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アイデンティティシリーズ

アイデンティティクライシス2 祭りの余韻

作者: 雨夜かおる

 勢いで書いちゃいました……! 前作を読んでいなくても、内容はわかると思います!

 アイデンティティクライシスから一気に月日は駆け抜け、俺は三年生になっていた。『俺らしさ』なんてまだまだはっきりとは持てないが、それでも今日まで生きてきたし来年に大学生になるための準備をしている。


 あれから、アイデンティティについて考えてみたことがある。


 アイデンティティは集団に属して初めて顕現されるものであり、俺が古賀に『自分らしさ』を壊されてしまったのはつまり、俺には友と呼べる存在が少なかったせいなのかもしれないと。

 実際、友達の多いリア充は俺のように日々アイデンティティについて悶々と悩んだりしないだろう。

 ま、それを自覚したところで難しいけどな。

 だって、俺、ひねくれているし。



 あれだけ猛威を振るった夏はもう過ぎ去り、寒風と共に秋が訪れる。

 俺たちの学校は十月になると途端に忙しくなる。九月の最終週には体育祭があったし、そのすぐ後には定期試験があり、そしてそれが終われば文化祭がやってくる。行事が目白押しなのである。


「文化祭ねえ……」


 そう、文化祭だ。リア充の、リア充による、リア充のための文化祭だ。実際に開かれるのは十月の末なのに、文化祭実行委員は夏休みが終わると共に行動を開始し今日も今日とて何やら働いている。クラスでまともに交友している人間が少なすぎて、一体何をしていいのか分からない。みんな忙しいそうなのに俺は暇人って何事だ。いじめか、おい。

 まあ、それは全ての行事に当てはまるけどな。いつだって俺は、このクラスという集団の中で――学校という小さな社会の中で背景みたいな存在だ。誰も俺のことを気にも留めない。Twitterに載せられるクラスメイトの写真を見ると思わず自慢かよ、と携帯をぶん投げたい衝動に駆られる。


 だが、そんな考えとは逆に、仕方ないことだと理解しているつもりでもいる。今まで、クラスの打ち上げにはテキトーな理由をこじつけて切り抜けてきたし、普段の生活の中でもこちらから彼らを避けていた節もある。


 まあ、とにかく。何が言いたいのかをまとめると。


 つまんねえな、学校。








 さて、そろそろ真剣に取り組まなければならないな。クラスの中で希薄な存在たる俺だが、周囲からは真面目な印象を受けているし。それにしても、その評価って交流のない人を紹介するときの常套句ではないか?


「ねえねえ、黛ってどんなやつー?」

「え、う、う~ん……真面目な人だと思う! 多分!」


 こんな感じで。ちなみに、『真面目』を『優しい』に変換することも可。

 とまあ、こんな感じで頭の中で想像を膨らませて馬鹿なことでもしていないと仕事なんてやってられない。一人なんだし。


 俺が今やっているのは背景作りだ。絵具を使って教室っぽいシーンを描かなくてはならない。まったく、俺がどれだけ絵が下手くそか分かって押し付けたのだろうか。知らないんだろうなー。

 俺には手先の器用さというものが全くない。俺が釘とトンカチを持てば、トンカチが指に当たるどころか釘が指に刺さり、目の前にお手本がある状態で裁縫をやってみればトンチンカンな仕上がりになり、料理で包丁を持てば……やべえ思い出したくねえ。


「そんな俺が筆をとれば……」


 適度に水分を与えたつもりだったがどうやら過剰に含んでいたようで、画用紙がどんどん反り返っていく。色素も薄く絵具を多量に使用するがこの勢いだとすぐになくなるぞ……大丈夫なのか?


「お、何やってんの?」


 振り返ると、不敵な笑みを浮かべた憎めない友人――古賀の顔があった。


「みりゃ分かるだろ。絵を描いてんだよ」

「ふ~ん。なにこれ?」

「か、カーテン……」

「竜巻かと思った」


 ストレートに俺の心を切り刻んでいくなあ、おい!! 確かに離れてみたらそんな風に見えなくもないけどよ!!


「貸しなよ」


 古賀に筆を奪われ、俺はどかされることになった。

 そして、そこから俺の目を古賀の筆使いに釘づけになった。

 なんだ、これ。上手い。古賀が描き直すと俺の稚拙な絵が息を吹き返すかのように生まれ変わった。

 そういえば、古賀は美術クラスだった。


「よし、出来た。で、黛のクラスは何やるの?」

「ミュージカルと演劇の合わせ技」


 アメリカのコメディ番組のなんとかってやつをパクったらしい。まったく、俺は歌を歌うのが苦手だと言ったはずなのに。あ? 俺は音楽クラスだよ。


「出るの?」

「一応。一言だけど」


 クラスで地味なやつとしての地位を確立している俺だが、表面上はもちろん協力的な姿勢を演じる。それで放課後まで居残っていたところ、何故かセリフを与えられた。先生の転勤を伝えるだけというちょい役だが、ちゃんと演劇の練習にも参加しないといけないし――


「ふふっ、あーもう全く、面倒だなあ!」

「あ、そう」


 古賀は俺のテンションに付き合うことなく去っていこうとする。


「ちょ、ちょっと待て」

「面倒なら辞退すれば?」

「すいませんねえ、本当は嬉しくって浮かれてましたよ!!」


 だ、だって仕方ないだろう! この三年間、行事に関わっていくのはもしかしたらこれが最初で最後かもしれないのだから。ちょっと楽しみなんだってば。


「まあ、よかったんじゃない? 見に行ってやるよ」

「古賀のところは何やるの?」

「劇。白雪姫」

「いまどき!?」


 現実世界で白雪姫をチョイスするやつとかいたの!? 確かそれってフィクションの中で主人公とヒロインが合法的にキスするために選ばれるやつじゃないの!?

