07
そんなことがあって、今は〈麒麟〉に乗っている。
資料に目を通していても、時間が余ってしまって二人の間に静寂が生まれた。
「……そういえば、篠宮さんの実家って神社なんだよね?」
「あっ、はい。普段着が巫女装束なので、この服も、頼んで特別に作ってもらいました」
彼女の着ている神官服は、遊介の着ている物と色合いや形状が全く異なっていた。
上が白で下が緋。一見すると巫女服と間違えそうだが、金属製のチャックが現代めいている。
「すごく似合ってるよ」
素直な感想を言うと、唯は少し照れたように微笑した。
「ありがとうございます」
その会話で気まずさが無くなり、二人は他愛も無い話を始めた。
「神崎さんの服も似合ってますよ」
遊介が着ている神官服は、ロングコートのような形状をしている。上下の色は共に黒だ。
「そうかな? あまり、こういう服は着たことがなかったから自信が無いけど…」
旅をしていた時は、あまり服のことは気にしていなかった。買ったとしても、安くて地味な服を選んでいたのだ。
「似合ってます」
「ん、ありがとう」
服にこだわりは無いが、褒められれば嬉しい。遊介は礼を言ってから照れくさくなり、唯から顔を逸らした。
それを見た唯の表情が、僅かに不安の色に染まる。それを視界の端で捕らえ、遊介は慌てて彼女の方に向き直った。
「申し訳ありません。何かお気に障るようなことを言ってしまいましたか? もし、言ってしまったのなら――」
無駄の無い動作で唯は正座をし、頭を下げて謝ってきた。つまり土下座だ。
「ちょっ、土下座しなくていいから!」
いきなりだったので驚き、つい大声になってしまった。幸い、この電車には二人しか乗っていない。
「…そうですか?」
「いいから、普通に座って!」
唯が座りなおすのを見ながら、遊介はため息をつく。彼女の人付き合いの悪さについて、なんとなくわかった気がする。
(…もしかて、篠宮さんって他人を意識しすぎているのかな?)
唯は他人の仕草や言動に敏感すぎるのだ。例えば遊介の何気ない呟きを聞きとがめたり、顔を反らしただけで不安になったりする。
そして、彼女の真面目さが勘違いを含んだ状態で起動してしまう。
(……とりあえず、今は説明の方が先か)
分析から出た結果を頭の隅へ一時的に追いやり、遊介は俯いて座っている唯に言った。
「今のは、篠宮さんは悪くないよ」
「えっ? でも…」
「篠宮さんは悪くない。悪いのは、僕が取った行動にあるよ」
何か言おうとした彼女の言葉を遮り、覆いかぶせるように言った。すると、唯の瞳で戸惑ったように光が揺れる。
「さっき、僕が顔を背けたから不安になったんだよね?」
この質問に答えは無かった。しかし、遊介は構わずに話を続ける。
「それなら、僕が悪い。…誰かに褒められたのは久しぶりだったから、照れくさくなっただけなんだ」
断言するように言ってから、遊介は苦笑気味に一言付け加える。
「褒めてくれて、ありがとう。嬉しかったよ」
自分で言っていて照れくさくなったが、今度は唯から顔を反らさなかった。もし考えた通りなら、彼女は安心するはずだ。
唯は何度か瞬きをして、ホッとしたように表情が柔らかくなる。
「はい。どういたしまして」
やっと不安が消えた彼女の顔を見て、遊介は自分の導き出した結論が正しかったことを理解した。
(…師匠に教えてもらったことが、役に立って良かった)
唯に対する分析は、不知火から教えてもらった技術だ。まさか実践する日が来るとは、全く考えていなかったが。
そんなことを考えていると、唯が頭を下げて謝ってきた。
「先ほどは勘違いしてしまい、すみませんでした」
「いや、気にしなくていいよ」
そう言ってから、遊介は気がついた。さっき明らかになった彼女の性質について、助言する絶好のチャンスなのではないかと。
「…篠宮さん、人付き合いが苦手なんだよね?」
何の脈絡も無い質問に、唯は少し戸惑いつつ頷いた。
「たぶんなんだど、それって――」
導きだし、確認した結論を彼女に話し始める。すると、唯は目を見開いて興味深そうに遊介の話を聞いていた。
「――だと思うんだ。そこに気をつければ、少しは解決できるはずだよ」
話を終えて、遊介は唯の様子を見る。彼女は話を聞いていた時と同じように、目を見開いて遊介を見ていた。
