竹刀
溜息が出る。
静かな夜。遠くかなたの駅の方では未だにサイレンの音が鳴り響いている。真っ黒に染まる夜空は駅側の方がサイレンのライトで赤くなっている。今でも爆発物を仕掛けた犯人を追って包囲網を張り検問で犯人への手掛かりを探している。
そんな多くの警察官や刑事たちが奮闘する中、自分はこんなところで何をやっているのだろう。シェアハウスの庭に面する縁側に座りただそんな町の様子を眺めている。あのまま、普通にシェアハウスに帰ってきて上着を共同のリビングに投げ捨ててボーっと夜空を見上げる。抜け殻のように。
「・・・・・山下さんどうしたんですか?」
「知らない」
背後でそんなことをぼそぼそと榎宮さんとひよこくんが言っているのを聞こえているが右から左に流れている。彼らが自分のことを一応刑事と言い出した。それを自分は否定し続けた。全力で。それは刑事であるのにそんなことを言われるのが腹立たしいのもあったかもしれないが、事実に触れられたことを隠すための否定だったのかもしれない。
お前は役立たずだ。
あの桧山先輩の言葉が今でも自分の胸にぐっさりと刺さったまま抜けない。
言い訳をするなら緊張感が足りなかったんだ。刑事としてのやるべきことをやってこなかったせいか、所詮こんなこととフェイブを守るということを軽視していた。その緊張感のなさが自分の刑事と呼ばれない要因なのかもしれない。
考えれば考えるほどいい訳ばかりが浮かんでくる。
手のひらを覆いうずくまる。
フェイブも守れず、愛田さんは怪我を負ってしまった。犯人を逃がし証拠となりうるものを手に入れることもできなかった。これのどこに桧山先輩の役立たずを否定する要素がある。
もう、刑事を辞めよう。
「邪魔よん」
バンと脳天を軽く叩かれる。
「痛っ!」
振り向くと見慣れた袴姿の八坂さんの姿があった。その手には竹刀が握られていた。それで頭を叩かれたのだろう。
「何萎れてるのよん?」
「べ、別に萎れてなんか」
庭に出ようとする八坂さんに道を開けるためにずれると庭に置いてある下駄をはく。恒例の竹刀の素ぶりだろう。いつも遅くまで練習をした後にこうして自主練として袴姿となって市内の素振りをするらしいのだ。なぜ、袴になるのかと前に聞いたら、何事も格好からだとのことだ。
「元気ないわねん」
「八坂さんが気にすることでもない。いいからいつものように素振りでもしてな」
いづらくなって部屋に戻るために放置していた荷物と上着を取りに行こうと立ち上がる。
「せっかくだから元気が出るようなことを教えてあげるわん」
「いいよ」
「袴の下って下着着ないのよん」
「え?」
すると袴の裾を持ってふりふりと降ってくる。
「今の私はノーパンよん」
「ひよこくん!」
「くそ!角度が悪い!」
「あんたら何やってるのよん!」
庭の地面に顔限界までこすり付けて袴の中をみようとしている、三根とひよこくん。それを八坂さんが顔を真っ赤にしてふたりの脳天に向かって竹刀を叩きつける。
「嘘に決まってるでしょ!」
脳天にたんこぶが出来て、そこから白い蒸気が出ているが大丈夫だろうか。
「男の人は着ないって聞いただけで女の子は普通に短パンとか履くわよ。バカじゃないの!」
「え?男の子は袴の下はフ○チ○なの」
「蛍子!あんたはお願いだからそんなキャラクターにはならないで!お願い!」
最近、キャラクターとかが崩壊しつつある榎宮さんを必死に崩壊を防ごうとする八坂さんも大変だ。
のんきで楽しそうだ。テレビでは絶えずあの爆発事件のことが報道されているというのに。今度こそ部屋に戻るためにバックを拾う。
「ちょっと山下どこに行くのよ」
「どこって部屋に戻るんだ」
いつものように溜息をもらして無気力な返事を返す。
「そういえば、フェイブは?」
「知らん」
「何でよん?」
「関係ないことだ」
これ以上はもう聞かれてほしくなかった。無力な役立たずである自分を振り返りたくなかった。何を聞かれても聞き流そうと思った。
「関係ないってどういうことよん?」
無視だ。
「もしかして、フェイブに何かあったのん?」
無視だ。無視。
「何か答えなさいよん」
聞き流せ。
「まさか、フェイブをどこかに捨ててきたんじゃないわよね?」
「・・・・・・・」
「フェイブの身に何かあったの?」
「・・・・・・・」
「何か答えなさいよ」
ソファーの上に畳まれてあるスーツの上着を拾う。きっと、榎宮さんが畳んでくれたんだろう。
「なんで無視するの?」
シャワーでも浴びてすっきりしよう。このもやもやを流そう。
「ちょっと!山下!」
八坂さんが下駄を脱ぎ捨てて自分の胸ぐらをつかみかかる。さすが、日ごろ鍛えているだけあって強い力だ。
「何?」
「フェイブは?」
「知らない」
「何で知らないの?あんたが預かってるじゃないの?」
「それは今日で終わった」
「なんで?」
「何でもいいだろ!」
耐えられず八坂さんに怒鳴りつけてしまった。気付いたときには訳が分からずキョトンとした八坂さんの顔が目の前にあった。ため息を漏らして掴みかかる八坂さんの手を払う。