 まさか!?


「まさか、キスシーンがあるのか!?」

「いや、まだそこまでは決まってないけど」


 今度こそ、古賀は去ってしまった。まだ会話の途中だったのに、と不満を漏らすところかもしれないがこれが古賀なのだ。去年、クラスメイトとして一緒に過ごしたせいかやつとの付き合い方が分かってきた。

 とりあえず、今は古賀の描いたこれをお手本に作業に戻らなくては……!


 この後滅茶苦茶失敗した。







 そして土日に文化祭を控えた火曜日。残り時間は少ない……はずなのだが。


「なんで劇の練習に参加出来ない……!!」


 そう。これまでやってきたのは主要メンバーの演技指導だけ。残りの脇役たちは劇に使う小道具の制作に勤しんでいる。くっそ、楽しみにしていた分、この仕打ちはひどい。一気にテンションが下がってしまったので不貞寝でもしてやろうか。


「はーい、聞いてくださーい!」


 ぴくり、と俺の体がその声に反応してしまった。ゆっくり顔を上げると教壇にその声の主は立っていた。

 いつ見ても艶やかで綺麗な髪。愛嬌のある小さな顔立ち。そんな彼女の言葉が続く。


「今日は最後まで演劇を通してしまいたいと思いまーす。失敗しちゃってもいいので最後までやりますっ」


 散り散りになっていたクラスメイトたちは彼女の言葉に従い、演劇の準備に取り掛かり始めた。俺は机に突っ伏したままで彼女のことをじっと見つめる。

 紺野さんは演劇部としての経験を生かし俺たちの指導に精を出している。


 いやあ、もう、なんだ、本当に可愛い。


 もし、この学校で誰が一番可愛いかと問われたら、真っ先にこの人の名を挙げる。顔の造形とかももちろん好みだが、それ以上にクラス内での立ち位置が素晴らしい。イケイケな男女とつるむのではなく、むしろどちらかと言えば地味な女子と行動を共にしていることが多い。それでいて彼女はしっかり自分を持って今を生きている。どうにかしてお近づきになりたい女子だった。


「あの人から厳しいレッスン受けてぇー」


 ビシバシとキツイやつをお願いしたい――とこんなことをしている暇はないのだった。俺も早く行かなくては。




 ……まあ、こんなものだろう。

 俺たちがやる劇の内容は、学園モノである。学校から浮いた存在である五人の生徒が音楽部のようなものを作り、周囲を巻き込んで大会とかに出たりして青春する……と正直俺の趣味ではない物語だが、自分の演技に関して文句はない。


「てかさー、さっきの黛面白くねー?」

「そうそう、普段のギャップとかがさー」

「ウケるわ~」


 当たり前だ。こっちは普段学校で素の部分をさらけ出せないことを反動に感情を発散させているのだから。お前らのザルみたいな演技と一緒にしないでもらいたい。

 ちょっとした優越感に浸りながら、適当にクラスメイトには相槌を打って受け流す。


「じゃあ、今日のところはこれでいい?」


 担任が、紺野さんに代わってクラスを締めようとするが俺はそれに待ったをかける。俺が所属している風紀委員会から連絡があったことを思い出したのだ。ゴミ出しが出来る時間帯が決められているのでそれを伝えた。別に大した知らせではないし、俺もこれで終わるものだと思っていた。なのに――


「うーん……相変わらず黛はいい声をしているねえ」

「ん? どうも」


 自分自身で聞く声と、他人が聞く声は、頭蓋骨の振動で違っているために録音などをしなければ実際に聞くことは出来ないが、どうやら俺の声はかっこいい……らしい。低いのが良いだとか。確かに声変わりをしてから、そういうことは度々言われていた。


「PRも黛にやってもらうかー」


 担任の何気ない一言に、俺は思わず立ち上がる。PRというのは開会式に行われるクラス企画の宣伝のようなもので、一クラスにつき五人ほどが壇上に上がり十五秒でかわるがわるアピールをしていくのだ。もちろん、そういうのはクラスでのカーストが高いやつの仕事なので今まで俺には無縁だったのだが……。


