ポケモンにハマっている話
ちょっと前までモンスターは狩るものでしたが、今ではすっかり育てるものになりました。
そうです、『ポケットモンスター』略してポケモンで遊んでいます。ネット上で知り合った方々とともに遊んでいるのですが、これが本当に楽しい。
いま、私は二十一歳。年齢はもう大人。が、まだまだ未熟で、子供心もある。
しかしそんな私が完璧に子供になっていると思うのがポケモンをやっているときだったりする。
ぶっちゃけてしまえば、個体値(ポケモンが持つ固有のステータス)だとか努力値(ポケモンの能力の伸び幅)だとか、理解はしていても好きにはなれない。そのポケモンが何を得意にしているか(これを種族値と言う)くらいは気にするけれども。高校生のとき、友人たちがポケモンをしてるというと数字の話題しかしてこないから嫌になったわけだし。
ただ、なんとなく、やっていて思うのは「自分のポケモンたちが一番強いと思って疑わない」こと。これは小学生のときに味わった感覚だった。負ければ自分が悪いのだ。だから一緒に強くなってまた挑む。
友人たちとやっているのは、冒険の最中に(ポケモンにはジムバッジを集めるという目的があり、私たちは通過点としてカウントしている)一度足を止めて、引き連れているポケモンで大会を開くなど、いわゆる企画なのだが、戦うために育てたわけではないポケモンというのが重要だ。戦うポケモンと、旅を共にするポケモンは別なのである。
私自身、ポケモンは昔からやっていたが、初心者であることは確かである。友人と通信したのは数年ぶりだし、ゲームもシリーズを経れば環境が変わる。浦島太郎の状態だ。
だが、それも相まってか、本当に楽しいのだ。未知の世界を歩くのはもちろん、共に冒険をする仲間を眺めて楽しければ、お互いの状況を報告し合うのも楽しいし、対戦するドキドキ感を楽しめば、お互いの感想を述べ合うのも楽しいのだ。
このことを違う友人に伝えたところ「うらやましい」という答えが返ってきた。「自分がポケモンをやるとき、殿堂入り(ゲームシナリオのクリア)をして、そのあとに如何に強いポケモンを育てるかが本番になってしまっている。強く育てるのであって、育てたから強い、と考えられるのが、羨ましい」と。ははあ、どうやらここに、私がかつて友人が語るポケモンから離れた理由がありそうだ。
これは、ゲーム全般に言えるのだけれど、シナリオや映像に依らない楽しさというものがあるべきだろ思う。ノベルゲーはまた違う楽しみ(CGや効果音での没入感であったり、ボリュームであったり)があるけれども。
それは爽快感だったり、達成感だったり、友人との共有であったり。Gameというのは「遊戯、試合」という英語の意味からして、そうしたものを楽しむものなのではないか。いくらグラフィックが良くとも、シナリオが良くとも、進めるのが億劫なのではしかたないように思う。スマッシュブラザース、モンスターハンター、最近ではSplatoonなどがヒットする理由は疑いなく爽快感、達成感、共有感なのだ。そうした中でRPGジャンルにおいて、ポケモンはその筆頭にあるのではないかと思う。
歳をとるごとに、いろんなものを純粋に楽しめなくなるなあと思いながらも、久しぶりにここまで純粋にゲームを楽しむことができて、ものすごく満足しているのである。
ちなみに。
毎週木曜日に放送されているアニメの現シリーズ(XY&Z)が、前シリーズ(XY)から続けてものすごく面白いです。