスやリリーナはともかく男の俺もいるんだぞ。
……うん。どうせ幼馴染とかいうあまりにも近い距離のせいで男に見られてないし、好きでもない男になら別にどう思われてもいいとかいうリアル女子の闇の部分だろうけどさ。エイトだったら全然違う反応するんだろうけどさ。
ちっ! これだからイケメンと面食い女子は嫌いなんだ! モテない男の子にも愛の手を!!
「おはようございますミカ様。失礼ですが髪が乱れてますよ」
内心では色々思っていても笑顔でミカを出迎える。
言葉にした通りミカの髪が乱れていたので櫛まで手渡してやった。
「うん、ありがとうユウマ。てか珍しく早起きだね。どしたのさ」
「いえ、たまにはこういう日があってもいいかと思いまして」
「ふーん、そっか」
さすがは長年の付き合いのミカだ。
俺がいつもと違う態度でいてもアイリスやリリーナみたいに動じない。受け取った櫛で髪を梳かしながらまるでいつも通りの対応を返してくる。手ごわいやつだ。
「……ミカ。あなた何も思わないの?」
「ん~? なにが?」
「ユウマの様子よ。明らかになにか企んでるじゃない。見なさいよ、あのまともそうな顔をした悪魔の顔を」
「あー、こういう時のユウマは利用できるうちに利用しておいた方がいいよ。あとでどんな目にあわされても後悔しないようにね。たまにいいことだけで終わることもあるけど」
うん。本当によくわかってる。嫌って程わかってる。妙に冷静なのも頷ける。
「前に似たようなことでもあったんですか?」
ミカの言葉を聞いてアイリスが当然の疑問を口にした。
ミカは使い終えた櫛を俺に渡してきてからソファーに座り込み、それからアイリスの質問に答える。
「いっぱいあるよ。なんかやたら色々してほしいこと聞いてきたからやってもらったら遠くの買い物たのまれたり、珍しく買い物付き合ってくれたと思ったら次の週にコミケに連れてかれて扱き使われたり、他にもいろいろあったよ」
俺の過去がいくつか暴露された。
でも確かに覚えがある。基本的に家を出たくないから遠出の買い物はミカに任せてたし、コミケを一人で戦うのは無謀に近いのでミカをお供として連れて行ったりした記憶が俺にもちゃんとある。
「あの時は大変だったな~。わけもわからないままメモだけ渡されて「それがお前の担当分な。お金はこれ、飲み物はこれ、このメモ通りに動いていけば間違いないから、じゃ」って言って私のこと一人置いてくんだもん」
はい、ばっちり記憶に残ってます。
ただミカはしっかりと自分の仕事をやり遂げてきたのだ。しかもしれっと自分の分の買い物までしてた。ちゃっかりしてる。
それに俺はまだマシな方だと思う。中には自分の言い分だけ通して相手の頼み事は聞かないとかいう鬼畜だっている。その点はちゃんと相手の頼み事も聞いている俺に勝利の旗が上がるはずだ。
「止めてくださいよミカ様。あの時は本当に申し訳ございませんでした」
「そう思うなら飲み物もってきてよ。ココアでいいから」
「畏まりました。少々お待ちください」
ミカからの注文を手早く済ませた俺はすぐにココアを持って居間に戻りミカに手渡す。
ミカはそれを嬉しそうに受け取り、早速口に含んで幸せそうに顔を歪ませた。
それからは三人ともゆったりとした朝の時間を過ごし、俺の作った朝食を取って、俺の様子が変なこと以外はいつも通りの朝を過ごしている。
そんな光景を目にしながら朝食の食器をまとめ終えた俺はキッチンに食器を洗いに行く。
「ユウマさん。私も手伝います。全部お任せしちゃうのはなんだか悪いので」
俺がキッチンに行こうとすると、天使アイリスがとことこと一緒に付いて来てくれようとする。
「大丈夫ですアイリス様。いつもはアイリス様に頼りきりになってますので今日はわたくしめにお任せください」
「ですが……」
「いいんです。たまにはアイリス様もゆっくりとした朝の時間をお過ごしになってください」
「……はい、わかりました」
俺の言葉にしょんぼりとした様子でアイリスがミカたちの元へ戻っていく。
辛い……。ほんとのことなんだけど辛い。もうやめたい。
でもまだ駄目だ。今日の目的を達成するまでは止められない。
こうして俺のちょっと変わった一日が始まった。