「あー、いいんじゃね?」

「やっべ、ちょっと面白そう」

「黛、声だけはイケメンだからな」


 おい、最後のやつ。表に出ろ。

 ……と言う余裕はない。クラスメイト全員の視線に晒され、それどころではなくなったからだ。みんなに見られているのが嫌で、俺は早口に捲し立てた。


「やるっ、やります!」


 高校生になってから、初めて壇上に上がることが決定した瞬間である。









 下校時間まで演劇の練習をした後、俺は元バドミントン部部長のユウと共にバス停にいた。春に部活を引退して以降、俺たちは現役時代ほど一緒に過ごす時間を持たなかった。今日は、たまたま帰りの時間が重なってしまったというだけ。俺たち二人の間に沈黙だけがあった。

 ……別に、俺はユウのことが嫌いじゃない。それどころか、一番親しい友だと思っている。冗談抜きで。上手くは言えないが……とにかくこいつの前だとリラックス出来て、素の自分でいられる。ユウが俺のことをどう思っているかは……嫌われてなければいいかな。


「ねえ、黛」

「なに」


 ユウが俺の顔を見ないままに言う。


「あの……ごめん」

「な、何が」


 唐突にマジトーンで呟かれてしまったのでびっくりした。なんだ急に。


「引退試合の時の……あれが……」

「どれだけ昔のことを気にしてるんだ……」


 もう半年くらい前の話になるのではないか? 

 俺たちの最後の試合……、それに俺は出なかった。ベンチに座って成り行きを見守りユウたちは一回戦でストレート負けをした。最後にしてはあっけないものだったことは否定しない。俺もコートに立ちたかったという想いもある。


 だけど、もうそんな想いもバドミントンから離れたことで俺の胸の中に封印されたし、きっとその感情が起き上がってくることはもうない。


「もう終わったことだ。いつまでも気にするな」

「うん……」


 納得した様子はない。

 ユウはなんでもかんでも自分の中に溜め込み過ぎだ。現役時代も俺たち全員が納得できる部活の形を模索しずっと苦しみ続けた。後輩が問題を起こせばなんとかするのは部長であるユウの責任だったし、名ばかりの顧問の圧力にも耐えてきた。

 こんな不器用でどうしようもない友人に、責める部分は何一つとしてない。

 ただし不器用でどうしようもないのは俺も同じで、この友人にかける言葉をちっとも持ち合わせてはいなかった。






 駅でユウと別れ、中央線に乗り込む。部活の話をしてしまったせいで当時のメンバーたちのことを思い出した。俺は空いている席に座って考え込む。

 俺に引け目を感じている様子のユウだが他の部員たちからの信頼は厚い。休み時間にバスケやバレーをするし、休日には遊びにも出かけているはずだ。


 俺には誰もいないけどな。


 別にそのことをひがむ感情はない。いや、全くないわけではないけれど当然の結果だと思っている。俺は周りとそういう付き合い方をしてきたのだから。

 俺は俺の価値観を貫いている。そこに合わない人間とは交わらないし関わりを遠ざける。そんな風にしていたから、ダブルスのペアのやつとは仲がちっとも深まらずに結果として負けてレギュラーから外されたのだろう。

 この生き方のせいで、大好きだったスポーツを楽しみ抜けなかったと思うと残念で仕方ない。

 だからって……間違いに気づいたからといって、簡単に軌道修正が出来るほど人の生き方は簡単じゃないのだ。でなければこんな苦しい生き方は――


「黛くん?」


 聞き覚えのある声にはっとなる。顔を上げると紺野さんが手に台本を持った状態で立っていた。彼女も中央線を利用しているのは知っていたが、電車の中で会話をしたことは一度もない。

 ……というか、まともに喋ったこと自体がないような。


「隣に座ってもいいかな?」

「うん、どうぞ」


 人ひとりが充分に座れるように壁側に寄ってスペースを作る。そして隣に紺野さんが収まった。


 ………。


 やばいな、これは。すっげえ緊張してきた。憧れの女子が今、こんなに近くにいる。さっきまで自虐もどこかに吹っ飛んでしまった。


「今日はお疲れ様でした、黛くん」

「あ、いや……そちらこそお疲れ様」


 くそぅ。上手く話せずにオウム返しになってしまった。というか、何で急に話しかけてきたんだ紺野さんは。


「今日の演技、とってもよかったよ」


 そう言って、紺野さんがこちらに笑いかける。

 うおおっ!! やばい!! 近くで見てると超可愛い!! っていうか褒められた!!

 ちょっとテンションがアレな方向に暴走し始めてしまったので深呼吸で冷静さを取り戻す。


「それにPRにも出るでしょ? すごいよ~」

「そ、そう……? 紺野さんの方がすごいと思うけど……」

「えへへ、そうかな~?」


 それから俺たちは紺野さんが電車から降りるまでずっと他愛ない話をしていた……。










「……というわけなんだよ」


 その夜、俺は電話の相手に今日あったことの一部始終を伝えた。最近ではよく冷え込むので毛布の中にくるまりながら暖をとる。俺の話が終わると電話の主は不機嫌そうに、


『へえー。ふーん。あっそ』

「どうした」

『べ・つ・に!!』


 一文字ずつ区切って、怒りを表してくる。

 中学時代の同級生、ミキだ。高校に入ってから疎遠になっていたのだがアイデンティティ騒動以後、味を占めたかのように度々電話がかかってくる。まあ、あの一件のことはこちらも少なからず感謝していなくもないので、無下には出来ないのだ。