言葉を選んで言ったつもりだったが、もしかして傷つけてしまったのかと遊介は不安になる。
「……なのに、気がつきませんでした」
「えっ?」
言葉の前半部分が聞き取れなかったので、遊介は聞き返した。すると、唯は悲しそうな表情になって言う。
「自分のことなのに、気がつきませんでした。…おかしいですよね、自分のことなのに何年も気づいていなかったなんて」
彼女の言葉にを聞いて、遊介は理解した。唯は真面目だ。それが故に、自分に欠点があるなら責める。
「そこまでにしておけ」
いきなり聞こえた声に、唯はハッとして下を見た。
「心は気に影響を及ぼす。これから妖のいる場所に行くのなら、それ以上の自責は禁物だ」
猫がいた。そして、唯に向かって話しかけている。
唯は驚いて、人間の言葉を喋った猫を凝視した。
「……天岐、何でここに?」
部屋に残して来たはずの猫が、目の前にいることを怪訝に思って聞いた。
「我が、どこにいようと勝手だろ」
猫は不満そうに答えると、フリーズしたままの唯の膝の上に飛び乗った。
「きゃっ!」
唯が悲鳴を上げ、膝の上に飛び乗ってきた猫を払い落とす。べちゃっと音を立てて床に猫が落ちた。
「ね、ね……」
「ね?」
壊れたCDプレイヤーのように同じ部分を繰り返すので、聞き返すと唯は息を大きく吸い込んだ。
「猫が喋りました!」
悲鳴にも似た驚きの声に、遊介は思わず顔をしかめる。
「……そうだね」
かつての自分と同じ反応をした唯に、新鮮さを感じつつ遊介は相槌を打って床に落ちた猫に視線をやる。
「…いきなり何をする」
「天岐、今のは君が悪い。今まで普通の猫のフリをしてたのに、急に喋ると誰でも驚くよ」
床に大の字になったまま文句を言う猫を拾い上げ、遊介は注意と問題点の指摘してやる。
猫は不満そうだったが、おとなしく彼の膝に乗せられた。
遊介たちの会話を聞いていた唯は、猫と遊介を交互に見る。そして、会話を聞いてるうちに落ち着いてきた頭で考え始めた。
(この猫は神崎さんの式神? …でも、猫からは霊力を感じない。とすると――)
――ゴトンッ、キキィィッ
本格的に自分の思考に入ろうとしたところで、頭に響く〈麒麟〉のブレーキ音が聞こえた。慣性の法則によって、唯の身体は遊介の肩にもたれかかるように倒れる。
「きゃっ」
小さく漏れた悲鳴を聞きながら、遊介は窓の外を見た。
窓の外のあったのは暗闇ではなく、神殿のような空間だ。そして、〈麒麟〉は停車している。
「着いたみたいだな」
そう猫は言って、遊介の肩に飛び乗った。
それを見た遊介は立ち上がろうとして、あることに気がつく。さっき倒れてきた唯が、肩にもたれかかったまま動かないのだ。
「………」
さらに、顔を赤く染めて硬直してしまっている。正直に言うと、可愛い。すごく可愛らしい。
このままでは立ち上がれないし、唯を振り払うのも気が引けた。遊介は困惑しながら、彼女に声をかけてみる。
「……えっと、篠宮さん?」
その様子を見た遊介は、どうしたのだろうと考えて理由に思い当たった。
唯は正真正銘の巫女なのだ。巫女である彼女は純真な存在であり、必要以上に異性との接触をしたことが無いのだろう。
(……とりあえず、降りないと)
少し思案し、遊介は唯を自分の方へ引き寄せた。片方の腕を彼女の背中へ、もう片方を膝の下へを滑りこませる。
いわゆる、お姫様抱っこだ。
唯の身体は思ったより軽く、遊介は難なく立ち上がることができた。肩に猫を乗せ、唯を抱きかかえたまま〈麒麟〉から降りる。
「えっと、…あっちかな?」
周囲を見回し、視界に入った階段の方へと歩いて行く。
階段を上っている途中で、それまで固まっていた唯が我に返った。
「えっ? ここは――!?」
視界に入った遊介の顔と、抱きかかえている彼の腕の感触。今の自分の状況を理解し、唯の顔が真っ赤になる。
「篠宮さん、大丈夫?」
階段を上りながら、遊介は苦笑して彼女に聞いた。
唯は子供のようにコクンと頷いてから、慌てた様子で彼に言った。
「か、神崎さん。自分で歩けるので、下してください!」
そんな彼女の様子を見て、遊介の表情が苦笑から微笑みに変わった。
(可愛いなぁ……)
