表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第一章 目覚め
9/58

老人の楽園

 翌朝、俺の長きに亘った病院ライフも、とうとう終わることになった。


 事故直後から目が覚めるまで約1か月間、目が覚めてから今日まで約1か月間、トータルで2か月間の入院生活だった。


 病院では、金銭面の制約以外は、比較的自由に過ごすことができた。誰にも遠慮することなく、大手を振って昼間からブラブラできるわけであり、日中から延々とテレビドラマの再放送を見て、「寝たいときに寝て、起きたいときに起きる」という、確実に時間の感覚が無くなる「プチ隠居生活」だった。


 お陰で、高齢者向けのサプリメントや健康食品、そして墓地や仏壇には、やたらと詳しくなった。平日の日中に流れているCMは、俺が子供だった頃は、お菓子やインスタントラーメンといった子供向け食品が中心だったが、最近はシニア向けのものばかりだった。


 退職した後はこんな「薔薇色の生活」が待っているのか、と考えると、ちょっと楽しみではあったが、よく考えてみると、「親」という扶養者がいるからこそ、こんな生活ができるわけであり、年金支給開始年齢の68歳から70歳への引き上げや支給金額の削減などが議論されている中では、ハッピー・リタイアメントはあまり期待できそうになかった。 


 ただ、ひとつだけ不自由だったのが入浴だ。病院には入浴施設が備わっていたが、母親が院内感染を極度に恐れて絶対に使わせてもらえなかった。確かに、もはやニュースにならないほど、薬剤耐性菌がどこでも蔓延しているので、用心に越したことはなかった。

 

 自宅うちの風呂がどんなものかわからなかったが、とりあえず、のんびりと入浴できるのが待ち遠しかった。母親や看護婦は「同性」という気安さから、俺の病院衣を平気で脱がして身体を拭いてくれたが、「異性」に自分の裸体を見られる俺は、それがたまらなく恥ずかしかった。


 俺が苦手としていることが、さらにもうひとつ、ある。


 それは女性用の下着を着用することだ。


 これには、強烈な抵抗感がある。男性の中には、女性用の下着を好んで身に着ける特殊な趣味の人がいるようだが、あいにく俺にはそういう趣味は無い。

 しかし、身体を拭かれるときに母親や看護婦に見られる以上、やむをえず、嫌々ながら女性用の下着を身に着けざるをえなかった。


 ブラについては、こんなに身体を締め付けるものなのか、と初めて知った。実際、ブラを外したあと、肌に痕が残っていることが珍しくなかったため、俺は密かに「簡易拘束衣」と呼んでいた。


 パンツについては、ただ履けばよいので問題はなかった。しかし、俺が以前に履いていたトランクスと比べると、何ゆえにこんなに布面積が少ないのか、全く理解できなかった。

 案の定、腰のあたりがスースーする妙な感じがしばらく続き、風邪をひかないか、本気で心配した。


 ただ、最近は女性用の下着を着用することに、だんだんと抵抗感がなくなってきており、まるで喉が渇いたときに水を飲むのと同じような「習慣」になりつつある。

 先日の朝、目覚めたあとにごく当たり前に女性用下着を身に着け始めた自分に気付いて、戦慄を覚えた。  


 これから毎日、こんなものを着用して学校に行かねばならない、と悟った時、俺は思わず「どんな罰ゲームだよ・・・」と呟いた。


 今日も女性用下着を着用し、さらには退院して外に出るということで、外出用の服を着せられることになった。


 これまでは、ラフな室内着か、病院衣か、はたまたパジャマで済んだので、大して困りはしなかったが、今朝になって、母親が「これ、あなたのお気に入りだった服よ」と言いながら、上着やスカートを複数持ち込んできたときには、正直、途方に暮れた。


 もともとファッション感覚に疎かった俺は、結婚当初、服の数が非常に少なく、しかも、ほとんど青系統の服だったので、妻から大いに呆れられ、妻の独断によって大半の服を捨てられた。そして、それ以来、自分の着る服を買う際には、妻に見立ててもらっていた。


 そういう人間に、しかも異性の服を自分で選んで着ろ、というのは、縄文人に電気炊飯器でご飯を炊いてみろ、と強要しているのに等しい暴挙だった。


 結局、俺はギブアップし、進退窮まって「何を着たらよいのか、よくわからない」と口走ってしまったが、案に違わず、母親が「不憫な娘」に涙することになり、非常に後味の悪い思いをした。


 しかし、できないものは、どうやってもできないのである。


 ファッション・センスというものは、「練習すれば、なんとかなる」という性質のものではない。もし、「練習すればなんとかなる」というものなのであれば、世の中、「芸術の大家」だらけになっているはずだ。


 涙に暮れる母親をなんとか宥め、理紗の「お気に入りの服」とやらを選んでもらったあと、トイレの鏡で眺めてみたところ、自分でも見惚れるくらいの容姿になっていた。


 理紗はかなり背が高く、やや細面の顔立ちなので、フェミニンな服より、比較的シャープな感じの服のほうが似合う。


 手術のときに短く刈ってしまった髪は、2か月経って、もうかなり伸びてきており、前髪を作れるほどになっている。俺は、子供の頃から、髪が伸びると鬱陶しくて嫌で、耳に髪が掛らないように、毎月、理髪店に行っていたので、さらに髪が伸びてきたら、思い切ってポニーテールにでもしてみようか、と思った。


