資料の読み方について考えた話
いろんな人と話してて、ふらっと考えてツイッターでつぶやいてたことをこっちに掲載します。
コピペです、手抜きです。いえ、多少は雑感風にしております。
いや、みんなそうだろ! ツイッターで呟いた字数を考えてみろよ!!!
というわけで、字数も少ないですがご容赦を。
「資料、どう読みますか?」という疑問に立脚して話します。
個人的に思うのは「資料は数ではなく、体系的に処理すること」が大切なのではないか、ということ。一つの事柄を調べたって、仕方ない。周りのものを見極めて、繋げて考えていくのがいいんじゃないかな、と。
例えば江戸時代に和菓子が流行った理由、わかりますか?って聞かれて、パッと浮かぶのは「砂糖の流通」なんですけど、じゃあなんで砂糖が流通したの?という疑問が浮かぶ。
これについて、いくつか推論がありますが、この推論の数は一つの事柄の資料だけじゃわからんとです。
じゃあどうすればわかるの、と言われると、「教科書を読め」で済む。バカにされがちですが、教科書は時代のすべてが書いてあります。
そうすると、以下のことが読み取れるんですね。
・琉球王国との交流
・米価低迷による各地で特産品生産の動き
→瀬戸内海でのサトウキビ生産
・江戸の人口増加
→それに伴う商人、職人の移住
などが背景にある。(ちなみにこれ、東大合格者の考え方らしいです)
こういう風に考えていくと、あら不思議、当時の考え方や風俗までわかるではないか。
というのを積み重ねていくのが、資料の読み方なんだと思う。
まとめますと、何かを調べるときに、その背景や作者の思考、また他の事柄まで見ていって繋げていくことで見えてくるものがあるのでは、ということ。
必ずしも「正しい」必要はまったくない。むしろ、そうした誤読であったり、推理であったりが新たな創作の種を生み出すのかもしれない。
「こうも考えられる」は重要な創作要素ではないかな、と考えている。