可愛いからといって、抱きかかえたままだと足元が見えなくて歩きづらい。なので、遊介は言われた通りに唯を下した。
下されると同時に、唯は逃げるように彼から距離をとる。
「それじゃ、行こうか」
遊介が言うと、唯は赤面したままコクンと頷いた。
「……何をしている。日が暮れるぞ」
そう呆れた声で言い、猫は遊介の肩から飛び下りて階段を上って行った。それを追いかけるように、二人は階段を上って行く。
階段を上りきると、そこは森の中だった。
「……確か、妖が出るのは村だったよね?」
「はい。報告書には、そう書いてありました」
「……確か、妖が出るのは村だったよね?」
「はい。報告書には、そう書いてありました」
周囲を見る限り、村は見当たらなかった。あるのは木ばかりで、村どころか家も一軒も見当たらない。
「もしかして、出口を間違えたとか?」
「それは無いと思います。中村さんから聞いた話だと、任務地の近くに出口があるはずですから……」
質問に答える唯の声は、自信が無いのか少し小さい気がする。
再び周囲を見回してみるが、やはり近くに村は無かった。
「結界が張ってあるな。おそらく、この場所を隠すための物だな」
聞こえてきた声に、二人は視線を下へ向けた。
「結界?」
猫は首をめぐらせ、二人の方を振り返って言う。
「ああ、力を持つものにしか辿り着けないようだ。……娘、出口まで案内しろ」
まだ猫に話しかけられるのに慣れない唯は、困惑して遊介の方を見た。
その様子を見ていた遊介は、苦笑気味に彼女に頼んでみる。
「篠宮さん、お願いしてもいいかな? もし無理なら、僕が出口を探してくるよ」
唯の気持ちに配慮した頼み方をしたのだろうが、それは断りづらい頼み方でもあった。
「……わかりました。やってみます」
唯は目を閉じ、胸の前で手を組んだ。彼女の身体から玻璃色の霊力が溢れ、足元に円を描き始めた。
二重に描かれた円の間に、梵字が描かれる。
「……すごいな。これが巫術」
遊介が感嘆の呟きを漏らした次の瞬間、唯が目を開いて袂から呪符を取り出した。口元へ持っていき、フッと息を吹きかける。呪符は彼女の手から離れ、玻璃色の光を放って蝶に変化した。
「出口まで案内しなさい」
唯が言うと、それまで彼女の目の前をヒラヒラと飛んでいた蝶が、森の中へと飛んで行った。
「あの蝶についていけば、結界から出れます」
そう唯は言うと、蝶の後を追って歩き始めた。遊介と猫は彼女の後に続く。
しばらく歩いて行くと、蝶が歩いてきた方向に向きを変えた。
「………?」
「……とりあえず、ついて行きましょう」
左に曲がったかと思えば、曲がった場所まで戻る。そんなことが何度も続き、蝶は呪符に戻ってしまった。
「………」
「…えっと、篠宮さん?」
地面に落ちている呪符を見下ろしたままの唯に、少し気まずげに声をかけてみた。
「……苦手なんです。こういう方術は」
「えっ?」
唯の口から聞こえてきた言葉が、聞き取りにくかったので聞き返すと、彼女は顔を上げ、もう一度同じことを言う。
「苦手なんです。こういう方術は」
今度は、はっきりと聞き取れた。そして、その意味を遊介は理解する。
おそらく術を使う前の唯の困惑は、猫に話しかけられただけでなく、苦手意識からのきたものも含まれていたのだろう。
「苦手なら、断れば良かっただろ」
足元にいた猫が、呆れたように言ったので遊介は足で軽く小突いた。
不満そうな瞳を猫が向けてきたが、それを無視して唯を励まそうと彼女の方を向く。
だが、何も言えなかった。
彼女の表情は、眉間にしわが寄って怒っているように見える。しかし、瞳には説教をさ れた時のような力は無かったのだ。
しばらく唯の表情を見ていた遊介は、彼女が自分自身を責めているのだと悟った。
励まそうと思ったが、下手な励ましの言葉は逆に傷つけてしまう。それを経験で知っている遊介は、唯にかける言葉を見つけ出すことができなかった。
「神崎さん、役に立てなくてすみません」
「謝らなくていいよ。苦手は人それぞれなんだし。ほら、頭を上げて」
頭を下げられ、咄嗟に自分の口から出た言葉を聞いて失敗したと遊介は思った。しかし、言ってしまった言葉は取り消せない。
「僕だって、苦手なことは多いよ。さっき篠宮さんが使った巫術は、僕には使えない」