 それにしても……『今日は何かあったー?』などと聞くから懇切丁寧に、つぶさに、わかりやすく俺の感情まで含めて話したのに何故キレる……理不尽だ。


『好きなの……?』

「なにが?」

『だ、だから……その、紺野さんって人……』


 消え入りそうな声でぼそぼそと呟くミキ。なんとなく、こいつが部屋で体育座りをしている図が頭に浮かんだ。俺は溜息をついた。


「いや、別に。そんな風には考えてないけど」

『へっ?』

「なんだよ、その反応。まあ確かに可愛いけど、それと付き合いたいかどうかは別だし。っていうか、あの人多分彼氏いるぞ」


 誠に残念ながら。ちょいちょい紺野さんとよく一緒に男子がいるのだ。そういう存在がいるにも関わらず、紺野さんにこんなに不躾な視線を向けているわけなのだ。


「ぐえっへっへ」

『な、なんか怖いよマユちゃん……』


 マユちゃん言うな。誰だそいつ。


「そっか……そうなんだ……ふふっ」


 どこか嬉しそうに……というか、これは完全に喜んでいるな。こういうところからこいつの想いがひしひしと伝わってくるのはいつものことだが……こいつはやはり、そういう風には見れない。


『文化祭、行くよ。いい?』

「いいもわるいも、俺が許可することじゃないだろ。好きにしなよ」

『うん、そうするね』


 ところでミキはちゃんと高校で友達を作れているのだろうか。ふとそんな心配が頭の中をよぎった。文化祭は二日間あるが、演劇のシフトが入っているため今年はちっとも自由な時間はない。しっかり時間をとってミキに会うことは無理かもしれない。


 ……どうにかしておこう。








「ねえみんな聞いて! 先生が来月転勤になるんだって!」


 裏から飛び出し、役者を突き飛ばす。紺野さんから指導通り、表に出てきたら視線は下ではなく前へ。体も観客の方に向ける。観客といっても、今は直接劇には出ないクラスメイトしかいないのだがこれでも少しは緊張する。しかし、この場面ではもう俺のセリフはないので、これでオーケーだ。


「それ、マジ!?」

「マジ!!」


 アドリブでなんとなくそう返してみると、何故か笑われた。本番は笑うなよ?

 さて、本当ならこれで俺の役目自体が終わったはずなのだが……追加のセリフだ。

 今の俺のセリフで、音楽部全体の士気が高まったという(てい)になっている。部員たちは最後の大会で会心の出来である演奏をして優勝……ここまでは前回と一緒だ。問題はこの先だ。


「先生、今までありがとうございました。転勤先でも頑張ってください」


 今回の主役の女子のセリフだ。


「転勤って何のことだ?」


 さあ、ここで俺の名演技を見せてやる! 先生役がそのセリフを言ったら、転勤するなどとのたまってしまった俺は動揺しなければならない。一番端に位置している俺はわざとらしく腕を組み視線をせわしなく泳がせる。やがて、一体誰がそんな噂を流したのかという話になりみんなが顔を見合わせ――


『黛!!』


 クラスメイト全体から非難を受け、中央に俺は突き飛ばされる。


「お、俺ぇ!?」


 そしてそのままエンディングへ。

 これが、俺たちの劇だ。音楽部を騒がせてしまった俺が糾弾され、俺の叫びで締めくくられるのだが。


 これ超難しい!! 普段叫んだりしないからちゃんと声が張れているのか全然わからねえし、ラストを飾るにしては適役ではなさすぎる!! 何よりインパクトが弱い気がする。これで本当に大丈夫なのか?


 クラスの中でも比較的話しやすい――今回は照明を担当している――のところまで行き、さっきの感想をもらう。


「どうだった?」

「何が?」

「さっきの劇。というか、俺について。何か変なところとかなかったか?」

「え? ……いいと思うよー」


 ええぇ……。そういうのが一番困るんですけど。もっと具体的なことを聞きたいのに。

 仕方ないので、紺野さんに聞いてみよう。うん、別にこれでお近づきになろうとか打算的なことではなく! あくまでひとりの配役として!


 と、思ったのだが紺野さんは主役たちの個人レッスンで忙しそうだ……。俺は一人で考えることにした。

 その後、連続で二回ほど劇を通したが、俺の登場シーンの修正は一切入らなかった。他のところには色々と指導が入ったのに……俺の出るところはどうでもいいのか? 回数を重ねるほどにやる気をなくしていき、仕舞いには俺の自信やモチベーションは喪失してしまっていた。この演劇はつまらない。叩かれてしまえばいい。

 俺が投げやりになったのは文化祭前日のことだった。








 いきなりで申し訳ないが、俺はライトノベルが好きだ。『小説家になろう』というサイトで小説を探し、ひたすら名作を漁るのも趣味のひとつだ。

 なぜいきなりこんなことを言い出したのかというと、昔読んだライトノベルの話を思い出したからだ。

 シチュエーションの話をすると長くなってしまうので簡潔に説明するが……語り手である男子生徒はクラス委員長に好意を寄せていて、しかしクラスの連中のことはあまり好きではなかった。委員長は主人公に「このクラスは嫌いですか?」と質問をした。そのとき彼は「楽しい」と答えたのだが、その心情はこうだった。