「フェイブは大丈夫。自分の上司が責任を持って守っている。年でも自分よりははるかに優秀な刑事だ。心配しなくても大丈夫」
これでもういいだろう。
「なんであんたはここにいるの?」
「何でって。仕事がなくなったから」
フェイブの護衛を解任された自分にはもうあの場にいる理由なんてなかった。
「あんたにとって刑事は何なの?」
「先輩みたいなことを聞くんだな」
「何よ?」
つい皮肉れたことを言ってしまった。でも、こうでもしないと今の自分の無気力感に対する苛立ちをどこにぶつけていいのか分からなかった。
「自分は役立たずだ。あの場において邪魔だったから最善の策をとってここにいるんだ。何か問題あるのか?」
「あるわよ。フェイブは誰が守るのよん」
「だから、それに関して上司とその他の優秀な人たちが」
「なんでそこで自分だって言わないのん?だから、いつまでたっても一応刑事なのよ」
「うるさい!そうだよ!自分は一応刑事だよ!刑事という職業も持ったただの凡人だよ!」
自分は否定することを辞めた。
「もう、無理なんだよ。自分は特殊でもなんでもない。無理なものは無理なんだ。どうせ、必死にやったところで無理なんだ。絶対に無理だ。無理無理。八坂さんは気軽な大学生だからいいよね。こんなつらい場面なんかに」
パン。
八坂さんから平手打ちを食らった。
「何すんだよ!」
だが、八坂さんはそのまま背を向ける。
「蛍子!」
完全に外野で間に入ることのできなかった3人のうちの榎宮さんの名が呼ばれる。唐突なことで肩をびくつかせる。
「私の部屋から竹刀をもう1本持ってきて」
「は、はい」
小走りでリビングを出て二階に上がりすぐに竹刀を手にして戻って来た。そのうちの1本を自分に投げ渡してくる。
「何?」
八坂さんは庭に出て振り返り竹刀を向ける。
「山下。勝負よん」
「は?」
「私があんたのその後ろ向きな腐った根性を叩き直してやる!」
八坂さんから発せられるオーラは普通ではない。女子剣道の全国レベルの戦いの中で津に戦ってきた女戦士の気迫は尋常なものではない。自分も警察学校で剣道は学んでいる。成績も中の上ほどで悪い方ではなくどちらかと言えば自信のある方だ。
だが、相手は小さなころから剣道を学んできて大学をその剣道の成績で入学したような人だ。普通なら勝てるわけがないとあきらめる。でも。
「ゴミカスみたいなあんたなんか私の眼中にない!でも、その腐った考えが気に食わない!」
「なんだと?」
なんとも安い挑発にかかったものだと思う。その時の自分は何か吹っ切れていた。考える前に行動していた。
「3本勝負よん。先に2手取った方が勝ち」
「いいぞ」
自分は下駄をはかず庭に出る。
「蛍子!審判!」
「え!は、はい!」
止めに入ろうとする3人だが自分と八坂さんの気迫に完全に押されている。
竹刀をお互いに相手に向けて睨み合う。
「どうして諦めたのん?」
「うるさい!あんたらに話す必要性なんてどこにもない!自分は役立たずだ!過去の復讐をするためにただ刑事になっただけの落ちぶれものだ!」
榎宮さんの始めの合図も無し自分は八坂さんとの間合いを縮めるために飛び込む。そして、その勢いのまま面に竹刀を叩きつける。
「甘い!」
その攻撃は簡単に見切られて交わされる。無防備になった自分を八坂さんは斬りかかってこない。すぐに態勢を立て直して竹刀を構えて向き直る。
「なんで攻撃してこない」
「雑魚にはもったいない」
「何だと!」
頭に完全に血の上ったせいか同じ攻撃はただ永遠に繰り返す。正面から突っ込んで交わされてただ乱暴に竹刀を振り回すが当たりはしない。竹刀を振り回すにつれて息は切れていくのに対して八坂さんは涼しい顔をしている。
「終わり?」
「まだまだ!」
「それだけ私を叩きにかかる気力があるのならもっと別のところで使いなさいよん」
「うるさい!」
荒く乱れる息を整えてもう一度。
「その気力をフェイブに使いなさい」
「はぁ?」
八坂さんは竹刀を構えるのをやめる。
「あんたには欲がなさすぎる。復讐のために刑事になるのにどれだけ大変か私は知らない。少なくともあんたはそのためにどれだけのことをしてきたの!」
刑事になるために苦手な勉強もした。警察学校でも地獄のような日々に音をあげる者もいたが俺はなんとも思わなかった。あいつらを捕まえて家族の墓の前で土下座させるまではあきらめない。絶対に刑事になってやる。
その強力な欲が自分を刑事にまで導いた。
「今のあんたのやることは何!こんなところでめそめそしていることなの?違うでしょ!」
そうだよ。違う。自分はやることはフェイブをブラックボーンの手から守ること。保護すること。
「やるべきことがあるならそれに全力でそのためならばどんなことでもやってのけなさい!欲張りなさい!フェイブを守るのは誰なの!」
欲張れ。
もっと、良い表現があるのではないのだろうかと問いかけたくなる。でも、自分は叫ぶ。この無力で役立たずな弱い欲の少ないどうしようもない山下幸也に向かって叫ぶ。あの日、燃える豪華客船に向かって叫んだよう。
「フェイブは守る!それがどんな大きな障害でも!フェイブを助けるのは自分だ!」
山下幸也は刑事になる。