取り消せないなら他の言葉で補おうとして、慌てて言葉を続けた。
「それに、篠宮さんは術を使えた。完璧じゃなくても、それはすごいことだよ」
それを聞いていた唯は頭を上げた。さっきと表情は変わらず、眉間にしわが寄ったままで目に力が無い。
「…それは、毎日修業してるからです。大したことありません」
「それでも、すごいよ。苦手なのを放って置くんじゃなくて、修業して身につけようとしてるんだから」
遊介は唯の自己評価を上塗りするように言って、彼女の目を正面から見つめた。そして、苦笑気味に続ける。
「僕は苦手なことを身につけるどころか、修業することさえしてないから」
それを聞いた唯の表情が、ピクッと僅かに動いた。それを見た遊介は、もうひと押しの言葉を言う。
「……やらなくちゃいけないのは、わかってるんだけど。師匠から才能が無いって太鼓判を押されて、やるきが出ないんだよ」
ブチッと何かが切れたような音が、聞こえた気がして遊介は後ずさった。
気のせいか目の前にいる唯は、昨日よりも迫力がある気がする。
「神崎さん、正座してください」
「えっと、篠宮さん、ここ外なんだけど…」
「いいから、正座してください!」
いつまでも遊介が正座しないのに苛立ち、唯は子供を叱りつけるように言った。
それに驚き、反射的に遊介地面に正座する。
「神崎さん、今から修業の必要性について説明します。ちゃんと聞いてくださいね」
有無を言わさず、説明とは名ばかりの説教が始まった。
「いいですか、修業というのは才能のあるなしに関係無く、自分を磨くためにするもので
す。その修業を怠るということは、――」
説教を聞きながら、遊介は的確な指摘に相槌を打った。そして、説教をしている彼女の様子を見てホッとする。
(…説教されるのは少しきついけど、これなら骨折り損にならなそうだな)
十分後、ようやく説教から遊介は解放された。
(やっぱり、篠宮さんの説教は堪えるな……)
そう思いながら遊介は立ち上がり、自分に説教していた唯を見る。
「何ですか?」
まだ怒っているのか、彼女は少し不機嫌そうな声で聞いてきた。その様子に苦笑しつつ、遊介は周囲を見回す。
「結界の中は昼だが、おそらく外は夕方頃だ。妖を狩りに行くのなら、早く結界から出た方がいい」
猫の言葉を聞きながら、遊介は感覚を刃のように研ぎ澄ましていった。
(篠宮さんの巫術は、かなり正確なはずだ。それなら、この近くに出口があるはず……)
遊介には、巫女である唯のように巫術は使えない。だが、彼は感覚を研ぎ澄ますことができた。
研ぎ澄まされていく聴覚に、僅かな気流の音が聞こえ始める。
「……こっちだ」
聞こえてきた音を頼りに、遊介は歩き始めた。その後に少し驚いた表情の唯が続く。
「たぶん、そんなに遠くない。もうすぐだよ」
自分の後を歩いている唯に声をかけながら、さらに自分の感覚を研ぎ澄ましていく。すると、気流の音に混じって何かの鳴き声が聞こえてきた。
(この声は妖……?)
疑問に思うのと同時に、遊介は研ぎ澄ました感覚を引き戻した。
「篠宮さん、少し走るよ」
「えっ? 神崎さん!?」
遊介は返事を待たずに走り出した。走って行く先には、結界の出口がある。
急に走り出した彼を目で追いながら、唯も走り出した。その次の瞬間、彼女頭の中に映像が浮かび上がる。
猿のような妖が屋根の上にいて、家の中にいる人間に囁きかけるように鳴いていた。囁きかけられた人間は、ぶつぶつと何か呟きながらフラフラと頼りない足どりで家の外へ出る。家の外に出た次の瞬間、何かが人間を攫った。
「妖!」
唯は霊視によって得た確信から、胸の前で手を組んで印を結んだ。
「我、神の御子たる者なり。神から賜りし百鬼を祓う生弓、我が手に来たれ!」
柏手を打った唯の手に、梓を材料にした長弓が現れた。退魔の梓弓だ。
唯の横を走っていた猫は、それを見て目を細めると彼女の肩に飛び乗った。
「きゃっ!」
電車の時のように払い落とされそうになるが、反対側の肩に飛び移って避ける。
ちらっと唯は猫に目をやり、少し複雑そうな顔をすると前を見た。どうやら、気にしないことにしたらしい。
結界から抜け出すと、そこは丘だった。見下ろすと、大きな集落がある。
唯は集落に視線を走らせ、妖の姿を探した。
(いた…!)