 両親と一緒に院内のファミレスに向かって歩く途中、自分がすれ違う人たち、とくに男性とよく目が合うことに気付いた。


 そして、かつて自分も、女性をそのように「品定めをするような目」で見ていたことに気付いて、なんとも嫌な気持ちになった。


 ファミレスで、母親は「競争が激しくなってから、病院の食事は格段に味が良くなった。昔の病院食は、とてもまずかった」と言っていたが、それは、母親とほぼ同世代の俺も強く実感している。


 今の病院では、ベッド脇に備え付けられているタッチパネル式のモニター画面を使えば、食事のオプション・メニュー、リハビリ施設や院内ファミレスの予約状況、院内コンビニへの注文と病室への配達依頼、さらには担当医の経歴や施術数まで調べられるようになっている。


 ちなみに、山名は、学費が高いことで有名な、ある私大の医学部の出身だった。偏差値も高いところだから入試ではさぞ苦労したに違いない、と、一瞬、シンパシーを覚えたが、後で山名にそれとなく言ってみたところ、「まあ、小学校から付属の一貫校に入ってたからねー」と言われて、ちょっとがっかりした。まあ、今は、どこの私大も、系列校からの進学者が定員の7~8割を占めているから、当たり前と言えば当たり前だが。


 院内ファミレスは、やはり病院の「上得意」である高齢者を意識して和食のメニューが多い。隣席でマグロの刺身をゆっくりと口に運んでいる老婦人を横目で見ながら、俺は、パンケーキとスクランブルエッグのセットを注文した。

 マグロの刺身なんて、一般家庭では正月にほんの少しだけ食べられる程度なので、この老婦人の裕福さが一目でわかる。二年前の第二次アジア通貨危機によって深刻な景気後退が起こった際、公務員給与が民間準拠で大幅に削減されたため、俺も妻も、もう2年間ほど、マグロの刺身どころか、ウナギの蒲焼も食べていない。


(今、裕福なのは高齢者だけか・・・)  


 俺は、ようやく2月末に衆議院を通過した消費税引き上げ法案について、審議過程での紛糾ぶりを思い出していた。

 連日、日比谷公園や新宿中央公園で若者による反対集会が日中に開かれ、暴徒化した一部の参加者が近隣の高級ホテルになだれ込んで略奪を始め、多数の逮捕者が出るなど、これまでにないような「納税者の反乱タックス・レボルト」が広がっていた。


 俺の在籍している経済財政産業省は財政官庁でもあるので、デモの標的にされることが多く、デモ隊が拡声器を使っていないにもかかわらず、道路から遠く離れた会議室まで、外の騒ぎが聞こえてくることがよくあった。


 俺自身も、夜の退庁時間帯に、役所の正面エントランス前で若者が警官に押さえつけられ、無念の表情を浮かべて天をじっと見上げている姿をみたことがある。


 俺自身は産業政策部門での入省組なので、消費税には全く関与していなかったが、連行されていく若者が俺に向けて投げかけた、その怨嗟のこもった眼差しに思わず背筋が寒くなった。


 そんな騒動も、法案が衆議院を通過すると急速に下火になっていった。参議院では、与党連合が安定多数を占めていたので、もはや可決は時間の問題だった。


(仕事のことを思い出すのは久しぶりだな。今までは、とにかく全く身動きできない状態だったから、意図的に考えないようにしてたけど、退院したら、一刻も早く理紗と接触して、「魂の正常化」を図らないとな・・・向こうも困ってるだろうし・・・) 


 思わず溜息をつくと、母親が「どうしたの?」という表情で俺を見つめた。俺は、少し表情を緩めて、「とくになんでもないよ」と言うように、軽く首を横に振って見せた。こういうとき、彼女は妙に敏感なので、あまり母親の前で気を緩めることはできない。


自宅うちに帰ると、この人と一緒にいる時間が大幅に増えるな・・・あの妹も、おそらく、手ぐすね引いて待ち構えてるだろうし・・・あぁ、気が滅入るな・・・・) 


 ようやくパンケーキが届くと、俺はたっぷりとメープルシロップを垂らした。


 以前の俺は、さほど甘いものは好きではなかったが、覚醒してからは、やたらと甘いものが好きになった。母親の話では、理紗は甘い菓子などが大好きだったようであり、俺の嗜好の変化はその名残りかもしれなかった。


 食後にニューヨーク・チーズケーキを注文したとき、母親から「いい加減にしないと太るわよ」と言われたが、「病み上がりだから栄養つけなきゃ」と言い訳して、紅茶とともに堪能した。


 もちろん、サラミソーセージやハードタイプのチーズといった、ワインに良く合う食材は、今でも非常に好きだが、当分の間は無理だろう。ワインやシェリーといったアルコール類に至っては、もはや望むべくもない。


 シェリーを楽しみながら、ミモレットを嬉しそうにかじっている娘を見たら、確実に母親は卒倒するに違いない。


 理紗と接触して「魂の正常化」に成功した暁には、秘蔵のマルゴーの栓を抜いて、思う存分、痛飲してやろうと、俺は心に誓った。


 今日はゴールデンウィークの谷間の金曜日で、時間が遅くなるとUターン・ラッシュで都内の道路が混み始めるはずだった。


 10時過ぎに、執務室の山名やナースステーションの看護婦たちに御礼の挨拶をして、俺は父親の車の後部座席に乗り込んだ。


 退院する患者を見送る病院関係者は、なんで、あんなに素晴らしい、暖かい表情になるのだろう。


 仕事は決して楽ではないし、言うことを聞かない困った患者は少なくないのに、なんで、作り物ではない、心の底から嬉しそうな笑顔が滲み出てくるのだろう。


 俺も、少し、涙が零れてしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