 好きな人が頑張ってまとめているクラスを、本気で否定は出来ない。


 全てを諦めかけた俺はそのセリフを思い出し、踏み止まった。別に紺野さんのことを恋愛的に好きだなんてこれっぽっちもないけれど、上に立つ人間やまとめ役特有の苦悩を俺は知っているつもりではいる。ずっと間近でユウを見ていて感じたことだ。

 だったらやるしかない。俺ひとりくらいがそう思ったところで大きな変化は望めないだろうが、あとは二日なんだ。ここで全て無駄にしてしまうのは、惜しい。


 やっぱ小説は、最高だぜ!





 ってなわけで当日。

 盛り上がってきたところ悪いのだが、俺は重要なことを見落としていた。


「PRどうしよう!?」


 っていうかこれは別に俺が悪いわけではないと思う! 忘れていたみんなが悪い! ……と言っている暇すらない。すぐに打ち合わせが行われた。結果、劇中に登場しているアイドルグループが踊っている隣で、俺が「ねえみんな聞いて!!」と注意を引き、宣伝……という形になった。

 別段、語ることもないので割愛させてもらうが、意外と緊張はしなかった。がなって聞き取りづらいなんてことも起こらなかったし。そんなことよりも劇の行く末の方が心配だった……。



 予定している公演は全部で五回。今日三回、残りは明日。一回につき約四十分かかる劇だが、毎回十分前行動を心がけるように言われてしまったので、さらに時間が削られる。今年は歩き回るのは無理かなあ……ユウのクラスも劇をやっているらしいので、是非見ておきたかったのだが。


 校内放送で、文化祭の開催がアナウンスされた。これを合図に正門に並んでいたお客さんが入ってくるはずだ。ほとんどはこの学校の生徒のご家族だが、他の客層としてはこの学校の卒業生たちや別の学校の友人、来年ここに受験しようとしている中学生が挙げられる。俺も中学生のときにここの文化祭を見にきた。

 俺たちの劇はもうすぐだ。



「お、終わった……」


 初めての演劇は、まずまずの滑り出しだっただろう。クラスメイト以外の見ず知らずの人たちで観客席を埋め尽くされたときには、みんな顔が強張っていたのだがそれにしては上出来だ。ちなみに俺は図太いので緊張とかあんまりしないっす。

 監督をしていた紺野さんも、上出来だと褒めてくれた。反省会を開いて個別で指導に残る人もいたが、俺には呼び出しがかからなかったのでクラスの野球部と屋台を回った。


 屋台は俺たち生徒が運営しているものではなく、学校側が手配したものだ。今年のメインはケバブだったのでそれを食べた。これで五百円とか割りに合わねえ……。だいたい俺、こういうジャンクフードは好きじゃねえんだよ……。じゃあなんで食ってるんだって話だな。

 その後はうちの高校自慢の吹奏楽部の演奏とか見に行ったりして、次の公演があったためにクラスへと戻った。








「う~ん……疲れているのは分かるけど、クオリティは今のを最低にしてね?」


 一日目の最終公演を終えてからの紺野さんがみんなに対して言った言葉がそれだ。確かに今しがた終えた劇は、歌声が全然響いていなかった。しかし疲れ切っているところに同級生から今のように言われるのは、いい気分ではないだろう。流石の俺でも、二つ返事で「紺野さんのためなら!」などとは言えない。

 出演者は舞台裏でスタンバイしており、俺は最後の方にしか登場しないため他の出演者の様子をずっと観察していたが、みんな疲労のせいか苛々していた。無理もない。公演の間隔が短い上に歌って踊るのだから喉も痛くなってくる。これを明日もやらなければならないのか……。


「でも、ここでいいニュースもあるよ。なんと! 現在人気投票二位です!」


 な、マジで……? 俺は言葉を失った。

 俺たちの高校では来場者の方々に一枚ずつシールを配っている。学校から出るときに一番気に入った企画にそのシールを貼ってもらい、その数を集計し一位だったクラスは閉会式のときに表彰されるのだ。俺自身、客観的にはこの劇はつまらないと思っていたところに、これは意外であると同時に朗報でもあった。

 下を向いていたクラスメイトに活力が戻ってきた。

 ただ、次に紺野さんが提案してきたことは、俺の予想の斜め上だった。


「というわけで、公演の回数を一回増やすよー! 優勝目指して!」


 じょ、冗談じゃない。人気投票でいいところまで来ていること自体は嬉しいが、だからといって無理して優勝など狙う気などさらさらない。俺だって疲れは溜まっているし、何より明日は風紀委員の仕事があるのだ。そこにさらに演劇をプラスだと? ふざけるなよ。


 当然、みんなは反対すると思っていた。いきなりそんな予定をぶちこめば、何か不都合が生じる生徒は必ずいるはずだった。

 だが、みんなは周りのクラスメイトたちの顔色を窺い、表立って異議を唱える者はいなかった。せっかく掴んだ優勝への可能性……それを捨てることに躊躇っているのだ。こ、こいつら……仮に一回分プラスしたとしても優勝が確実になるわけじゃないんだぞ……!