彼女が見つけたのは、猿のような体躯をした生き物だ。その生き物が何匹も屋根の上にいて、かすれた声で鳴き続けている。
「神崎さん、あれです!」
唯が言って、指差した場所を遊介は見た。 すると、家の中から人間が頼りない足取りで出て来る。それを目にも止まらない速さで、生き物が跳びかかって攫った。生き物は、人間を抱えたまま屋根伝いに山の方へ逃げて行く。
それを見た遊介は慌てて右手で拳を作り、左手に打ちつけようとした。
「謹請し奉る! ちはやぶる神の神威、矢となりて物の怪を射給え!」
呪文が聞こえ、一筋の光が遊介のすぐ横を通り過ぎて行った。光は生き物に突き刺さる。
後を振り返ってみると、そこには弓の弦を引いている唯がいた。彼女が限界まで弦を引き絞ると、玻璃色に輝く矢が現れる。
「謹請し奉る! ちはやぶる神の神威、矢となりて物の怪を射給え!」
涼やかに響く呪文と共に、弓から矢が放たれて集落の方へ飛んでいく。矢は生き物に刺さり、輝きを放って消滅させた。
矢の描く軌跡に見惚れていた遊介は我に返り、拳を左手に打ち付けて何かを引き抜く動作をする。
――ゴウッ
赤黒い閃光が遊介を覆い、彼の右手に日本刀が顕現した。
丘から飛び降り、人間の目では見えない速さで駆けて生き物を斬る。生き物に負わせた傷から、赤黒い閃光が迸って生き物は消滅した。
斬ったと思った次の瞬間には、もう次を斬っている。その速さに、唯は感嘆の呟きを漏らした。
「…すごい……」
負けていられないと思った唯は、再び弓の弦を限界まで引き絞って光の矢を放つ。
十数匹いた生き物は、唯の矢に射られるか遊介の刀で斬られるかで消滅していった。
「終わった……」
集落を駆け回っていた遊介は、息を荒くして唯のいる場所まで戻ってきた。その手には日本刀が握られているが、彼の身体から迸る霊力は少なくなっている。
「お疲れ様です、神崎さん」
唯は声をかけながら、荷物の中からタオルを取り出して遊介に渡す。彼女からタオルを受け取りながら、遊介も彼女に同じ言葉を返した。
「篠宮さんも、お疲れ様」
汗を片手で持ったタオルで拭いていると、唯がタオルを取り上げて額の汗を丁寧に拭き始めた。
「し、篠宮さん!?」
「ちゃんと拭かないとだめです。じっとしててください」
驚いた遊介は慌てたが、やんわりと注意されておとなしくした。
妹や母親に汗を拭かれることはあったが、妹以外の異性に汗を拭かれるのはこれが初めてだ。なんとなく遊介は変な気分になる。
「神崎さん、あの妖のことなんですけど」
「う、うん」
「あの妖の鳴き声は、人の心を惑わします」
額の次は頬をタオルで拭きながら唯が話し始めたので、顔の近さを今さら認識してドギマギする。
「心を惑わされた人は、自発的に家の外へ出て妖に捕らえられてしまう。それが、あの妖の人を食う方法だと私は視ました」
唯は霊視によって得た断片的な情報を繋ぎ合わせ、今のことを読み取った。これが正確かどうかはわからないが、大筋は間違えていないはずだと確信している。なぜなら、巫女にとって霊視とは神からの託宣だからだ。
見たばかりの妖について、そこまで詳しく語る唯に遊介は驚いた。
(篠宮さんって意外に、段取りが必要な術とかよりも感覚的な方が得意なんだな……。まるで猫みたいだ)
「神崎さん、今何か失礼なことを考えてませんか?」
まさに考えていたところなので、それを当てられて再び驚いた。
「こう見えても霊視とか霊感は強いので、ある程度は人の心を読むことができます」
「…そうなんだ。……やっぱり、猫みたいだ」
驚きすぎて、思わず心の呟きを口から漏らしてしまった。すると、唯は眉間にしわを寄せて文句を言ってくる。
「やっぱり、そんなことを考えてたんですか」
短時間に唯の説教を何度も受ける気は無いので、遊介はすぐに頭を下げて謝った。
「すみませんでした」