自分がストーリーを考えているときの癖の話
連載をまったく書けない作家ことジョシュアであるが、プロットだけの作品や冒頭だけの作品はたくさんある。
保存先もあちこちでまったくまとまりがないが、そんな中で一つの癖を見つけた。
それは何も、体言止めを多用するなどの文体の癖ではないし、金髪キャラが必ずいるとか、そういうものではない。金髪キャラ好きだけど。大好きだけど。
まずはじめに、自分には憧れの作家というものがない。参考にする作家は数いるが、憧れとはまた違う。趣味でやっているというのもあるし、作家読みというものをしないのもある。だから、誰かに似ている文章や物語を書きたい、書いているという自覚はまったくない。
だからこそ、少し気になるところがあった。
前置きが長くなった。もう単刀直入に言ってしまおう。私の小説における癖とは「故郷を焼く展開がある」ことである。
焼く、というのは言い過ぎだが(と言っても、投稿した作品のうち二つは焼いている)故郷から離れる理由がネガティブであることが多いのだ。
多くは主人公、あるいはメインキャラに、その属性を持たせてしまっていると思う。
これには理由がある、はずだ。理由のない癖というのはない。腕を組む人間は〜という占いめいたものは好まないが、しかし大体は当たっている信じてしまう方でもある。そして、私はこの理由に心当たりがある。
私は物心がついたころに、引っ越しを経験している。父の都合でアメリカに渡ったのだ。
もちろん、それに不満はない。過去に不満に感じたことはあるが、それも今ではアメリカでの生活が貴重なものだと思えるようになっているから、むしろ自信の源にだってなっている。日本という国が駄目だという論者ではないが、多くの日本人が経験していないものを持っている日本人である、という意識は自分が行動する際に足を前へ進ませてくれるのだ。
しかし、そういう自信はあれど、故郷という感覚が薄いのは確かで、「帰る場所」への憧れがある。いま住んでいるところには長くいるが、やはり記憶的にも人間関係的にも、故郷とはなかなか呼べないところだ。私の故郷はいつまでも幼少の頃に数年間しか住んでいなかったあの地域であり、私の幼なじみと言えばその当時にずっと一緒にいた人たちである。連絡とってないけど。今でも、自分でもびっくりするくらい記憶に残っている。
ならば主人公に故郷を持たせれば……とも思うのだが、まったくと言っていいほどそんなものを持たせるつもりがないらしい、と過去に書き散らかしたものを眺めて苦笑を浮かべている。
これを自己投影とするのか、自己肯定とするのかはわからないが、故郷からネガティブな理由で離れた主人公が成長していく話と言われれば、どうも自分の姿を重ねてしまう。そんなに執着しているとは、やれやれである。これはますます、完結させてやらなければならないな。
しかしまあ、こういうことがわかるのが、芸術の特性なのかもしれない。心理テストでも、絵を描くときに多用する色でその人の傾向がわかったりするらしいし、今回見つけた、よく採用する展開にしたってとてもわかりやすい一端なのかもしれない。
自分の癖を分析すると嫌な気分になること請け合いだし、これ以上考えるよりもいろいろ書いた方が身のためだと思うのでこれくらいにしておく。しかし、たまたまこのエッセイを読んでしまった皆様も、自分の作品を面白いか面白くないか以外の視点から見てみれば、何か面白い発見があるだろう。
この書き散らかした文章であっても、皆様に新しい発見があれば幸いである。