「はい! 俺、明日は風紀委員の仕事があるんで、もしかしたら出られないかも!」


 こうなったら俺が、この流れを止めてやる!


「風紀委員? それって時間帯は?」

「十二時ちょうどから午後一時まで! 俺の他にも三人抜けるし、やっぱり三回は厳しいんじゃない?」


 俺の言葉に、他の風紀委員がちらほらと手を挙げる。紺野さんは一人ずつ一瞥し、隣に立っていたクラス委員長と何やら話し始めた。そして、結論が出たのか、俺の方へ向き直ると、


「問題ないみたいだね」

「……は?」

「照明が一人、音響が一人、ナレーターが一人。どれも、すぐに代役が立てられます。黛君も登場してくるのは最後の方だから、一時から始めれば何も心配ないね」


 いやいやいや、ちょっと待てよ。

 俺はスマートフォンを取り出し、クラスLINEに貼られたスケジュールを確認する。明日の最初の劇は十一時から。そこから風紀委員、一時、二時って……なんだこれは!? 忙しすぎて、飯を食う暇すらないじゃないか!! 


 だが今更クラス全体の決定を覆すことなど出来ず、その日はそれで解散となった……。



「あ゛あ゛……」


 文化祭二日目。朝起きてみると、喉がガラガラになっていた。昨日、帰ってからすぐに布団に飛び込んで睡魔に身を預けたが気怠さが体から抜け切らない。モチベーションの低下もやばい。こんなときに役に立つライトノベルの名台詞は……特に思いつかないな。


 朝飯を済ませ、外に出ると冷たい突風が吹いた。最近ぐっと寒くなってきた。体調の悪さも相まって気分は最悪だ。

 おいおい、やっぱ今日のスケジュールどう考えてもおかしいだろ……。そもそも、全ての公演に同一人物が出るというのが間違っている。他のクラスは時間帯によって代役があるのに……。

 学校に到着すると、何人かがだめになっていた装飾の直しをしていて、俺もそれに加わることになった。

 文化祭が十時に開始。十一時の公演まで束の間の休息なのだが、どうしよう?


「先輩! 黛先輩!」

「ん?」


 前方から誰かが駆けてくる。見ると、それはバドミントン部の後輩の女子だ。手にチラシを持っている。


「おお、久しぶり。元気だった?」

「はい! 先輩の劇見ましたよ! 面白かったです!」

「ほんと!? ありがとう!」

「先輩、もし暇でしたらうちのクラスの劇もよろしくお願いします!」


 手渡されたチラシには、その後輩のクラスの劇が紹介されていたのだが……これ、知ってる! PRのときのことを俺は覚えていたのだ。少し前に大流行したアナと雪の女王を題材にした劇だ。


「これ、いつからやってる?」

「すぐに始まりますよー、お早く!」


 丁度いい。今から始まるのなら、時間的にも問題ないだろう。後輩と別れ、そのクラスを目指すが……おい、このチラシ、何組なのか書いてねえじゃねえか! これじゃせっかく行く気になってもたどり着けないじゃん! 俺は手当たり次第二年生の教室を回り、ようやく見つけることが出来た。


 客入りはまずまず……と言ったところか。装飾は……あ、ちょっとあそこらへん手抜きだな。あれ、舞台裏ってもんがなくね? 出演者見えてますよ?

 ……い、いかん。俺のクラスも劇をやっているせいか、細かいところに目が行ってしまう。普通に楽しむのが目的なのに……。

 後輩たちの劇は、他の昔話とミックスされており、中々楽しめた。まあ、俺はアナ雪を見てなかったから誰が誰だかわからなかったけどな。

 さて、戻るか。


 十一時からの公演が終わった瞬間、俺はダッシュで教員室に向かった。風紀委員としての仕事が始まる。担当の教諭からの説明によると、俺の仕事は校内を巡回してゴミ箱の整理を行うことと、それが終われば中庭に行って来場者を食事エリアに案内するのだ。教員室を出る際、風紀委員の腕章をもらった。

 うおお!! なんかかっこいい!! 写真撮りたい!!

 この時のテンションが異常に高かったことを俺は覚えているのだが、どうやら空元気だったようである。


「だ、だるい……暑いよ……腹減った……」


 校内巡回が終わってみればその後は看板を持って突っ立っているだけでいいので楽といえば楽なのだが、これが終わった瞬間にすぐ教室に戻らなければならない。っていうか、自分で聞いてもひどい声だな……掠れている。あと、周りがみんな食事中のせいか空腹感が半端ではない。ちょっと視線をさまよわせていると、


「ん」


 いきなり真横にクレープが現れた。視線をそちらに向けると、まず目に入ったのは濃淡のある茶髪だった。以前は暗かったためよく見えなかったが、昼間だとこんなに明るい色だったのか。そしてその本人はぶっきらぼうに唇を尖らせている。


「やっと見つけた」

「ミキ……」


 そういえば、というか完全に忘れていた。確かに来ることを知っていたはずなのだが、忙しすぎてミキの存在は頭の片隅に追いやられていた。


「まったくもう……さっきの劇が終わったらすぐに声をかけようと思ったのに。そしたら急いでどっか行っちゃうし――」


 ぶつぶつと文句を言い始めたミキだったが思う存分ストレスを発散すると、今度は急に俺を案じるかのように眉を寄せて、


「大丈夫?」


 なんて言ってきやがった。

 や、やべえ……ミキのくせに……疲れて弱っているからかミキの優しさが身に染みてくる。こういうところがちょっとうざいとさえ思っていたのに、状況が変わるとこんなにも違うのか……!

 なんか恥ずかしくなってきた。


「マユちゃん?」

「べ、別に平気……っていうのはちょっと嘘だな。この仕事が終わったらまた劇のシフトがほぼ二連続で入っているし、おかげで昼飯を食べる余裕がない」


 顔を見ていられない上に、早口になってしまった。動揺しすぎだろ……。


「食べさせてあげる」


 クレープが俺の目の前に押し付けられる。看板は片手では支えられないのでこういう形になってしまうのは必然なのだが……お前、さもこれが最善の選択ですと言わんばかりに嬉々とした顔をするのはやめろ! 何でちょっと楽しそうなんだよ!


 だが結局のところ、食べたいという欲求には勝てない。仕方なくクレープの咀嚼にかかる。生クリームの感触を舌で味わい、次にバナナの甘味が押し寄せてきた。

 と、そこで俺は今更だがあることに気が付く。


「これ……食べかけだな」

「え!? あ、うーん、そうだけど、でも別にそんなの関係ないよね!?」


 ……じゃあ俺の歯型のついた部分をちらちら見るの止めてくれないかな。すごく挙動不審なんだが。


「あ、そういえばマユちゃん、ここで何してるの!?」

「……風紀委員の仕事だよ。見ろ、これ」


 無理矢理に話題を変えてきたミキに呆れつつ、左腕の腕章を見せつける。するとミキは目を輝かせた。


「風紀委員!? マユちゃんが!? すごい、かっこいい、雲雀さんみたい!! 写真とってもいい!?」


 あー、うん。お前、雲雀さん好きだもんな。ってか写真なあ……ミキと二人で映るとかひょっとしたら初めてなんじゃないか? スマフォのカメラ機能をインにして画面内に俺たち二人の顔が収まるように近づく。そして切られるシャッター。


「……うん! ばっちり撮れてる」


 ミキが大切そうにスマフォをしまったところで、何人かの女子高生たちがやってきた。知らない顔ばかりだから、高校に入ってからの友人だろう。俺もだけど、ミキも随分なコミュ障だったから気掛かりだったが……大丈夫そうだ。


「じゃあね、マユちゃん。劇、とってもよかった」


 離れていくミキたちの背中は、見えなくなるまでずっと見続けた。不覚にも、一秒でも長くあいつの姿を見ておきたかったんだ。



 交代の風紀委員が遅れてきた関係で、俺は観客を掻き分けながら舞台裏まで行く破目になった。だが、紺野さんの予想通り俺が出るのはまだまだ先のことで問題なく劇は進行した。そしてその劇も終わり、次がいよいよラストだ。

 間隔が短いが、あと十分ほどでもう始まってしまう。よって集客活動は凄まじいものだった。


「ラスト公演でーす、見ていってくださーい!」

「大人気!! 人気投票一位でーす!!」

「場所はこの通路の一番奥の教室です! ぜひ!」


 手当たり次第に声をかけていくクラスメイト。俺もトイレに行くついでになるべく多くの人に声をかけた。中には以前クラスメイトだったやつもいて、そいつに関しては問答無用で教室に連れていった。


「げっ!?」


 俺がそんな声を上げてしまったのは、とんでもないものを見てしまったからだ。なんと、俺の家族が、普段面倒くさがって外に出たがらない父親まで全員揃って今目の前にいる。


「ちょっ、ちょっと!」


 俺は母さんに声をかける。その手にはビデオカメラまであった。


「アンタのクラスの劇はここでいいの?」

「そうだけど……」

「頑張りなさいよ~、せっかく来たんだから」


 ま、マジかよ……親に見られてるとか、超やりづらいじゃねえか。


「あ、黛!」


 家族を誘導していったのも束の間、また誰かに声をかけられた。が、俺はその人を見て佇まいビシッと直した。


「ぶ、部長!?」


 ユウが部長になるまで、バドミントン部を支えてきた人だ。例年、男子が選ばれていたのだが女子であるこの人が部長になったということは、それだけの意味があったはずだ。部長の後ろには、春にこの学校を卒業していった先輩たちの姿があった。


「うおお、先輩方!! お久しぶりです!」


 ちょっとテンションが上がってしまい、俺はとにかく先輩たちと写真を撮りまくった。その際、ちゃんと宣伝することも忘れなかった。


 そんなこんなでの集客の結果、観客は今までで一番多かった。最後を締めくくるには最高のシチュエーションだ。挙句の果てには校長まで来てしまい、後から来たというのにVIP待遇で一番前の席まで誘導されていた。

 数をこなしてきて慣れてきたはずなのだが、何故か今回は緊張している。だが、これで最後なのだと言い聞かせてなんとか緊張をほぐそうとしたのだが、その時俺の中に新たな感情が芽生えた。


 終わってほしくない、と。


 ありえない。この俺が? 学校行事どころか、他人と接することさえ消極的だったはずなのに。それなのに、俺はこの状況を楽しんでしまっている。なんだこれ……。


「黛くん」


 クラスメイトに話しかけられ、俺はびくっと肩を震わせた。


「な、なに?」

「黛くん、喉の調子が悪いみたいだったから……アメ舐める?」

「あ、ありがとう……」


 素直に受け取ると、クラスメイトは満足げに頷いた。


「すごいお客さんだねー、でも最後だよ! 頑張ろう!」

「お、おう」


 なんなんだ。

 どうして俺は今、嬉しいなんて思った。単純すぎるだろ……。今まで心の中では蔑んで、見下していたのに、ちょっと一緒に何かをやったってだけで、どうしてこんなにも――


 心が震えるんだ――?








「三年F組の公演に来てくださり、ありがとうございます。お客様にお願いがございます。劇中、出演者がソロで歌うシーンがございますが、そこで手拍子をしてしまうとせっかく歌声が聞こえません――」


 紺野さんの声だ。劇が始まると毎度の如くこのセリフを言っている。さすが、演劇部といったところなのか。この時の紺野さんは今までのどんな場面よりもよく通る声で喋る。俺たちの指導をするときでさえこうはらならい。


「それでは、お楽しみください」


 紺野さんの演説が終わる。

 いよいよ始まるのだ。今までこんな感情はなかったけれど……、本気でお客さんには楽しんでいってほしい。そのために見せつけてやるのだ。

 俺たちの最高の姿を。





 後日、学校の食堂にて。

 俺は古賀と一緒に飯を食っていた。


「F組の劇、見たよ。『お、俺ぇ!?』」

「しつこいな。あそこは声出さなきゃいけないんだよ……。俺はそっちの劇見れなかったわ、悪い……」

「いや、別にいいけど」


 古賀が、ラーメンのスープをすする。俺が食べているのはご飯にピリ辛のから揚げを乗せて温泉卵で仕上げた新メニューだ。美味すぎて箸が勝手に動く。

 文化祭が終わってから一週間もたっていない。今日のF組は……というかどこのクラスでもそうだと思うけど、全員、満身創痍と表現したくなる有様だ。あれだけハードな文化祭だったのに振替はたったの一日。休み明けから通常通りの授業だが体がついていかず、今日はみんな居眠りをしていた。中にはその貴重な休みを使って千葉のくせに東京を謳うランドに行くやつらもいた。そいつらに関しては同情の余地がない。


「あ、てか優勝おめでとう」

「おう、さんきゅー」


 あっさりとしたネタばらしだが、俺たちは人気投票でめでたく一位をもぎ取り、優勝することが出来た。あれだけ頑張ったのだからこれくらいの見返りはないとやってられない。そして先生たちは口を揃えて「泣きそうになった」などと言うのだが……客観的に見れない分、いまいちよく分からない。帰ったら撮ってもらったビデオを見よう。

 最後のから揚げを押し込む。


「いやー、今回の文化祭は楽しかったわ。思わずつぶやいちまった」

「陰キャラの割には珍しくスポットライトが当たってたしな」


 ほんと、単純な話だと思う。結局、自分にそういう役回りが来なかったから拗ねていただけなんだと気付かされた。情けなく、みっともない。


「これからは頑張って友達を大切にしようかなー」

「やめておけ。そんな風に思うのは今だけだ。すぐに消えてなくなるよ」

「そうかな? そんなことないと思うけど――」


「黛~!」


 と、そこでクラスメイトに声をかけられた。今まで交流のなかった男子だ。


「たまには俺たちと一緒に食わないか?」

「ありがとう。そのうち一緒に食おう」

「おう、待ってるぜ」


 特に嫌な顔も見せず、男子生徒が去っていく。俺は古賀にドヤ顔を作る。


「この通り。あれから俺はクラスメイトに話しかけられるようになりましたとさ」

「そのうざい顔を今すぐひっこめろ」


 結構、辛辣な言葉だ。だけど今だけは全然気にならない。俺は古賀が食べ終わるのを待っていると後ろに気になるものが見えた。


「うちにあんなのあったっけ」

「ん? ……ああ」


 麺を飲みこみ、古賀もそちらに顔を向ける。俺たちが見ているのはソフトクリームだ。文化祭で売られていたうずまき状のアイスで、今まであんなものなかったはずだが……。


「それ食い終わったら、あれも買いにいかない?」

「……まあ、いいよ」


 俺はまだ、文化祭の余韻に浸っていたかった。


 今年は楽しかったな……。

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